第6話 作戦前夜

 赤猿との戦闘を明日に控えた優たちは、いつもよりも豪華な晩餐ばんさんを食べたのち、モノが作ったロールケーキに舌鼓を打った。

 その後、満たされたお腹と心で改めて翌日に向けてのミーティングを行なう。インスタントコーヒーが入ったカップを置きながら、モノが概要をさらい始めた。


「まずは優クンと秋原クンが先行してクラブハウス内に侵入。8体確認されている黄猿を、建物の駐車場側と練習場側に分断する」


 この時、優たち下級生がなるべく多くの黄猿を誘導するのが好ましいとモノは補足する。上級生が敵の大将となる赤猿を相手にするためだった。


「万が一赤猿が下級生の子の所に行くなら、その時は即時撤退。〈魔弾〉で合図をして私たちに報せること」


 事前の話し合いで、撤退の合図をするのは春樹と決まっていた。


「上手く分断出来たら、後は1体1体にしっかりと対処。敵は無限に湧くわけじゃない。敵の増援があっても、絶望しなくて大丈夫だから」


 黄猿の数が8体を超える可能性があることにも留意するよう、モノは改めて口にした。


「優クンたちは、黄猿を討伐し次第、私たちと合流。6対1は逆に私たちが動きにくくなっちゃうから、加勢せず、あくまでも敵の増援だけに気を配って?」


 赤猿との戦いには加わらないよう、決めておく。しかし、3人で赤猿と戦う陣形は崩したくないモノ。


「ただし、上級生の誰かが負傷した場合は、ノアクン、瀬戸クン、優クンの順で戦闘に加わるように。もし、天人の私を食べたら魔獣は間違いなく“名前付きネームド”になる。例え200mくらいが吹き飛んだとしても、変態途中できちんと仕留めるように」


 モノに限らず、誰かが食べられたならノア以外は自爆特攻をする。そのことも、忘れてはならなかった。なお、“名前付き”とは黒鯨くろくじら闇猫やみねこなど、強力な魔獣のことを指す。優の知る限り、“名前付き”は日本で4体確認されていて、最低でも人間の30倍近い魔力を持つと言われていた。


「さて、以上が明日の概要ね。不測の事態が起きても、冷静に対処するように。何が起きても天人かみさまの私が居る。大抵のことは、何とかなると思うな」


 そんなモノの言葉に、優たちは力強く頷く。質問が無いことを確認して、コーヒーの香りが漂うミーティングは幕を閉じた。

 その夜。風呂上がりの優がリビングで待っていた春樹と共に自室へ戻ろうとした時だった。


「……そうだ。明日あす、最後の討伐に向かうらしい」

『そうなのですね。ですって、ソラ様、シア様』


 そんなノアの声が部屋の中から聞こえてくる。相手は恐らく、同じ留学生であるクレアだと思われた。通話口の向こうには天とシアも居るらしく、ノアとの通話には奇妙な間がある。また、天たちにも分かるようにという意図もあって、クレアとノアは日本語で話していた。


『……それで、ノア。きちんとできていますか?』

「ああ。きちんと神代たちには協力している。ただし、ボクはボクの命を優先する。これはアイツらも了承済みだ」


 たしなめるように聞いたクレアに、ノアはぶっきらぼうに返す。が、少し間を空けてクレアの声が聞こえてくる。


『確かに最優先はノアの命で構いません。ですが、その次の優先順位が魔獣の駆逐であること。きちんと覚えていますよね?』


 クレアのその問いかけに、答える声は無い。黙ってしまったノアを、ともすれば責めるように、クレアは少し強い口調で尋ねる。


『ノア。まさか小さな頃の約束、忘れていませんよね?』

「……両親を殺した魔獣を、1体でも多く殺す」

『はい! 魔獣を相手に逃げるのではなく戦略的撤退を。そして、必ず報復を。そうしてワタシたちは生き延びて来ました』

「……そうだな」


 何かを押し殺すような間を置いて、ノアはクレアに相槌を返す。


『魔獣は何があっても殺す。例えこの身が尽きようとも。“exterminationみなごろし”。約束、ですよ?』

「……ああ」

『それじゃあ、ノア。おやすみなさいBonne nuit,良い夢をfais de beaux rêves

ありがとうMerciクレアもねde même


 そんな声で、ノアとクレアたちの通話が終わる。途中、フランス語で分からない部分もあったが、


「どうやらノア達は復讐のために魔獣と戦ってるみたいだな」


 そう結論づけた春樹に、優も頷きを返す。


ボクは君を守りたいだけなんだJe veux juste te protéger……」


 優も春樹もノアが言った言葉は分からない。しかし、そのつぶやきには、隠し切れないやるせなさが漂っていた。

 とりあえず、入るタイミングを計った結果、盗み聞きをしてしまう形になってしまった優たち。堂々と自室に入り、そして、謝る。明日は大切な任務。優も春樹も、余計な不和は取り除きたかった。


「悪い、ノア。通話の後半、少しだけ聞いてしまった」

「すまん!」

「おい、急に何事だ!」


 入室早々、目の前で『ジャパニーズ土下座』をした同級生に、ノアは面食らう。それでもすぐに状況を察して、


「……いや、ここはお前たちの部屋でもある。ボクの不注意だ」


 と、謝罪を受け入れることにする。ノアも任務に向けて、全員が万全の心身で臨む方が良いことをよく理解していた。


 ――それに、『ドゲザ』も見られたしな。


 優と春樹の滑稽な姿に、少しだけ笑ってしまうノア。が、すぐに表情を引き締めて布団に潜り込む。


「もういいから、早く寝るぞ」

「おう。そう言ってくれて助かった。優、電気消してくれ」

「ああ、了解。えっと、ぼんにゅい? ノア」

「『おやすみなさいBonne nuit』だ、バカ」


 虫たちの声を聞きながら、男子3人は明日に向けて、早めの睡眠をとることにした。のだが――


 ――深夜1時。緊張と興奮から、優は中途半端な時間に目を覚ましてしまった。


「最悪だ……」


 しばらく目をつむって布団の中でゴロゴロしてみるも、一向に眠くならない。口の中もカラカラであるため、ここは一度諦めて、お茶を飲みに行くことにした。

 そうしてダイニングに向かう優。9月も下旬。夜になると、過ごしやすい気温になっていた。携帯のライトを頼りに、真っ暗な廊下を慎重に進み土間から続くダイニングへ向かう。夜に明かりを点けるととても目立つ。自分たちの拠点を示すことにもなるためあえて電気は付けない。

