第6話 見えないことが武器になる

『ゥガァァァッ!』


 叫んだ赤猿が両手に黒い棒を〈創造〉して、最も近くにいた存在――ノアへと迫る。すかさず自身に注意を向けさせようとノアと、優も赤猿のもとへ駆け出す。その道すがら、優は思考を続ける。

 魔獣はマナを対外に漏出させているからこそ、常に捕食を必要とする。その代わり、常時全身を覆うそのマナによって、魔法的な感覚を得ている。いわゆる〈感知〉の魔法で、人間で言えば範囲内に何かが入ると産毛を触られたような感覚になる。それにより、死角からの攻撃や、目には見えない無色のマナによる攻撃を察知して、防ぐことが出来る。


 ――だが、もし、猿の魔獣が〈感知〉状態に無いのだとしたら……。


 無色のマナにも、死角からの攻撃にも反応できていないことにも理由が付く。さらに言えば、黄猿の食料が少ないように見えたことにも納得がいく。なぜ、彼らは共食いしている様子も無いのに少ない食料で、分裂・増殖できていたのか。秋原と共にクラブハウスを偵察した時に感じた疑問の答えも、猿の魔獣が〈感知〉状態に無い――マナを漏出していないとするならば、どうだろうか。


 ――マナの不足を補う必要がないから、赤猿たちは最低限の食事だけで良かったのか!


 そして〈感知〉状態ではない猿の魔獣という存在は、人間とそう変わりない。魔法も使うし、知恵も回る。さらにはコンクリートを砕くほどの力を持つ、厄介な存在だ。それでも、感覚が人間と同じだとするなら、


 ――無色のマナみえないことが武器になる。


 導き出した可能性を手に、優は駆ける。チャンスは恐らく1度しかない。しかもその1度で決めなければ、警戒した赤猿が〈感知〉を使うようになる可能性もある。そうなれば、いよいよ持って詰みとなる。もちろんそれ以前に、魔獣に殺される可能性だって十二分にあった。


『ウガァッ!』

「ふぅっ……。はぁっ!」


 両手に持った黒い棒を振り回す赤猿の攻撃を、ノアは回避、あるいは西洋剣でいなす。それだけでない。時折、隙を見ては小さな〈魔弾〉で赤猿の右太ももにある傷を抉る。小さな頃から魔獣と戦ってきたノア。個を重んじる戦い方ゆえに、1対1で魔獣と渡り合うすべは、優たちの9期生の中では屈指だった。しかし、ノア1人では持久力、魔力、双方の面から7倍近い魔力を持つ赤猿には届かない。だからこそ、


「――っ!」


 声を出すなどして気づかれないように、春樹が赤猿の背後から斬りかかる。

 ノアへの攻撃に注意を向けていた赤猿は、直前になって春樹の攻撃に気付くことになった。今や、春樹の攻撃も赤猿にとっては脅威になっている。右腕に持った棒を大きく振ってノアを後退させつつ、もう片方の手に創り出した棒で春樹が持つ黄緑色の剣を受け止める。金属音が鳴り響き、魔獣の膂力りょりょくに押された春樹の剣が大きく吹き飛ばされる。大きく仰け反るように体勢を崩したように見えた春樹は、笑っていた。


「この剣は、2本で1ついなんだ!」


 両手に持った剣で戦うのが、今の春樹の特訓相手である首里朱音しゅりあかねのスタイルだ。当然、春樹もそれを参考にしている。剣が弾かれた勢いを生かして身体を回転させると、後退するのではなく赤猿へと踏み込む。


「っらぁっ!」


 利き腕では無いが、左手に創ったもう1本の剣をしたから救い上げるようにして赤猿へと振るった。

 このままでは自身の腹から胸を斜めに裂くだろう黄緑色の斬撃を、赤猿は右手に持った棒で迎え撃つ。またしても響く金属音。黄緑色の剣が弾かれる。春樹は弾かれた勢いに逆らわず、むしろその勢いを生かしてまたも身体を回転させる。そして、今度は利き腕でもある右手で持った剣を、赤猿に振るう。魔女狩り騒動を経て感じた、自身の無力。このままでは優と天、2人の幼馴染には追いつけない。

 そう思った春樹が、恥を忍んで首里朱音に魔法の練習に付き合って欲しいとお願いした。そうして始まった、3週間にも及ぶ秘密の特訓。情け容赦のない首里の実戦練習で、日に日に増えた生傷。そうして生まれた傷こそが、春樹の自信であり、勲章くんしょうだった。


