第二幕・後編……「狩人たち」

第1話 無駄にしないということ

 赤猿からの撤退戦を経て、夜。リビングで行なわれる恒例のミーティングで、


「みんな、済まない!」


 冒頭、そんな謝罪が秋原によってなされる。彼の姿勢は手足を地面に突き、額を押し付ける、いわゆる土下座と呼ばれるものだった。


「敵の数を見誤った。しかも、おびき出しにも失敗した。本当に、済まない!」


 そんな秋原の謝罪は、自分自身の失態を責める意味合いも含んでいた。

先輩の土下座に驚く優たち下級生だが、モノと片桐は苦笑しながらも首を横に振る。


「いいよ、大丈夫。おびき出してって無理言ったのは私だしね」

「偵察は難しいもん。多分だけど、それを秋原君に任せてるうち達が責める権利は無いと思う」


 片桐の言葉に、優たちも頷く。単身、敵地の近くに潜伏して情報を集め、持ち帰る。その度胸と難しさは補給係や指揮係とは段違いだろう。もし秋原の失態を責められるものが居るとすれば、同じく偵察係をしたことがある人物だけに限られる。


「むしろ、リーダーとしては黄猿と赤猿、両方の戦力を確認できたから満足かな。みんなも最終目標の外見を見られたし、死者も居ない。成果は上々でしょ?」

「そ、そうですよ、秋原さん! オレたちこそ、いつも難しい偵察してくれてありがとうございますって感じです!」


 茶目っ気を込めて微笑むモノに続いて、秋原を励まそうと春樹が声を張る。


「お前ら……。ありがとう」


 糾弾する者が居ないことにほっとする秋原ではない。生きて帰って来られたのだ。次は上手くやると心に刻みながら、彼は土下座をやめて座り直した。

 話し合いの場が整ったことを確認して、モノがひとまず〈探査〉で得た情報を開示していく。


「まず、赤猿の魔力。これは恐らく、人間の7倍くらい。あの大きさの魔獣としては、かなり多い方だね」


 ホワイトボードに書き込みながら、情報を整理していくモノ。ロゴが入った半そでのTシャツに黒のスウェット。今日は薄着ではないようだと、優も集中して話を聞くことが出来る。


「敵のねぐらだと思うゴルフ場のクラブハウスの中は、ごめん。マナが通りにくくて〈探査〉では分からなかった。だけど、黄猿は少なくともあと4体居て、向かって来てた」


 今語った内容が、モノが撤退を決めた理由でもある。敵の魔力が不明なこと、負傷者が居ること、何より、敵の総数が不明であること。少なくともあの場で赤猿を相手にしながら、敵の増援を相手にするのはあまりにも下策だと判断したのだった。


「結局はクラブハウスに行くことになると思うけど、出来れば黄猿は4体しかいないのか、他に魔獣は居るのか。その辺りは知っておきたいんだけど……」


 そう言ってモノがソファの上から見下ろすのは秋原と、彼の右足に巻かれている氷嚢ひょうのう。春樹が背負って運んだため、明日明後日中には運動に支障がない程度にはなるだろう。しかし、病み上がりの彼1人に偵察を任せるのは不安が残る。


「下級生、誰か――」

「俺が行きます」


 モノが尋ねようとしたのとほぼ同時。優が偵察に名乗りを上げる。もとより、自分には偵察が向いていると思っていた優にとって、まさに好機だった。


「ありがと、優クン。それじゃあ明日、秋原クンが行けそうならクラブハウスの様子を2人で見て来てほしい」


 モノの指示に、秋原と優が力強く頷く。


「で、私と桃ちゃんが午前中に食べ物と応急手当セットの補給。魔獣を刺激しないためにも、平清水ひらしみずを出るまでは〈探査〉はしないから」

「了解。魔獣が来た時は頼りにするから」


 モノと片桐の予定も決まる。残すは春樹と、ここまで黙っていたノアだが――。


「そんなに急ぐことは無いんじゃないのか?」


 ノアがこのミーティングでは初めて、口を開いた。赤猿と対面した際のモノの判断。それについては、敵の増援の可能性があったことなどを聞いてノアは納得している。一方で、数日中にケリをつけようとしているモノの判断には疑問があった。

 事実、モノ以外のメンバーは軽い捻挫や擦り傷、切り傷を負っている。連日の魔獣討伐で、体力も気力も落ちてきているようにノアには見える。個々が全力を出せる状況を整えるためにも、一度きちんと休養を取るべきでは無いのか。そう尋ねたノアを、モノはジッと見下ろす。


