第7話 届かない距離を埋めるもの

 春樹とノアによる赤猿の縫い留めが失敗し、自身の攻撃が届かないと悟った優。足音を殺すために遠方から跳んだことが災いして、空中ではどうやっても姿勢を変えられない。


 ――届かない……っ!


「くそっ!」


 悪態をつきながら悪あがきでナイフを赤猿の首に投げてみても、警戒して全身をマナで覆っていた赤猿によって弾かれてしまった。

 これだけ数の有利を押し付けても、あと一歩が届かない。この一連のやり取りで、全員がなけなしのマナを使っている。手傷を与えたとはいえ、体勢を整えた赤猿をもう一度相手にする余力がるとは到底思えない。加えて、魔獣は何か魔法を使おうとしている。もしここで魔獣を逃せば魔法を使われ、今度こそ全滅することになる。

 その絶望的な未来が見えているというのに、自分には何もできないのか。いや、何かできることが無いかを優は考える。本当に全てを賭けているのかと、自身に問いかける。もう既に命は賭けている。仲間との連携も、もうこれ以上は望めない。あと自分が持っているもの、賭けられるものと言えば、


 ――時間だ。


 過去、今、そして、未来。その全てを賭ける。自分がこれまで積み上げてきたものを、全て賭ける。そう優は覚悟を決めて、着地する。その隙に、赤猿も着地して、さらに後方に跳ぶ。やはり優の腕の長さとサバイバルナイフでは届かない。であれば、武器を変えるしかない。優が思い返すのは、先日屋内で行なった魔法の練習だ。


『武器はやっぱりいくつも使えた方が良い。特に私たち無色のマナは、それが最大の武器になるんだから』


 あの時、モノの助言に従って優はつぶさに観察して1つの武器を創っている。そのイメージは、本来の武器の持ち主であるノアの雑学と共に簡単に思い浮かべることが出来た。あとは彼の西洋剣を自分が振るって、敵を斬る想像力を膨らませるだけだ。

 着地の体勢のまま深く踏み込んで、赤猿の懐へと飛び込む優。右の腰、下段に両手で構えるのはやや刀身の広い両刃の剣。指輪と植物をモチーフにした装飾がなされた柄がこだわりなのだと、ノアは語っていた。


 ――指輪。それがクレアさんとの約束を表してるんだろうな。


 優には、この西洋剣に思い入れは無い。しかし、それを振るって魔獣をほふるノア自身には思い入れがある。最初は最悪だった印象も、共に任務を過ごす過程で、ただのツンデレ不器用野郎だと分かっている。何より、クレアというたった1人の人物のために戦おうとするノアの姿は、最高に格好良いと思えた。


 ――俺も、同じように格好良く。


 ノアという憧れを自身に投影し、優は武器を振るう。自分を信じるだけでは足りない。仲間ノアが積み上げてきたものも信じて。また、この最後のチャンスを作り出してくれた春樹や先輩たちへの思いも込めて。


「ふぅっっっ!!!」


 優は透明な西洋剣を振るう。本来なら、魔獣である赤猿は武器の変化に気付いただろう。しかし、赤猿は高い知能を持つがゆえにマナの漏出を抑える術を身に着けた。それにより、マナの枯渇から来る飢餓状態から脱して安寧を得た赤猿。しかし、それは魔獣として持っていた盾を捨てたことと同じだと赤猿たちが知るはずもない。

 透明な切っ先が、赤猿の首を捉える。周囲一帯に、硬く重い金属同士がぶつかる音が響く。


『ゥガァァァッ!』

「あぁぁぁっ!!!」


 赤猿と優たち特派員。相手を殺さなければ自分が殺される。互いの生存本能がぶつかり合い、拮抗する。

が、その均衡も瞬時に崩れる。なぜなら、


「「っらぁぁぁっ!」」


 春樹とノアがそれぞれの武器を使って優の透明な刃を押し込む。優、春樹、ノア。3人のおもいを乗せた無色透明なつるぎは、やがて。


「はぁぁぁっ!!!」


 赤猿の太い首をきれいに一刀両断してみせた。




 舞い上がる首。飛び散る鮮血。任地4最後の討伐目標である赤猿の討伐が完遂された瞬間でもあった。荒い呼吸を繰り返しながら首を切り落とした達成感に浸る優たち9期生3人。互いに汗だくの顔を見遣って、まずは優と春樹がハイタッチを交わす。次いで、嬉しそうに手を挙げて、しかし、恥ずかしさからすぐに手を引いたノアの背中を2人して叩く。

 しかし、


「くそっ、全員退避だ!」


 喜ぶ優たちに向けて、秋原から鋭い声で指示が飛ぶ。その声でようやく、優は赤猿の手元にあったマナの塊――〈爆砕〉が完成していたことを知った。赤猿を象徴する“好奇心”が、最期の最期、優たちに牙をむく。地に落ちた赤猿の顔は、どこか達成感に満ちたものだった。


