第9話 “違うこと”と“同じこと”

 首を落とした黄猿が黒い砂になり始めたことを確認して、優は自身の背後に回ろうとしていたもう1体の黄猿を探す。その過程で残りの2人の様子もちらりと見ておく。まずは春樹だ。相手取る2体のうち、1体は優に足を負傷させられ機動力が大きく落ちていた個体だった。黄猿はまだどちらも健在だが、戦う春樹には余裕があるように見える。

 次にノア。魔獣が1体に減っていることから、もう既に1体を倒したのだろうと優は予想する。だとすると、もう1体もじきに倒されると予想できた。


 ――俺は自分の相手に集中すべきだな。


 優は、背後で四肢を付き、こちらを警戒しながら見つめている黄猿に目を向ける。不意を突いたこともあって、黄猿1体に対して優が使用したマナはごくわずか。まだ9割近いマナが残っている。しかし、油断はできない。この後、春樹やノアの加勢はもちろん、赤猿を相手取っている先輩たちとも合流する予定だ。まだクラブハウス内に黄猿が残っている可能性もある。マナは節約するに越したことは無かった。


「ふぅ……」


 大きく息を吐いて気持ちを整え、黄猿と正対する。先に動いたのは、優だ。黄猿にかける時間を少なくし、早く先輩たちと合流することもまた、優たちには求められていた。

 先ほど同様、緩急と人体の眼の動きの特性を考えた突貫を行なう。が、黄猿にも少なくない知性がある。仲間がやられるまでの優の動きを見ていた黄猿は、待つのではなく優に攻撃を仕掛けることにした。

 姿勢を低く駆ける優に対し、腕を払って牽制を入れる黄猿。牽制とは言っても、長い腕と魔獣の膂力りょりょくを生かした攻撃であることには変わらない。直撃すれば深手を負うことになるため、優は立ち止まることで拳を回避する。


『ゥギギャ!』


 鋭く鳴いて、黄猿が優にたたみかける。長い腕を突き出し、優を殴りつけようとしてくる。しかも、片方の手は防御に回すと言う周到さも見せた。

 身長と同じく2m近くある黄猿の右腕から放たれる高速連打。1撃1撃が、当たれば人の頭蓋を割る必殺の攻撃。加えて、腕と武器を足した距離で負けている優は、防戦に回るしかない。ただし、直線的な攻撃を見切ること自体は優にとって、難しくなかった。


 ――触手の魔人の方が厄介だったな。


 魔力切れで倒れたシアを襲った触手の魔人による猛攻と黄猿の攻撃を比べながら、優は最小限の動きで冷静にかわす。そして、黄猿による6度目のパンチが優の顔に迫った時。


 ――ここだ。


 優は右手にサバイバルナイフを〈創造〉しながら少し大きめに避ける。なかなか当たらずにムキになった黄猿の伸びきった右腕の手首の内側――ペイントボールがあった場所――を下から切りつける。が、勢いが足りず、骨に当たって止まる。それでも、プツンと何かを断ち切る感覚だけを確認して、優は〈創造〉を解除して距離を取った。


『ゥギィィィ!』


 そう叫ぶ黄猿の右腕は、開かれたままになっている。腕のけんを優が切ったためだ。相手の武器を1つ1つ奪って行けば、自分にも勝機がある。優はそう考えていた。

 暴れて隙を見せなかったのは、優を殺さんとする黄猿の執念のたまものかもしれない。血走った目で優を睨む黄猿は、優に向けて口を開く。何事かと観察をしてしまったがために、今度は優が反応を遅らせることになった。

 黄猿の眼前に黒いマナが集まって行く。


「〈魔弾〉かっ!」


 いつものように形成途中の〈魔弾〉に透明の針を当てて無力化しようと優が考えた時には、黄猿が放った〈魔弾〉はもう既に優へと迫っていた。

 こうなると、優に避ける選択肢は無い。背後に戦闘中の春樹かノアがいるかもしれないからだ。もし戦闘中にどこからか〈魔弾〉が飛んでくるようなことがあれば、大惨事になることは想像に難くない。そうなる“可能性がある”というだけで、優の行動は大きく制限されていた。


「ちぃっ」


 舌打ちをしながらも優は脳内でシミュレートするのは先日、シアの婚約発表会場で行なった〈魔弾〉の受け流しだ。丸い盾と柔らかな膝の動きを使った、超絶技巧。敬愛する妹の姿を思い浮かべてもう一度、行なうが、しかし。優はあくまでも、凡人だった。前回できたから今回も、といかないのが現実だった。

