第10話 正しき姿へ至れ――

 黄猿の〈魔弾〉を受けつつも、優はどうにか2体の魔獣を倒し切った。

 足元に転がる黄猿の死体が先端から黒い砂に変わり始めたことを確認して、優は小さく息を吐く。次は春樹とノアの援護だ。そう思って優が視線を上げると、残った黄猿は1体だと言うことが分かる。意外にも、ノアが相手取っていた黄猿が健在だった。

 優が加勢しようと駆け出す直前。視界に入ったのは一足先に黄猿を倒し切っていた春樹だった。ノアへの攻撃に集中するその背後へ静かに駆け寄り、心臓を目がけて直剣を突き刺す。


『ゥギィァァァ!』

「のわっ?!」


 痛みにもだえ身をよじった黄猿の動きで振り落とされるも、春樹は上手く着地する。同時に黄猿に刺さっていた黄緑色の剣が消失すると、栓が抜けたように黄猿の胸部から大量の血があふれ出す。

 致命傷だと判断して、春樹もノアも黄猿から距離を取る。しばらくやみくもに腕を振り回していた黄猿だったが、やがて、静かに息絶えた。


「よっしっ!」

「ボク1人でも倒せた!」

「だろうな。でも、先輩たちの所に行かないとだ。早く倒した方が良かっただろ?」

「……確かに、そうだな」


 春樹とノアがそんなやり取りをしながら、優と合流する。辺りには5つの黒い砂の山がある。1つ足りないのは、ノアが相手取っていた黄猿が仲間を捕食してマナを補給したためだ。少し魔力が高くなった結果、ノアは黄猿の討伐に手間取っていたのだった。

 ノアの〈探査〉で周囲に討ち漏らしが無いことを確認し、優たちは先輩たちの待つ下階へと急ぐ。割れたガラスや倒壊する可能性があるクラブハウス内は通らず、駐車場からゴルフコースへ続く階段を利用することにした。

 その道中のこと。


「春樹、ノア。さっきの黄猿、変じゃなかったか?」


 優が、言葉にできない違和感があったことを口にする。その言葉にノアは怪訝な表情を浮かべ、春樹は素直に聞き返した。


「違和感か?」

「ああ。なんか、こう、簡単すぎると言うか、何かを見落としているというか……」


 思えば、任地の初日。初めて黄猿と接敵した時も優が感じた違和感だ。あの時はてっきりモノの悪巧わるだくみかと思ったが、今回はモノが居ない。と言うことは間違いなく黄猿に対する違和感だった。


「……戦闘中だったから、ボクは分からなかったな」


 そう言ったノアも、春樹も、優の違和感の正体を推測することが出来ない。もう少し深く考えようとした優の耳に、


『ゥガァァァッッッ!』


 腹の底まで響く野太い声が聞こえてくる。方角は前方。モノ、秋原、片桐の8期生3人が戦っている場所だった。


「赤猿か……。急ごう!」


 クラブハウスの角を曲がると、建物の正面――ちょうど1番ホールがある見晴らしのいい芝の上が戦場になっていた。練習場で黄猿と戦っていた8期生たちは赤猿の出現と共に、より戦いやすい開けた場所へと移動していた。

 優に気付いたモノは瞬時に〈探査〉を使用して周囲の敵を警戒すると同時に、優たちの残りの魔力を感じ取る。消耗はしているが、モノの予想ははるかに上回る量のマナを残していることに小さく笑みを浮かべた。


「お帰り、みんな! ちょうどこれからメインディッシュってところ」

「9期の子たちは周囲の警戒。加勢の順は作戦通りに!」


 叩き潰そうとしてくる赤猿の拳を避けるモノと、その拳に一太刀入れる片桐が優たちに指示を出す。


「「「了解(だ)」」」


 赤猿と戦うモノたちが中心には居るよう、三角形に陣取る優たち。


「黄猿の1体が魔法を使いました! 赤猿も魔法を使う可能性が高いです!」


 優が黄猿との戦いから得た情報を伝えると、8期生たちも頷いて、モノを中心に作戦を立てていく。見上げるのは高さ約5m、太ったお腹は横幅3mありそうな赤銅色の毛を持つ巨体。猿との違いは、目が正面と側面に2つずつで計4つ、ついていることだろう。

 この魔獣を倒すための手段を、初めての接敵した時にモノは考えていた。先日、拠点になっていた家を覆う巨大な〈防壁〉を作ったのも、この時のためだった。


「――それじゃあ、やろうか。桃ちゃんと秋原クンは地上で。優クンたちは死なないようにしてね!」


 モノがそう言った瞬間、優たちが見ていた景色が一瞬だけブレる。それは、赤猿を中心とした半径10m、高さ10mある巨大な円筒状の構造物をモノが〈創造〉した証だった。マナを惜しげもなく使った創造物は赤猿と三校生6人を覆う檻になる。誰か1人でも死ねば全員が死ぬ作戦だ。相手が死ぬか、自分たちが死ぬか。2つに1つの作戦だからこそ、モノはこの作戦を立てる。

 そして、モノが巨大な檻を作った理由。それは――


「おいおい、マジかよ」


 秋原が見えない階段を上って行くモノを見上げる。無色透明の建造物を上がって行く姿は、傍から見れば空中を蹴っているように見えるだろう。無色ゆえの神秘的な光景に、モノ以外の全員が目を見張る。モノは赤猿の巨体を相手に、立体的な動きで対応しようとしていた。

