第三幕……「ここにある奇跡(いま)を大切に」
第1話 可能性の話
生存本能に従って己を進化させ、危機を脱しようとする魔獣。その姿を透明な建造物の
薄く笑った桃色の唇が
「〈公正〉」
権能の名を口にした瞬間、赤猿の変化が逆再生したように元の巨体へと戻り始めた。やがて肉塊の変化が止まった時、そこには全身が血を流す赤猿の姿がある。ところどころ
『ウギィ……』
指先が無くなった手のひらを眺めた赤猿は、ようやく、変態が失敗したのだと気づく。そうして呆然と立ち尽くすことしかできない獲物を見逃す特派員では無い。
「「はぁぁぁっ!」」
片桐と秋原が剣と斧でとどめを刺そうと駆け出す。瞬間、モノの中に虫の知らせとも言うべき、良くない感覚が走り抜ける。その勘を頼りにモノが背後――クラブハウスを見遣った時だ。
突如として廃墟となっていたクラブハウスが爆発した。同時に、瓦、ガラス、鉄骨、タイルにコンクリート。大きさも材質も異なる無数の瓦礫が優たち三校生と瀕死の赤猿を襲う。モノがそれに反応できたのは、ひとえに、自身の直感を信じていたからだった。
「〈創造〉!」
自分たち全員を守ることが出来る透明な分厚い壁を瞬時に魔法で創り出し、飛んでくる瓦礫からセルのメンバー全員を守る。壁の大きさは赤猿と自分たちを閉じ込めるために創った建造物と同じ、幅10m、高さも10m。とっさの〈創造〉であるため強度は落ちる。そう考えて、モノは余裕を持って壁の厚さを50㎝ほどで創り出した。
分厚い金属の壁に、様々な物が当たったような音が響く。透明な壁のその背後では、クラブハウスが倒壊する様がよく見て取れた。
「桃ちゃん、秋原クン! 赤猿にとどめ!」
「う、うんっ」「おうよ」
モノの指示を受けて、片桐が斧で赤猿の首をはね、片桐が心臓に剣を突き刺す。悲鳴をもらすことも許されなかった赤猿の巨体は地響きを立てて崩れ落ち、黒い砂になり始めた。
敵の総大将の討伐。しかし、優たち三校生に緊張を解く様子はない。むしろ、より張り詰めた空気がゴルフ場には漂っていた。その理由は、崩れたクラブハウスにある。
「うーん……。そうだよね。黄猿が分裂型だったってところで、その可能性も考えるべきだったのかも」
消耗と緊張。2つの意味で汗をかくモノが言って、見つめる先。クラブハウスの粉塵から、1体の魔獣が姿を見せた。
見た目は黄猿と同じで、体高も2mほど。ただし毛の色は赤猿と同じで、返り血が固まったような赤銅色をしている。
「もう1体の赤猿、なのか……?」
目を見開いた春樹が、その魔獣の名前を呼ぶ。創り出した壁が消失した瞬間、モノは改めて〈探査〉を行なう。最初の探査の際には感じられなかった強大な魔力を持つ存在が1つだけ、そこにはある。建物内部に潜んでいたために、モノの〈探査〉の網をかいくぐっていたのだった。
自分を通り抜けていった透明なマナに反応したように、
『ゥギィアァァァーーー!!!』
先ほどまで戦っていた巨大な赤猿に勝るとも劣らない声で、小さな赤猿は叫んだ。
「そうか! 黄猿の突然変異個体が赤猿なのか」
「だったら何なの、秋原君?」
「赤猿が複数体いてもおかしくなかったってことだ」
秋原と片桐。2人の会話を聞きながら、優も納得する。分裂型の魔獣の特性として、共食いの習性がある。互いに拮抗した力で食うか食われるかの生存競争を繰り返せば、生き残ろうとする種の本能が突然変異を起こしてもおかしくない。そうして生まれた特別強い『赤猿』という個体に、他の黄猿が統率された。これが、この場所で猿の魔獣が脅威になり始めた理由なのだろう。そう優は推測した。
「考察は後。周囲に赤猿以外の反応無し、魔力は人間7人分! みんな、構えて!」
モノの言葉に、全員が〈身体強化〉を使用して構えを取る。クラブハウスを背にして立つ赤猿から15mほどの距離を置いて、優たち6人が扇状になって取り囲む形だ。
そんな中、冷静を装いながら、モノは内心、唇をかみしめていた。小さな赤猿は先ほどの巨大な赤猿と同じ、人間7人分程度のマナを持っている。他方、度重なる大規模な〈創造〉と権能の使用によってマナを大きく損耗しているモノ。残った魔力は2割ほどで、魔力切れのことを考えるともう権能などは使用できない状態だった。
さらに言えば、片桐と秋原も大きな赤猿との戦いで体力・マナともに消耗している。苦渋の決断にはなるが、モノはマナに余裕のある後輩たちを主力として戦うことに決めた。
「……赤猿の相手は優クン達9期生3人。私たち8期は周囲の警戒と援護――」
「あたっ……何?」
モノが作戦を伝えていると、片桐が短い悲鳴を上げた。同時に、優たちの足元でも何かが地面を叩く音がする。この時、高く舞い上がった瓦礫が上空から優たちを襲っていたのだった。
重力に従って降ってくるガラス片や瓦。当たれば戦闘に支障が出るどころか、最悪、重傷を負うことになる。しかし、赤猿から視線を切るわけにはいかない。結果、モノが全員を守る透明のドーム〈防壁〉を作ることで対処するしかなかった。
「ふぅ……。それじゃあ、優クン、瀬戸クン、ノアクン。よろしく!」
〈防壁〉を解除したモノが、改めて作戦開始を告げる。マナが減った中での、更なる魔法の使用。通常なら焦る場面だが、モノの顔には笑顔がある。それは余裕から来るものではない。何かを納得したような、そして、今回選んだ任地が期待通りだったことに対する満足感から来る笑顔だ。
――これは、あの子の力? それとも優くん自身の?
