第5話 成熟した日々

 翌日もあいにくの雨だったため、赤猿との闘いは明日に持ち越しとなった。それでも、明日には何があろうと決行するとモノは決めている。放置すれば黄猿が増えてしまう可能性が増すだけだ。足場と視界が悪くなろうとも、これ以上は待つことが出来ない。先輩組3人による、経験と勘からの判断だった。


「「ただいま」」

「おっ、お帰り。魔獣たちはどうだった?」


 玄関で深い緑色の合羽かっぱを脱ぐ優と秋原を、運動着の片桐が出迎える。正確には、出迎えたのではなく、午前中に本部へ補給に行っており、土間に置いていた段ボールの物資を確認していたところだった。

 お帰り、の響きに優がほっとする横で、秋原と片桐が情報を交わす。


「モノには言っているけど、黄猿が8体になっていた」

「8体……。秋原君と神代君。2人には分断、頑張ってもらわないとね。こっちは焼き鳥缶とか貰ってきてみた。本部で確認したら、もう掃討が終わって帰って来たセルもあるっぽい」

「まぁ、場所によって魔獣の数もまちまちだろうからな」


 そんな話をする先輩たち2人の背を追って、優もダイニングへと入る。と、ピンク色のエプロン姿で優たちを迎えたのは、モノだった。


「お帰り、みんな」

「ただいま、モノ。はいこれ、頼まれてた焼き鳥缶ね。夜は炊き込みご飯?」

「そう。明日死ぬかもだし、最後くらいはちょっと豪華にってね」


 焼き鳥の炊き込みご飯。その響きだけで、すでにおいしそうだと優は唾を飲み込む。ここ最近はインスタントやレトルト食品ばかりが続いていた。ほんの少しの手間とは言え、“料理”を口にできることに感動する。例えそれが、最後の晩餐ばんさんになろうとも。


「……で、今は何をしてるの? というより、午前中は何をしてたの?」


 エプロン姿のモノの目の前には、焼き上がったばかりのスポンジ生地がある。部屋に漂う甘い香り。モノは午前中、お菓子作りにいそしんでいた。


「ほら、この家のレンジってオーブン機能があるでしょ? だから」

「だから、って……。はぁ……」


 片桐がため息をこぼす横で、モノはボウルを取り出して卵を割り入れ、グラニュー糖とバニラビーンズを入れていく。その作業は非常に手馴れていて、日ごろから料理をしている事が伺えるものだった。


「レンジとボウルはこの家にあった物を利用したとして、食材はどうしたんですか?」


 ホイップクリームを泡立て始めたモノに対して、優が素朴な疑問を口にする。


「え? 自分で持ってきたけど?」


 事もなげに言ったモノに、優は絶句することになる。着替えや非常食、個人用の応急手当セットなどを入れると、荷物はそれなりの量になる。さらに、優の知る女子――天――は「女子は男子より荷物がかさばるの」と愚痴をこぼしていた。そんな中、モノはお菓子作りに必要な卵やグラニュー糖などの嗜好品を、自ら持ち込んだと言う。


「賞味期限なら、机にパック置いてあるから確認して。生クリームは冷蔵庫を使わせてもらったの」

「あ、いや、そうじゃ無くて――」

「理由? それは私がお菓子を作りたかったから」


 優が聞きたいことを先取りしてすべて答えてしまったモノ。その間にもクリームは白く泡立っていき、硬さを増していく。

 黙りこくった優に代わって口を開いたのは、モノが準備している物に目を向けていた片桐だった。


「もしかして、ロールケーキ?」

「そう! さすが桃ちゃん、分かってる。みんなの分もあるから、夜に食べようね」

「じゃ、時間も時間だし、今日のお昼はうちが作ろうかな。後輩たちに任せきりだったし。男子は適当に座ってて」


 シンクで手を洗いながら、片桐が食事当番を名乗り出る。テキパキと作業を進める先輩女子2人の背中を、優は秋原と一緒に眺める。


「モノ、ごめんだけどこれの面倒見てて」

「了解。桃ちゃん、冷蔵庫行くなら生地とクリーム、入れといて」

「おっけー。真ん中の棚に入れとくね。……今晩は炊き込みご飯だし、カレーは使い切っちゃうか」


 天やシアのかしましい料理風景とはまた雰囲気の異なる、落ち着いた雰囲気で料理する姿を、優は「なんか良いな」と思いながら見つめていた。

 それから15分後。午前中の自主トレを終えた春樹とノアがシャワーを浴びてダイニングへと姿を見せたのを機に、昼食となる。複数のルゥを混ぜ合わせた特製レトルトカレーに、余っていた卵を割って乗せる。いつもと趣が異なる少し手の入った『料理』を、全員が美味しく頂いたのだった。