「モノ、ちょっとごめんね!」


 片桐がモノを抱えて転身。赤猿から全速力で距離を取る。次いで、指示を出した秋原も片桐たちを守ることが出来るよう、彼女たちのすぐ後方に着く。

 優たちもすぐに動き出す。体力、マナ共に限界を迎える体を叱咤しったして、手足を動かす。が、


「あっ……」


 背後から上がった短い悲鳴を、優の耳がかろうじて捉えた。見れば、ノアが芝生に膝をついている。回避していた優とは違い、最も赤猿の攻撃を受け止めていたノア。酷使した体は本人すら気付かないとっくの昔に、限界を迎えていたのだった。

 爆発寸前の〈爆砕〉を前に、あまりにも致命的な時間のロス。転倒した時点でノアに残された選択肢は1つ。〈防壁〉を使って全身を守ることだけだ。しかし、赤猿との距離は5mも無い。至近距離の爆発の衝撃に、消耗したノアが創り出す〈防壁〉が耐えられるかどうか。

 また、ノアが転倒した時点で、優に残された選択肢も1つしかなかった。


「春樹!」

「どうした、優?! って、ああもう、……了解だ!」


 優の声と視線でノアの状態と、優の思考を理解する春樹。本当に仕方がない2人だと苦笑しつつ、すぐにノアのもとへ駆け寄る。もう逃げる時間は無い。


「お前ら、なんで――」

「ノア、〈防壁〉だ! 早く!」


 優の有無を言わせない指示にノアも全力でサックスブルーのドームを形成する。優は不得手ながらその外側に透明なドームを創る。


「最後、春樹、頼む!」

「おうよ! 取っ手は3つだ!」


 サックスブルーのドームの内側に、春樹が黄緑色の分厚いドームを創り上げる。初任務の時、魔力持ちである天の砲撃の衝撃すら防いだ盾だ。その強度は折り紙つきだという自信が、春樹の盾の強度を上げる。最後に優が〈身体強化〉をして春樹の盾を押さえる。そうしなければ、ほとんど重さのないマナの創造物は爆発の衝撃で吹き飛んでしまうからだ。


「神代、瀬戸……」


 自分達は逃げれば間に合っただろうに、どうして戻って来たのか。コンクリートの地面に手をつき、呆然とした顔で優と春樹を見上げるノア。そんな彼に優が手を差し伸べて、


「ノア、立て! ……サボるなよ?」


 不器用に笑いながら、盾を押さえるように頼む。優に続いて春樹も笑う。


「そうだぞ、ノア。じゃないとオレ達が死ぬ」


 自分たちの命を脅し文句として使った春樹の言葉に、ノアも思わず笑ってしまう。


「お前たちがどうなろうと知ったことじゃないけど――」


 優の手を取って立ち上がったノアが、


「――感謝するMerci


 〈身体強化〉をして盾を押さえた、まさにその瞬間。強烈な衝撃が優たちを襲う。地震に匹敵する大きな揺れ。バリバリと耳の奥で響くような、重さを感じる爆発音。そして聞こえた、パリンとガラスが割れるような音。それは、表層を覆う優の〈防壁〉が割れた音だった。それだけにとどまらず、やや低い音を立ててノアの〈防壁〉も割れる。そして、最後の砦でもある黄緑色のドームにもひびが入って行く。

 吹き飛ばされないように盾を押さえる優たち。気を抜けば持っていかれそうになる身体を前に倒して、必死に盾を押さえる。


「「「おぉぉぉっっっ!!!」」」


 そんな優たちの声も、爆発音の衝撃によってかき消される。そうして当事者たちにとっては無限にも思える時間を耐え続けること、数秒。

 訪れた静けさによって、優たちは“終わり”を直感する。コンクリートが割れ、芝生が吹き飛んでもなお。ひび割れた黄緑色の盾が、爆心地にはあった。


「……いいか、優、ノア。解除するぞ?」


 その言葉に2人が頷いたことを確認して、春樹が〈防壁〉を解除する。そこにはクレーターと呼んでも良い程陥没した地面と、数十メートルにもわたる地割れが確認できる。それでも、優、春樹、ノアの3人は無事に地面に立っている。

 いや、油断するには早いと慎重おくびょうな優が半径30mの〈探査〉を行なうも、魔獣の反応は無い。


「あと、後は……。俺たちは何をしたらいい? 何か忘れてないか?」

「ぶふっ……優、お前……」

「ほんと、締まらないやつだな……」


 オロオロとやることを探す優の姿に春樹が噴き出し、ノアが呆れる。魔獣討伐が上手く行ったことが信じられない。そう言いたげな優の姿は、格好良いヒーローとは程遠いものだろう。

 ひとしきり笑った後、春樹が優の肩を叩く。


「今度こそお疲れさん、優! オレ達の勝ちだ!」

「……そうか。そう、なんだな。これで、終わりなのか」


 緊張から解き放たれると同時に体から力が抜け、腰を抜かした優はそのまま地面に寝転がる。そこだけ〈防壁〉に守られた円形の柔らかな芝が、優を迎えてくれた。そして、そのまま晴れ渡る空を見上げる。


「今度は気を抜き過ぎだ、神代」

「今はこれぐらい、許してくれ……」


 吹き抜ける風で舞い上がった美しい緑色の芝が真っ青な空に消えて行く。その様を、優は大の字に寝ころんだまま、ただ黙って見続けていた。

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