第8話 夢か現か
大規模討伐任務の最大の障害だった赤猿、黄猿を倒した優たち。奇襲を仕掛けるため早朝に作戦を行なったこともあって、拠点に帰還した時でも太陽は天頂を過ぎていなかった。
最も重傷を負ったのは秋原だ。拠点にある応急手当セットを使って、折れた左腕を簡易的に処置する。男子がその作業を手伝う間に、片桐も自室で改めてモノの手当てを行なっていた。
衣服を脱がせたモノを布団に寝かせ、青白い肌に目を落とす片桐。服で隠された部分に刻まれる数えきれない切り傷がある。落ち着いた今考えてみれば、権能の副産物だろうと、片桐はおおよそ見当をつけることが出来ていた。
2年になれば、応急手当てについても詳しく学ぶ。ぱっくりと空いた傷口を見て、片桐は縫合することも考える。セットの中には専用の針も糸も入っているが、きらりと光る針先を見て片桐は首を振った。
――ごめん、モノ。私には無理!
いくら授業で習ったとは言え、17歳の学生でしかない片桐に傷を縫合する度胸など無かった。その代わり、これでもかというほどガーゼとテープ、包帯を使って止血を行なう。
と、その時。黒く長いまつげに縁どられた淡い水色の瞳が開かれた。
「きゃー。桃ちゃんに襲われるー」
「モノ?! 大丈夫?! ……って、冗談が言える程度には大丈夫そうかな」
布団の上で身を起こそうとする友人を、片桐が押しとどめる。あはは、と苦笑しつつ、モノは木目が見える天井を見上げた。貧血気味で上手く頭が回らないが、リーダーである以上、聞かなければならないことがある。
「……桃ちゃん。生存人数は?」
自分の身よりもあくまでセルを優先するモノを、やれやれと片桐が見下ろす。
「全員無事。敵も
モノが寝ている間に決まったことを、端的に伝える片桐。その間も、きつく包帯を巻く手を止めない。
「あれ、もしかして私、襲われるんじゃなくてミイラにされる?」
「はいはい。これぐらいしないと動いた時に傷口
モノの軽口を、これまた慣れた様子で片桐も軽くいなす。モノと片桐の付き合いも1年以上だ。天人など関係のない、クラスメイト同士の気の置けないやり取りと言える。
「……モノ。うちも聞きたいことがあるんだけど」
「ん? 何?」
「なんで、神代君を助けたの?」
戦闘が終わり、優が居ないからこそ聞くことのできる質問だ。
「モノは自分が魔獣に食べられることを一番警戒してたはずだよね? それに、言っちゃ悪いけど神代君がモノより動けるとは思えない」
にもかかわらず、優を助けたモノの真意を、片桐は知りたかった。一瞬はぐらかそうかと思ったモノだが、自分を見つめる片桐の目に薄っすらと涙が浮かんでいるのを目にしてやめる。天人とは言え、身を案じてくれる友人に対して、今は真摯に向き合うことにした。
「天人の勘だよ、桃ちゃん」
「勘って……。ふざけてる?」
いつも真意を煙に巻こうとする友人を、片桐はもとから鋭い目つきを鋭くして見つめる。
「ううん。私たちにとって、勘って馬鹿にならないの。なんたって神様だよ?」
「またそうやって――」
「よく考えてよ、桃ちゃん」
糾弾にも似た口調で言う片桐の言葉を遮って、モノは続ける。
「あの場で優クンを放置していれば間違いなく死んでた。だけど私が権能を使ってあの子を生かした。結果、彼は生きていて、桃ちゃんのおかげで私も生きてる」
それは結果論だ。そう言いたい片桐だが、同時に、結果が全てであることも知っている。事実、最良と言って良い未来がここにある。確実に1人が殉職したうえでなお勝てないかもしれない未来と、全員が生き残って勝つかもしれない未来があった。
「もともと私たちには全員生存か、全滅かの2択しかなかい。それ以外の道を選ぶのは【公正】じゃない。だから私は自分の存在意義と勘に従って、全員生存の未来を掴む賭けをしただけ」
それに、あのまま自分が戦っていても魔獣を倒せたかは分からないでしょ。そう、モノは片桐に問いかける。
「優クンを信じたんじゃなくて、信じたかった。だから、私は“賭け”ただけだよ」
「……どう違うのか分かんないんだけど」
「私が信じたのは私ってこと。優クン自身じゃないってことかな」
結局は、そこなのだ。モノは優を信じたくて
