第5話 “常識”の先に

 赤猿の正面に優、左右に春樹とノアがそれぞれ回り込むようにして赤猿へと駆けて行く。赤猿の背後には倒壊したクラブハウスがあり、少なくともこれ以上、猿の魔獣による援軍はない。優たちの後方、赤猿から15mほどの位置には魔力切れで倒れるモノと、彼女を介抱する片桐桃子。そして、2人を赤猿の遠距離攻撃から守ることが出来るよう、秋原理人が折れた左腕を庇いながら立っていた。


 ――それにしても、だな。


 赤猿との距離を詰めるわずかな間に、優は再三感じていた違和感の正体を探っていた。最初に感じたのは秋原の誘導のもと、黄猿と戦った時。続いて今日、先輩と合流する前に春樹が黄猿を倒した時だ。どちらの場合も、優の中には何かがおかしいという違和感があった。


 ――だが、嫌な違和感じゃない。どちらか言えば、俺たちにとって良いことのような……。


 考えながら駆けていると、足元がゴルフコートの芝から建物の敷地内を示す灰色のコンクリートへと変わる。それは赤猿との距離が完全に詰まったことを表していた。


『ゥガッ』


 全身を黒いマナで覆った赤猿の左腕による薙ぎ払いを、優は屈んで避ける。そんな彼を叩き潰そうとした赤猿が、50㎝以上ある手のひらを叩きつけた。しかし、それも優は左に転がることで避ける。赤猿が手のひらを叩きつけたコンクリートの地面には、鉄球を落としたようなヒビが入っていた。


 ――さすが魔獣、だな。


 硬い地面を転がりながら、当たれば即死だったと戦々恐々とする優。同時に彼の目は、赤猿の口の前で収束させていく黒いマナを捉えている。〈魔弾〉の前兆だが、問題は2度の回避ですぐには体勢を整えられないことだった。黄猿の時は仕方なく盾で受ける選択をしたが、今回は――。


「――させるか、よ!」


 優の窮地に飛び込んできたのは春樹だった。赤猿は優を叩き潰そうとしたために左腕を振り下ろしている。よってすぐに自分への攻撃は行なえないだろうと春樹は瞬時に判断し、自身の得物である剣の間合まで一気に踏み込んでいた。

 対する赤猿は、春樹の攻撃が脅威にならないことを知っている。春樹の攻撃を無視してもう片方、自身の右側から密かに迫っていたノアの攻撃に対処することにした。


『ガァッ!』


〈創造〉した黒い棒を持っている自身の右腕を振るうことで、ノアの剣先が届かない位置まで後退させる。と、その時、赤猿が持っていた黒い棒がすっぽ抜けて後方のクラブハウスの残骸へと飛んでいき、土煙を上げる。棒を握っていた赤猿の手から力が抜けた要因は、優が戦闘不能になる直前に死に物狂いで突き刺したナイフの一撃だ。手の甲を深く裂いた優の斬撃が、このタイミングで効き始めていた。


『ガッ……?』


 不測の事態に、それでも赤猿が焦ることは無い。落ち着いて、あとは脅威ゆうを魔法で射抜くだけだと思っていた赤猿だったが、突如として左腕に激痛が走った。視れば、春樹が振るった黄緑色の剣が、硬い皮膚と肉を少し抉ったところで止まっていた。


 ――先ほどまでは手加減していたのか?


 赤猿は瞬時に春樹の脅威度を引き上げて、地面に着いたままだった左腕を払って春樹を後退させる。しかし、それによって注意力が削がれ、〈魔弾〉の発射がわずかに遅れた。結果、その隙に、体勢を立て直した優は――、


『――ゥガッ』


 鳴き声と共に放たれたどす黒いマナの塊を、すんでのところで横っ飛びに避けることが出来たのだった。

 ノアへの牽制と春樹への対処によって、両腕を振り切った状態になっている赤猿。すぐに腕を振るえない今が好機だと、横っ飛びの回避から一転、優は攻勢に出る。右手に透明のサバイバルナイフを握り、赤猿の懐へと飛び込んだ。狙うのは、がら空きになっている赤猿の胴体だ。攻撃が当たらなくとも、注意を引き続けることが優の役割でもあった。


