第4話 それぞれの覚悟

 ノアが撤退しやすいように、優と春樹が声をかける。


「クレアさんのためだろ、退いても誰も、文句は言わない」

「優の言う通りだ。ここまで戦ってくれて、サンキュー……メルシーな!」


 その言葉に甘えようと、ノアは一度構えを解く。ノアにとって、最も重要なことはクレアを守り、そばで支えることだ。そのためには、どう見ても絶望的な現状に背を向け、クレアのもとへ生還しなければならない。そう分かっていても。


「いや、神代、瀬戸。ボクは戦う」


 ノアは海のように青い瞳で赤猿を睨み、今一度サックスブルーの剣を構え直す。確かにノアにとっては己の命が最優先だ。だが、クレアはあの日、ノアに言っていた。優と春樹、彼ら2人と共に生きろと。


 ――今こいつらを見放して帰ったら、クレアはボクをで見るだろうからな。


 思い返すのは、魔獣を殺し尽くすという約束を反故ほごにしようとしたときにクレアが見せた、冷たい目だ。生命力あふれるクレアの瞳から輝きを奪ったのが魔獣との戦いではなく、自分だったこと。ノアはそれが、許せなかった。

 ただクレアの隣に居られれば良いわけでは無い。胸を張って、自身の存在価値を示し続けること。自分が、クレアという1人の家族を守れるのだと証明すること。それこそが、ノアが本当にやりたいことであり、魔獣と戦う理由だった。


 ――それに、魔獣を1体でも多く殺すこともクレアとの約束だからな。


「約束は、守ってみせる」

「「ノア……っ!」」


 不退転の決意を見せたノアに、優と春樹が声を弾ませる。


「別にお前たちのためじゃない。クレアのためだ」


 ノアとしてはただ事実を語っただけなのだが、優と春樹からすれば、照れ隠しにしか聞こえない。緩みそうになる気持ちと口を必死に引き締めて、優と春樹は赤猿の動きに全神経を集中させる。

 そして、改めて討伐への道筋を考えるも、3人とも同じ結論にたどり着く。


 ――厳しい。


 正直、セルのリーダーであり、天人でもあるモノを少なからず頼りにしていた3人。権能があれば、ある程度の魔力差もひっくり返すことが出来ただろう。

 しかし、モノは魔力切れで気を失っている。残されたのは、消耗した人間5人だけだ。秋原の予想とモノの〈探査〉による情報を総合すると、赤猿は常人の7倍近い魔力を持つ。対して、優たちは全員合わせても万全の人間3人分程度のマナしか残っていない。しかも片桐はモノの手当て、秋原は腕を骨折しており戦いに加わることが出来ない。

 となると、優たちが取ることの選択肢はただ1つ。魔力を使わずに赤猿の猛攻をいなし続け、消耗したところを叩くしかない。そして、それを行なえるのは、無色のマナで人を傷つけないという信念のもと、日頃から消耗戦に特化した訓練をしてきた自分だけだと、優は判断した。


 ――もしかして、モノ先輩はこれを想定して俺を助けたのか……?


 いや、そうだろうと優は思うことにする。たとえ勘違いだとしても、天人に信頼してもらえていると思い込むだけで不思議と力が出た。


「俺が、囮になる」


 優が自身の左右3mほどの位置にいる春樹とノアを交互に見やって言う。拳の一撃で人体を砕く力を持つ赤猿の攻撃をかわすことは容易ではない。加えて今の赤猿は、見よう見まねではあるが〈身体強化〉の魔法を使っている。攻撃がかするだけでも致命傷になりかねない。


「……できるのか?」


 ノアの問いかけに、優は作戦会議でノア自身がモノに言っていた言葉を借りる。


「『やるしかない。それだけだろ?』だったか? ここで俺が役に立たないと、片桐先輩に怒られそうだしな」

「はんっ。そうかよ。なら言わせてもらう。『ボクの心配を返せ』」


 鼻を鳴らしたノアも、優と同じく自身が言った言葉を引用するのだった。


「春樹。ノアと一緒に、隙を見て少しずつ赤猿を削ってくれ」

「おう。弾かれないように、ちょっと武器を変える」


 そう言った春樹が手元に創り出すのは、全長80㎝の刀身が細い両刃の剣だ。3人で戦うことを意識して槍を使っていた春樹だったが、本来、得意な武器は剣だ。慣れない槍が赤猿に弾かれてしまった以上、イメージしやすい剣で戦うことに決める。そして、春樹が手元に作った黄緑色の剣は、ここ最近、春樹の特訓相手を務めてくれている紅色のマナの持ち主――首里朱音しゅりあかねが使うものと同じだった。


「瀬戸、それなら魔獣を斬れるのか?」

「まぁな。この剣がよく斬れることは、身をもって知ってるんだ」


 苛烈かれつな少女による、苛烈な特訓。首里が振るう剣によって春樹の腕や顔に刻まれた生傷は、恐怖と頼もしさと共に強烈なイメージとして春樹の中に残っていた。

 武器を手にする仲間2人を確認して、優が頷く。


「じゃあ春樹、ノア。俺の命、存分に使ってくれ」

「任せたぞ、優。……死ぬなよ」

「期待せずに利用させてもらうぞ、神代」


 赤猿との死闘を前に、それでも優、春樹、ノアの3人は余裕すら感じさせる顔で笑っていた。


『ウガァ……』


 そうして余裕を、言い換えれば隙を見せる人間たちを前に、赤猿はなおも動かないでいた。その理由は主に2つある。

 1つは、間違いなく殺したはずの優が戻ってきたことだ。赤猿はから優を一番の脅威だと思っていた。だからこそ、優を最初に無力化した。しかし、どういう訳か、その脅威が再び戻ってきたのだ。知恵があるとはいえ一介の魔獣でしかない赤猿にとって、天人が権能と呼ばれる特別な魔法を使えることなど知る由もない。赤猿からしてみれば、魔獣である自分同様、優の身体にも特別な力マナがあるように見えていた。

 もう1つの理由は知恵があるからこそ存在する好奇心だ。目の前の人間えさたちは、特別な力マナを使いこなしている。自分には無い技術を持っている。彼らと戦えば、より深く自身の中に宿る力を知ることが出来る。


 ――もっと知りたい。強くなりたい。


 本来は黄猿という、ただの分裂型の魔獣でしかなかった。しかし、生存本能という根源的な欲求が食欲と好奇心を強くし、赤猿という2体の特別な個体を生み出した。1体はその巨体で他の魔獣を圧倒し、もう1体は試行錯誤して得た力の使い方――魔法を仲間に教える。そうして全員で生き延びてきた。だからこそ、仲間からも頼られていたのだ。


「じゃあ、――行くぞ」

「おう」「はんっ」


 息を合わせて近づいてくる優たちを、赤猿はただただ観察し続ける。人間を餌に過ぎないと過小評価せず、観察対象として、学習し続ける。特に、理解できない力を持つ目の前の少年を知り尽くしてから殺そう。好奇心にはやる気持ちをこらえながら、赤猿は優に向かって左手を振るった。

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