 無事、冷蔵庫にたどり着いて麦茶を頂こうとコップにそそいでいた時だった。


「夜這い?」


 そんな甘い声が聞こえてくる。驚いた優が反射的にライトの光を向けて見れば、薄い寝間着姿のモノがダイニングの入り口に立っていた。


「からかわないでください。……ですが、起こしてしまったならすみません」


 悲鳴を上げなかった自分を褒めつつ、優はお詫びにとモノの分もお茶を入れる。コップを受け取ってお茶を飲んだモノは、


「いいの。私も眠れなかっただけだから。それより、お姉さんと一緒にちょっとお散歩でもしない?」


 と、優を誘う。夜警がてら外の空気に当たるのも良いかと、優はその誘いを受けることにした。

 カラカラと音が鳴って、出入り口の引き戸が閉まる。雨上がりにも関わらず澄んだ空気のもと、優とモノは砂利の敷かれた庭へ出た。


「良かった。明日は晴れそうだ」


 夜空に浮かぶ月と星を見上げて、モノがこぼす。手を後ろに組んだまま、月の祝福を受けるように月明かりに照らされる天人。美しい銀色の髪が、同じく銀色に輝く月光でさらに鮮やかな色を返す。


「……えっと、何が目的ですか?」


 これまでのモノの言動から、何か裏があると勘ぐってしまう優。腹の探り合いは苦手であるため、単刀直入にモノに尋ねる。そんな優に、モノは頬を膨らませる。


「失敬だなぁ、優クンは。単なるお散歩デートのお誘いなのに」


 男女が一緒に居ることをデートだと言うなら、確かにそうだと優は思う。しかし、世間が抱く恋愛感情のあるデートではなく、今、優がモノに抱いている感情は警戒と疑念だった。

 なかなか気を許さない優の態度に、モノはやれやれと息を吐く。そして、優の望み通り、本題に入ることにした。


「いや、ね。ちょうどいい機会だし、優クンに伝えておこうと思って」

「俺に、ですか?」

「そう。君は、君が思っている以上に、特別な立ち位置にあるってこと」


 そう言って、モノはもう一度月を見上げる。


「別に君が生まれつき特別なわけじゃない。優クンの人となりは魅力的かもしれないけど、それでも特別というほどでもない。私たちみたいに特別な力を持ってるわけでもない」

「……褒められる流れだと思っていました」


 急に毒を吐くモノの言葉に、優は項垂れる。これで乙女の誘いを台無しにした優への嫌がらせは終わりだと満足げに笑ったモノは、淡い青色の瞳を優に向ける。


「でも、ただ一点。シアちゃんに選ばれた。たったそれだけで、君は特別になった」

「シアさんに?」


 急に出て来たシアの名前に優が眉根を寄せる。


「そう。私たち天人の、末っ子の1人。あの子に選ばれて、あの子の力を引き出すカギになっている。その点だけは、一般人でしかない優クンの特別性と言えるかな」


 そんなモノの言葉で、優はシアが言っていた“主人公”という言葉を思い出す。恐らくこの先、あらゆる困難が優を襲うだろうと。そして、実際、シアと出会ってからの数か月は非常に濃密なものだった。


「私はもちろん、シアちゃんに、コウ君。それから多分、も。君はどうやら天人に好かれやすいみたい。ううん、あるいはそれすらも、シアちゃんの啓示の影響なのかもしれないけど――」


 そう言って、優に手を伸ばしてくるモノ。優の知らぬ間に、優とモノは手の届く位置に居た。


「――君が生きている限り、シアちゃんに選ばれている限り。魔獣と天人と人間が織りなす歴史ものがたりの中心に、君とシアちゃんは居続ける」


 妖艶な笑みを浮かべて、優の頬に手を当てるモノ。見えない圧力と雰囲気に飲まれて、優は口を動かすことも出来ない。ただ、自分を見上げてくるモノの瞳を見返すことしか、優には許されていない。

 優のあごに手を当てて、まるで口づけでも交わそうかというように、顔を寄せた天人が妖しく笑う。


「冗談抜きで、君が。君たちが。世界の運命を変えるのかもしれないね」


面白がるように言うだけ言って、甘い声と香りが優から離れていく。銀色の髪を月光に躍らせながら、


「ま、死んじゃったらそこまでだけど。それじゃあ、お休み! 神代優クン」


 優の方を振り返ることなく言って、モノは引き戸を静かに締めた。その音を合図に、ようやく優の身体は金縛りから解放されるのだった。

 結局、彼女は何がしたかったのか。何一つ分からないまま、優は立ち尽くす。ひょっとすると、自分は夢の中に居るのかもしれない。そう思えるほど、現実感のない夜だった。

 ただ、1つ言えることがあるとすれば。


「疲れた……」


 緊張感から解き放たれた優の体には、妙な疲れがある。すぐに自室に戻った彼は、布団に入る。程よく冷えた身体に温かな布団。気づけば優は意識を手放していた。

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