まるでこうなることが決まっていたような展開に、モノは口の端を緩めたのだった。
リーダーのモノが発した指示のもと、優たちは小さな赤猿へと駆け出す。モノたち8期生も周囲の警戒をしながら援護もできる。そんな適切な距離を取ることが出来る場所へと移動を開始した。
「俺が引き付ける。春樹とノアで仕掛けてくれ」
優がそう言って、赤猿の真正面に立つ。改めて見る赤猿は2mほどの大きさだった。腹は出ておらず、黒い肌で覆われた胸とお腹には美しい筋肉が浮き出ている。毛の色は赤銅色。足はそれほどでもないが、長い腕にも立派な筋肉がついていて、素早い攻撃を仕掛ける武器にも、体を守る盾にもなっていた。
顔は猿の魔獣らしく、サルに近い。白目のない黒い瞳に黒い瞳孔を持つ目が2つ、優をじっと観察している。注意を引くと言った以上、あえて優から仕掛けて赤猿を釘付けにすることにした。
「ふぅっ――」
手元に創り出した透明なサバイバルナイフを、赤猿目がけて振るう。狙うのは高い位置にある頭だ。多少無理をしても、まずはきちんと自分に注目してもらう必要があった。
赤猿は自身の顔面に向けて突き出された優の攻撃を首の動きだけでかわそうとする。が、目測を誤ったのか優のナイフが頬をかすめる形になった。
『ギィッ……?』
優を脅威と認め後退して距離を取った赤猿。狙い通り優に注意が向いたところで、
「ぅらぁっ!」「ふっ」
春樹の槍とノアの剣が赤猿の両側面で振るわれる。が、響いたのは金属がかち合ったような音だ。それは、春樹の武器が赤猿の濃密なマナの鎧によって防がれた音だった。他方、ノアの武器も赤猿の腕を軽く割く程度に止まる。
『ガァ……』
この一瞬で、誰が敵で誰が敵にならないのか見極めた赤猿が、動き出す。狙いは、攻撃が弾かれて大きく体勢を崩した春樹だ。強く握りしめた拳を彼目がけて、放つ。
「させない!」
もう一度、自分に注意を向けさせようと、優が赤猿の頭部目がけてナイフを振るう。高い位置にある赤猿の頭を攻撃するには、どうしても体を伸び上がらせなければならない。そうして生まれる隙こそが、赤猿の狙いだった。
脅威にならない春樹を囮に使って、優・ノアという自身にとっての脅威を排除する。この程度の戦略は、赤猿にとって朝飯前だった。
『ゥギッ』
春樹を狙っていた右拳を目にも止まらない速さで引いて構え直し、今度こそ優に向けて放つ。狙いは赤猿の顔を狙うために伸び上がり、がら空きになっている優の腹部だ。この時になってようやく、赤猿の狙いが自分だったことに気付いた優。
「優!」「神代!」
春樹とノアの声が聞こえた時には、もう既に赤猿の攻撃は不可避の場所にあった。瞬間、思い出すのはモノが言ったこの作戦の基本方針。いわく、死んでも刺し違えろ。
瞬時に準手に持っていたナイフを逆手に持ち換える。そして、
「はぁぁぁっ!」
赤猿の側頭部を向けて突き刺そうと腕を振るうも、その攻撃が届くよりコンマ数秒早く。赤猿の拳が優を捉える。日頃の鍛錬と〈身体強化〉によって鍛え上げた優の筋肉の盾も、赤猿の拳の前では無力だった。
何かが折れ、何かがつぶれる致命的な音が身体の中で響く。それでも優は、足掻く。吹き飛ばされるまでの刹那の間に、右手に持っていたナイフを赤猿の右腕に突き刺す。
しかし、その結果を優が見届けることは叶わない。自身の口から噴き出た血を見ながら、優は殴られた勢いそのままに宙を舞っていた。
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