「ふぅっ!!!」


 右の準手に持ったナイフを、優が赤猿の左脇腹に突き刺す、直前。目の前からがら空きだったはずの赤猿の腹が消え去る。赤猿が後方に高く跳び上がったのだ。それだけではない。空中にいる間の隙を無くそうと優たちに向けて黒く大きな〈魔弾〉を1発、放つ。

「「くっ」」


 中空の赤猿を狙おうとしていた優たちは無理に追撃を行なわず、散り散りになるよう回避する。現状、一網打尽にされることだけは何が何でも避けなければならないからだ。それでも赤猿が見せたこの隙を逃すまいと、優たち3人は着地点と思われる場所に向けて自身の得物を投擲とうてきする。


 ――この隙にせめて、一撃だけでも!


そんな苦し紛れの攻撃は、やはりほとんど通じない。


『――ッ』


 着地と同時に腕を振るった赤猿によって春樹の剣は弾かれ、ノアの西洋剣は殺傷能力のない柄の部分が赤猿に当たる。ただ、唯一、優が投げた透明なナイフだけが赤猿の右太ももに突き刺さった。

 顔をゆがめた赤猿の反応と、太ももから出血する姿に、自身のナイフが命中したことを悟る優。一矢報いたことに内心で拳を握るが、すぐに気を引き締める。黄猿との戦いでもそうだったように、この任務中は、運よく自分の攻撃が当たることが多い。これで調子に乗っていては足元をすくわれる――。


 ――いや、待て。


 赤猿が困惑したように足を止めた隙に、優は思考の海に潜って、改めて任務でのことを思い出す。そう。思えばこの任務中、魔獣を相手に自分の振るう攻撃が思い通りに当たることがよくあった。


 ――違うな。黄猿に対してよく当たる、だ。


 例えば黄猿以外の魔獣を相手にすることも少なくなかったが、相変わらず魔力の低さに苦労した。しかし、黄猿についてはどうか。あまりに簡単に、優の思い通りに、攻撃が当たるのだ。つまり、上手く行き過ぎている。


『冗談抜きで、君が。君たちが。世界の運命を変えるのかもしれないね』


 そんなモノの声が聞こえる。もしかしてこれもシアが持つ【物語】の影響なのかと考えて、優は首を振る。何事も、安直な理由を求めてしまうのは良くない。何か見落としていないか。そう考えて優が思い出すのは、やはり、再三感じていた違和感だった。


 ――そうか、俺だけじゃない。


 例えば2体の黄猿を分断するために使われたモノの〈散撃さんげき〉。例えば、春樹の背後からの奇襲。他にもある。赤猿から撤退する時、モノが〈創造〉したらしい見えない壁に赤猿が翻弄されていたこと。優が黄猿6体をおびき出す時に投げたナイフが命中した時もそうだ。“猿の魔獣”を相手にしたときだけ、“奇襲”が成功しやすいのだ。

 通常、体外に放出するマナと野生の勘を持つ魔獣への奇襲は、そうそう簡単に成功しない。しかし、なぜか猿の魔獣を相手にしたときだけは、その限りではない。


「もしかして。いや、でもな……」


 優はとある可能性に思い至って、首を振る。そんなことはあるのだろうかと。しかし、魔獣について学び、良く知る優。そんなこと、あるはず無いと結論づけようとして。


『はい、優クン。それは固定概念で、危ない考え』


 ズビシッと銀色の髪を揺らして優のことを指さすモノを幻視する。


『魔法の練習とは、想像力との戦いだ』

『常識をぶち破ってみない?』


 大規模討伐任務に向けて天や春樹、シアと共に受けた魔法の練習でモノが語っていたことを思い出す。

 もっと考え方を柔軟にして、優は赤猿を観察する。優が投げたナイフが刺さった右の太ももを、赤猿は不思議そうに見ている。まるで、自身に何が起きているのか理解できていないようではないか。


「やっぱり、そうなのか……?」


 無色のマナを感じ取ることが出来ていない。それは「マナの漏出」という魔獣最大の弱点であり強みでもある特徴を、猿の魔獣がしている可能性を示していた。

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