 赤猿の視線は、最も魔力が強大で、最も目立つモノに向けられる。そうして上を向くと、当然足元が見えなくなる。そこには若竹わかたけ色の長い両刃剣を構える秋原と、牡丹ぼたん色の1mはある大きな斧を握る片桐が居て、


「はっ!」「せいっ!」


 威勢よく振り切った2人の武器が、地面につけられていた赤猿の両腕を浅く抉った。モノが何をしたのかを理解せずとも、瞬時に魔獣の隙をつく狩人としての嗅覚は、1年以上も死地を生き残って来たからこそ培われたものだった。

 不意の一撃を加えて来た足元の人間に赤猿が目を向け、腕を振るって薙ぎ払おうとするも、


「はい……バンッ!」


 中空の足場を駆けながらモノが放つ透明の〈魔弾〉が赤猿を襲う。〈感知〉を持つ魔獣に対して無色の優位性は無い。よってモノは数で押し切ろうとする。

 野性の勘と、太った見た目に見合わない機敏さで数発は防いだ赤猿だったが、天人が放つ強力な弾丸に肩口をえぐられることになる。鳴り響くのは重い金属がぶつかるような音だ。痛みを堪え、厄介だとモノへ右の拳で反撃を試みる赤猿。


「おっと」


 軽くバク宙を決めて避けたモノ。しかし、赤猿の拳はモノが〈創造〉した構造物に当たり、破壊する。ガラスが割れるような音ともに崩壊する透明の檻。しかし、モノは天人になる前から数十年以上もマナの扱いに親しんでいる。よって、


「〈創造〉――“断罪の檻”」


 瞬時に足場と檻を再形成し、再び駆け出した。もちろん、赤猿の注意がモノに向けば、足元がお留守になる。秋原と片桐が小さなダメージを蓄積させていく。赤猿が〈魔弾〉を使おうと黒いマナを凝集させれば、


「ふっ!」


 優が投げる透明な針が凝集を阻害し、不発に終わらせる。例え優の試みが上手く行かなくとも、


「受け止めずに、逸らす!」

「どくんだ、片桐」


 春樹やノアが先輩たちに迫る脅威を〈創造〉した盾で排除する。

 赤猿が魔法の使用に集中すれば、またも、上空からモノの攻撃が降り注ぐ。赤猿が見よう見まねで黒い棒を〈創造〉して振るおうにも、モノが作った見えない足場の生えた建造物が邪魔になって上手く創れない。創れたとしても、見えない足場が振るった棒を阻害してくる。

 モノの大胆な魔法、秋原と片桐が培ってきた戦闘の嗅覚、優たちの最低限ながら適切な援護。強大な敵を相手に、マナをすり減らしながらも行なわれる慎重な戦闘の運びは、ゆっくりと、ゆっくりと赤猿を追い込んでいた。


 ――どうして。


 赤猿は思わずにいられない。1人1人は小さな餌だ。これまで食べて来た100を超える存在と何も変わらない。自分は捕食者で、彼らは弱者――食べられる側の存在なはずだ。にもかかわらず、今こうして、自分は狩られようとしている。

 赤猿の頭部を強烈な一撃が襲う。一瞬だけ赤猿の意識が飛ぶも、どうにか持ちこたえる。自分の最期は近い。であれば。


 ――アイツだ。あの銀色のメスが最も脅威になる存在だ。


 その他は後回しにして、せめてあいつだけでも。可能であれば、に献上しようと思っていたが、仕方ない。あの方に教えてもらった方法で、自分は自分の役割を果たそう。

 その赤猿の行動は、突然だった。


『ゥッ……ガァァァ! ギァ……ウギァッ!』


 赤猿は、指、肩、太ももと、自身の身体を食べ始めたのだ。それは己の身体を食べて変態しようとする本能からくる魔獣ならではの行動だった。


 ――この巨体が動きを阻害している。であれば、より小さな身体になって、マナの濃度を上げるしかない。


 そんな赤猿の思考は、しかし、1年以上も特派員として魔獣を観察してきた人々には見え透いていた。


「変態しようとしてるぞ! モノ、どうする?!」


 真っ先に赤猿の意図を察した秋原が、中空に立つモノを見上げる。が、すぐに黒いタイツで覆われたスカートの中が見えそうになって目線を逸らした。

 そんな秋原を愛おし気に見つめたモノは、しかし、すぐに表情を引き締める。


「ピンチになったから、進化しようとする。そんな【不正】は、私が許さない……ってね」

『ゥギィァァァ!』


 モノが言い終わると同時、ついに赤猿の変態が始まる。全身が泡立つように膨らんだかと思うと、収縮を始める。身体を小さくしようとした赤猿の意思を汲んで、マナが体を再構成していく。そんな赤猿の悪あがきを上空から見下ろしながら、ゆっくりと右手を掲げたモノが言の葉を紡ぐ。


かたよりなく、中立で。等しき中に、正義在り。あらゆる存在全て今、正しき姿へ至れ――」


 もう少し。あと少しで赤猿の願いが叶う、寸前で。


「――〈公正〉」


 天人かみの裁きが下された。

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