「らぁぁぁっ!!!」


 舞うように振るわれる黄緑色の連撃。力ではなく技を持って魔獣に立ち向かう春樹。弾いても、弾いても、自身に向けて振るわれる攻撃の気迫に押され、始めて赤猿が一歩後退する。


「退いたな、化け物?」

『ウガァ?!』


 すぐそばで発されたノアの声に、赤猿の眼が見開かれる。反射的に右腕をノアに振るうが、精彩さを欠く攻撃をノアは容易に避ける。そして、大ぶりの攻撃で今度こそがら空きになった右脇腹を、美しい西洋剣が深々と切り裂く。

 また、赤猿は両手でどうにか春樹の連撃を防いでいた。片方の手をノアへの対処に使ってしまったために、手数が足りなくなる。その隙を逃す春樹ではない。瞬時に深く踏み込んで、赤猿の左脇腹へ剣を突き刺す。そうして確かな一撃をそれぞれ与えたノアと春樹は武器を手放し、素早く赤猿の攻撃範囲外へと退避した。


『ゥガァァァッ!!!』


 度重なる傷に、業を煮やした赤猿は切り札を使うことにする。それは、先日、巨体の赤猿が獲物を取り逃がした際に見たらしい強烈なマナの波動だ。一点にマナを収束し、反発させて爆発させるものだろうと先ほど試していると、建物が崩壊してしまった。

 しかし、今、あの爆発を使えば周囲一帯を一掃できる。自身も生き残ることが出来るかは分からない。ともすれば敵もろとも心中することになるだろう。


 ――でも、やってみたい。


 好奇心が際立って強い小型の赤猿は、試さずにはいられない。自身の可能性をどこまでも追い続ける。そうして赤猿は生き残り、進化を続けて来た。窮地に陥って強まった生存本能で、赤猿は〈爆砕〉の魔法を使うことに決めた。

 努めて冷静に周囲を見つつ、手はずを整える。まずは〈魔弾〉を使ってノアと春樹、2人の敵を牽制しつつマナを収束させる。その塊を、奥にいる手負いのモノたちを巻き込むことが出来る場所で爆発させれば良い。


『……ァ?』


 そうして、赤猿は遅まきに気付いた。自身が最も警戒し、観察しようとしていた少年がどこにも居ない。


「行け、優!」「やれ、神代!」


 自分の左右にいる2人の敵――春樹とノア――の声と視線で、赤猿は背後を振り返る。案の定、そこには少年がいる。まだ対処は間に合う。痛みを押して身体を動かし、赤猿は優へと〈創造〉した2本の黒い棒を叩きつけようとする。

 しかし、跳び上がった優には遠くでこちらに手を向ける2人の先輩の姿が見えていた。


 ――最高の援護です、先輩方!


「「〈魔弾〉!」」


 赤猿の遠く背後で発された声と共に、若竹わかたけ色と牡丹ぼたん色の狙い澄ました〈魔弾〉が、赤猿の持っていた棒を撃ち落とす。その衝撃で両手がしびれるのを感じながら、それでも赤猿は思考を巡らせる。


 ――生き残るには。


 その一心で、自身の生存の道を探す。この時にはもう、赤猿の思考は生き残ることだけに向いていた。それは、狩られる側の思考でもあった。赤猿が何か大きく状況判断を誤ったわけでは無い。マナの扱いを知ろうと熱中するあまり、気付けば多く居た仲間が誰一人として居なくなっていた。ただ、それだけだった。


 ――まだ間に合うはずだ。


 そんな一縷いちるの望み無理矢理にでも距離を取ろうとした赤猿。その動きをノアと春樹が赤猿の足の甲をそれぞれの剣で突き刺して、地面に縫い留めようとするも、硬い骨に弾かれる。


『ウッ……ガァッ!』


 痛みをこらえて、優から距離を取ろうと後方へ飛んだ赤猿。赤猿の知る限り、優のの攻撃はおおよそ拳2個分20㎝。赤猿は最初、優に頬を切りつけられた時に優の得物であるサバイバルナイフの長さを、見えないながらもある程度把握していたのだった。

 一度距離を取れれば、マナの拡散――〈爆砕〉を使うことが出来る。その爆発の勢いに耐えること。それが、自分が生き残るための唯一の道だと、赤猿は手元にマナを集中させた。

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