「な、なんだよ? ボクは間違ったこと言って無いと思うぞ?」

「うん、そうだね。私も本当は、みんなが全力で戦える状態が良いと思う。だけど、私たちは特派員で、これは任務。期限があるし、その期限内で目的を達することも求められている」


 優しい顔つきで、ノアに言い含めるモノ。その姿は、ナゼナニ期の子供に言い聞かせる母親のようでもある。


「他にも、魔獣は放っておけば力をつけることが多い。被害も広がる。猿の魔獣は知恵が回るから、敵である私たちの存在を知った以上、居所を探して、奇襲してくるかもしれない。それこそ、今すぐ」


 その場にいる全員が息を飲み、静寂リビングは静寂に包まれる。夜に鳴く虫たちの心地よい声すらも、不気味に聞こえる。これまでは自分たちが仕掛ける側だった。しかし、これからは互いに相手の存在を知り、仕掛けることが出来るようになった。


「そんな状態で、ノアクンはぐっすりと眠れる?」

「……クーリアのこじいんに居た頃のように、常に警戒しながら寝ることになるだろうな」


 常に危険と隣り合わせで眠る。その気苦労を、ノアは嫌と言うほど知っている。小さな物音1つに飛び上がって魔法を準備するクレアの姿は、今でも思い出せる。


「立ち位置は特殊だけど公務員である特派員は、人々に、迅速に安全な場所を作ることが求められているんだ」

「なるほど……」


 急ぐのにも理由があって、それは自分ではなく誰かの安全を願うが故なのだと、ノアは理解する。そして、誰かのために戦おうとする――守ろうとする――その心も、ノアにはなんとなく共感できた。これが日本の兵士、特派員の考え方なのかとノアが納得したところで。


「……私としては、早く快適なお家に帰ってぐっすり眠りたい。それだけなんだよね」

「おい、指揮官リーダー。本音が漏れてるぞ。ボクの納得を返せ!」


 ブロンドの髪を揺らして抗議するノアを、あははとからかうモノ。真面目な雰囲気が一転、緩んだ空気に包まれる。


「モノ先輩のあれ、場を和ませるための冗談ですよね、秋原先輩?」

「どうだろうな……。案外、本気かもしれないぞ」


 優の確認に、秋原が苦笑する。

 頼り甲斐はありつつも、どこかつかみどころのない天人に振り回されながら、今日もミーティングは終わる。ここからはシャワーを浴びて、寝るだけだ。


「じゃ、今日は女性陣が先にお風呂頂くね」


 言いながら、モノがリビングを後にする。彼女に続こうとした片桐だったが、不意に思い出したように優に声をかけた。


「そうだ、神代君。よく赤猿が石投げてくるって分かったね。おかげでうちも助かっちゃった」


 片桐が言ったのは、赤猿の投石攻撃を防いだ時のことだ。


「いえ、以前、似たようなことをする魔人に会ったので」


 後方を警戒していた優は、赤猿が石を使ってモノに攻撃を始めた瞬間、初任務で触手の魔人が見せたアスファルトの投擲とうてきを思い出していた。あの時は不意のことで対処できず、常坂久遠ときさかくおんの超絶技巧で防ぐことになった。

 しかし、今回は赤猿が手のひら一杯に小石を握りこんでいることが分かった瞬間に、


『片桐先輩、投石、来ます! 盾を!』


 そう、片桐に指示することが出来ていた。一瞬、きょとんとした片桐だったが、


『おっけ~。じゃ、うち達2人で守るよ!』


 何も聞かず、優の指示に従って牡丹ぼたん色の盾を創った。直後。いくつもの小石が盾にぶつかる。中には大ぶりの石もあって、即席の魔法の板にヒビが入ったが、結果、赤猿の攻撃を防ぐことが出来たのだった。

 優の答えに、くくりっぱなしだったポニーテールを弾ませながら片桐が驚く。


「え、1年のこの時期にもう魔人と戦ったんだ?!」

「はい、3人ですね……」

「やっば~……。運が良いのやら、悪いのやら。とりあえず、ありがと!」


 はにかみながら手を振って風呂場へ向かう片桐を、優は会釈だけして見送る。しかし、経験と記憶は無駄になっていないのだと今になって実感した優は小さく拳を握った。

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