 午後からは屋内で魔法の練習と相成った。マナは、筋力や体力同様、使うほどに体に馴染み増強されていく。特派員たちが内地で過ごす一般人よりも魔力の数値が高くなるのも、そのためだった。

 リビングでくつろぎながら、優たちは主に〈創造〉の魔法を使ってマナを消費していく。それはモノたち上級生も同じだった。


「そう言や、ノアはどうして魔獣と戦ってるんだ?」


 昨日、時間の関係で唯一聞きそびれていたノアが戦う理由を、春樹が尋ねる。その左には携帯が握られており、右手のひらには携帯の画面に映る招き猫が創られていた。

 黄緑色に光る招き猫をちらりと見たノア。小判の溝に至るまできちんと創られていることを確認しながら、


「悪いけど、ボクにそれを教えるつもりはない。……恥ずかしいだろ」


 自身も負けじとサックスブルーのエッフェル塔を創る。高さ3~40㎝の塔には網目のようにいくつも棒が渡されており、精巧なミニチュアのようでもある。なお、現在エッフェル塔は魔獣の被害を受けて修復中だった。

 優は無色のマナゆえに、創造物が見えない。そのため、モノが持っていた粉砂糖を使って創造物を可視化しつつ、指示された物体を創る練習をしていた。


「次、ノアクンが使ってる剣」

「はい」


 同じく無色のマナであるモノが、優に何を創るのか指示する。それに従って優が刃渡り80㎝ほどの西洋剣を造るのだが、


「どう、ノアクン。これ、君がいつも使ってるヤツ?」

「いや、ちがうな。見比べてみろ」


 そう言ったノアが、エッフェル塔を右手に維持しながら左手に武器を〈創造〉する。自身が作った粉砂糖で浮かび上がる透明の剣と、サックスブルーの剣とを見比べる優。両者は似ているだけで、別物と言って良い程の違いがあった。


つかの長さが、こうか。で、刀身の太さがこうで、先端は……」


 目の前にある実物を参考にしながら優も創造物を微調整していく。よく見れば、ちょっとした装飾などもあって、ノアのこだわりが感じられる。それは同時に、「自分だけもの」と言うイメージを持つことで、創造物の強度を上げるためのものでもあった。


「武器はやっぱりいくつも使えた方が良い。特に私たち無色のマナは、それが文字通り“最大の武器”になるんだから」

「そう、ですよね……」

「ほら、もっと集中して? そうそう、ほら、硬くなってきた」


 優のすぐ隣で、囁くように言うモノ。甘い声と同じくらい甘い香りが、優の集中力をかき乱そうとしてくる。モノの性格からして恐らくわざとだと優は思っているが、鍛え上げた自制心で〈創造〉を維持する。


「モノ先輩は魔法、使わなくていいんですか?」


 グッと身を寄せてくるモノからどうにか距離を取りつつ、優が尋ねる。


「もちろん、練習してるよ? 今は、みんなが魔法の練習に集中できるように、この家を守る〈防壁〉を創ってるの」


 そう言われてみて、優は気付く。いつの間にか雨の音が聞こえなくなっているのだ。〈防壁〉は、対象を包む半球状のドームを創る魔法だ。普段は攻撃や衝撃を防ぐ盾として利用されるが、今回は傘のような役割を担っていた。

 この大きな日本家屋を包んでいるということは、半径10m以上はある大きな半球と言うことになる。目に見えない場所に、目に見えないマナを使って、目に見えない物を作るマナ操作技術。何もかもが次元を異にする存在に、優はただただ感服する。


 ――これが、数十年を生きる天人。


「どう? 惚れちゃった?」


 自分を見つめてくる優に、上目遣いであざとく聞くモノ。赤面する後輩を期待していた彼女だったが、


「……いいえ。もとからすごい人だとは知っていたので、惚れ直したと言うべきですね」


 そんな優の素直な感想に、淡い青色の瞳を見開いて面食らうことになる。自分を見下ろす優の黒い瞳に他意は無く、純粋な憧憬が見て取れる。人の本質を見抜くことを得意とするモノだからこそ、優の言葉が本音なのだと分かる。


「うーん。これは、手ごわいなぁ……。まぁ、魔法の才能とも言えなくも無いのか」


 後輩をからかうことに失敗したモノは、そんなことを呟きながら優から距離を取る。


「なぁ、瀬戸。あの2人は恋人同士なのか?」

「違うんだよな……。間違いなく2人とも、恋愛感情は持っていない」


 優とモノのやり取りを見ながら、色々とおかしくないかとノアは首をかしげるのだった。

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