 盾に当たった瞬間、力を分散し切れずに〈魔弾〉が破裂する。その衝撃に優は3mほど吹き飛ばされ、地面を転がることになった。

 幸いなのは、盾に当たったことだろう。直撃による身体の部位の欠損などを負うことは無かった。それでも、吹き飛んだ優は半ばアスファルトの地面にたたきつけられるような形になる。


って……っ?!」


 明滅する優の視界に、影が重なる。本能に従って優が右に転がった瞬間、先ほどまで彼が居た場所を黄猿の左腕が粉砕していた。

 ふらつきながらもすぐに立ち上がり構え直す優は、またしても黄猿の眼前に凝集されていく黒いマナを目撃する。


 ――やばい!


 一瞬の判断ミス。刹那の反応の遅れ。自分の武器になっていた“冷静さ”が諸刃の剣だったのだと気づいた時には、またも優に黒いマナ塊が迫っている。だが、まだ焦ることではないと自分に言い聞かせ、本能のまま〈魔弾〉を回避しようとした優の中に、またしても仲間が居る可能性がよぎった。

 実際には、最初の場面も、今の場面も、優が避けた場合のリスクは無かった。しかし、10mも無い距離から時速100㎞を超える速さで迫る〈魔弾〉が到達する刹那の時間に、背後を確認する余裕などない。


 ――これが、仲間がいることのリスクか。


 他人の命を背負わず、あくまでも個々人で戦うべきだと言っていたノアの考え方が、実感として優の中に湧く。なるほど、全て自己責任であれば、避けた先に仲間が居ようと、問題ない。少なくとも自分は生き残れる――。


「違うな」


 なおも冷静に、優はつぶやく。そして、今度は確実に受け止めるべく大き目の盾を〈創造〉して構える。

 優は生き残りたいのではない。天を、春樹を、シアを、仲間を……。みんなを守りたいのだ。今もなお熱をくれる格好良いヒーローのように。例えその身が尽きようとも、ヒーローは後ろにいる人々を守っていた。


 ――だから、俺も。


 優が構えた盾に、黄猿が放った〈魔弾〉が着弾する。またしても衝撃で吹き飛ばされるだろう優に追い打ちをかけようと駆け出す黄猿。しかし、優は踏ん張って耐えることが出来ていた。その理由は足元にある。戦闘の余波でえぐれたアスファルトの地面に足をかけることで、踏ん張ることが出来ていたのだった。

 予想が外れて、黄猿の中に一瞬迷いが生じる。このまま獲物ゆうに突撃するべきか、否か。黄猿が出した答えは、


『ゥギィァァァ!』


 突撃だった。自身の身体能力を把握しているからこその判断。守るべき首も、心臓も、片手で守れば良い。そう考えながら右手を上げようとして、気付く。いや、思い出したと言うべきだろう。もう、己の右腕が使い物にならなかったのだということを。

 半ば知能があるからこそ、その事実に混乱し、パニックになる黄猿。敵である優を排除しようと、動く左手を懸命にふるうも、余りに精彩を欠いた攻撃になった。結果、自ら進んで優に無謀な突進をする形になる。

 今度は冷静さを武器に変える番だ。優は姿勢を低くして、黄猿の左手による薙ぎ払いをやり過ごす。


「はぁっ!」


 頭上スレスレを通り過ぎって言った黄猿の左腕を感じながら、優は足をかけていたくぼみを使ってを作り、勢いよく前に飛び出す。その手には無色透明なサバイバルナイフが握られている。狙うは足。十分な威力を持った優のナイフは、すれ違いざまに黄猿の右足首を切断した。

 足先を失い、地面を転がる黄猿。体勢を立て直そうにも、右足を失い右腕も使えない状態では、うまくバランスが取れず起き上がることが出来ない。足掻く黄猿は、自身を見下ろす黒い狩人を見上げる。


 ――自分は狩られる側だった。


 黄猿が最期に抱いたその感想は、奇しくも、もう1体の仲間のものと全く同じものだ。黄猿たちは分裂して自己を増殖し、生存できる。しかし、たとえ数は多くとも、多様性は無い。彼らが描く未来ものがたりは、たとえ過程は異なれども、同じ結末しか導けなかった。

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