「意味わかんない。……ほんと、心配し甲斐のない親友なんだから」
「ご迷惑をおかけします。あと、喉乾いたからお茶が欲しいなぁ? でも私、動けないなぁ?」
「はいはい、神様~。今、お持ちしますよ~」
包帯を巻く手を止め、トレードマークでもあるポニーテールを揺らしながら寝室を出ていく片桐。彼女が守ってくれると信じたからこそ、モノも賭けに出ることが出来た。だから、その感謝も込めてモノはからかうように言う。
「守ってくれてありがとね、桃ちゃん」
「え、突然なに?!」
珍しく殊勝な姿を見せたモノに面食らった片桐が、思わず振り返る。そこには、寝ころんだまま自分をいたずらっ子のように見つめる親友がいる。
「明日、雪でも降りそう……」
「ひどいなぁ。折角、恥ずかしいのを我慢してお礼を言ったのに」
「それ、自分で言う? でも、うん。ど、どういたしまして……?」
「桃ちゃん、なんで疑問形?」
あはは、と笑うモノを置いて、羞恥で頬を染める片桐は寝室を後にした。
翌日。最後の巡回をして
――任務。本当に終わるのか……。
段ボールのふたを閉じながら、優は考える。例えば初任務の際は、帰り道にもひと悶着があった。ここで気を抜くのは早いだろうか。と、どうしても考えてしまう。この時、優はなぜかまだ、任務が終わったのだと実感できずにいた。
手にした段ボールを車に積み込みながら。掃除をしながら。車に乗り込みながら。市街地に入ってから。拠点となっているホテルに着いてから。何度も何度も周囲を警戒してみたが、一向に何も起きない。
「おい、どうした、優?」
そんな春樹の声で、優は自分が大きく膨らんだリュックを背負ったまま立ち尽くしていたことを知る。もうそこは本拠点でもあるホテルのロータリーだった。
「あ、ああ。今行く」
そう言って歩きながらも、優は周囲への警戒を怠らない。柱の影。階段の上。受付カウンターの下。敵が潜んでいてもおかしくない場所を探す。
――いや、ここでも何かあるかもしれない。
ここまで来ると疑心暗鬼とでも言うべきだろう。油断なく周囲を見渡していたはずの優の死角から、1人の少女が語りかけてきた。
「何を期待してるの、優クン?」
ピンでとめた銀色の髪を揺らし、サンゴ礁の海のような色合いの瞳で優の目をじっと見つめるのはモノだった。
「期待? 違います。俺は警戒していて……」
「ううん、違う。ずっと君の目の前に居た私にすら気付かないんだ。君は自分が戦うことのできる“敵”を探していたんでしょ?」
そう言われて優は初めて、自分が魔獣や魔人の襲来を待っていたのだと気づいた。これではまるで戦闘狂、あるいは死地を求める野蛮な人間ではないか。いつの間にそんなことになっていたのだろうかと
「もういい。もういいんだよ、優クン。君はよく頑張った」
そう言って頭を撫でられても、やはり優に現実感は無い。ただ、甘ったるいモノの香りが麻薬のように、優の脳内に溶けていく。
思えばあの日。月明かりの下、この天人と語り合ったあの作戦前夜から、自分は夢の中に居るのかもしれない。目が覚めれば、また、赤猿との戦いが待っているのではないか。そう思えるほど、何も
「お疲れ様、優クン。今はゆっくり休んで。私がこうしててあげるから――」
「成敗! ていっ!」
「――おっと」
突如、優の鼻腔と脳を犯していた甘い香りが消え去る。やはり襲撃か。そう思って優が身を引いて周囲を見渡す。と、目の前にはモノに負けず劣らず小柄な美少女が立っている。黒い髪と金色の髪が半分半分ほどの髪。小さな顔のわりに茶色く大きな瞳。特派員の制服である学ラン姿の彼女は、優のよく知る最愛の妹だった。
「なんだ、天か……」
「……え?」
それだけ言って、優は改めて周囲を見渡す。脅威はどこからやって来るか分からない。警戒を怠るわけにはいかない。そんな優の視界の端に、白いマナの光が映る。ああ、シアも無事なのか。そう頭の片隅で考えていた優の横っ面を、強烈な衝撃が襲う。
予想外の衝撃にたたらを踏んで、尻餅をついた優。そんな彼を怒りの形相で見下ろすのは、他でもない。全身から白いマナを漏らすシアだった。
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