第5話 氷に入るヒビ

 大規模討伐任務が始まってから、3日が経過した9月19日の夜。いつものように夕食後のミーティングを済ませた優は、布団に飛び込む。そして、静かに呟いた。


「疲れた……」


 今回の任務は、ここ東部4地点周辺の魔獣を掃討すること。そのうえで最大の障害になるのが赤猿あかざる黄猿きざるたちと言うだけで、他にも大小さまざまな魔獣が存在する。雑木林や田畑に行っては〈探査〉を行ない、魔獣の反応があれば狩る。その際も、やはりノアは独断で行動し、1人で魔獣を狩ろうとする。優も彼の言い分が分かるため、何も言えない。だからと言って、不満が無いわけでもない。少しずつ“何か”が蓄積していく。


「あー……」


 枕に顔をうずめて、“何か”を吐き出す。優にとっての疲れの原因はもう1つ。知らない人との共同生活だった。トイレ、食事、お風呂。それぞれについて少しずつ、気を遣ってしまう。特に自分たちが下級生と言うことが優の中にもあって、遠慮などをせずにはいられない。こうしてリビングを抜け出してきたのも、風呂上がりのモノと片桐がラフな格好でダイニングで過ごしているためだった。

 年齢、性別、ちょっとした違いによる差に、優は気疲れしてしまっていた。さらに、追い打ちかけるように昨晩、近くに住んでいたらしい野生のイノシシが庭に侵入して警報が鳴ると言うトラブルがあった。おかげで今日の優は寝不足だ。


「ふぅ……このまま寝るか」


 寝不足は気分を落ち込ませることを経験から知っている優は、そっと目を閉じる。すると瞬く間に睡魔が襲って来る。心地よい感覚に身を任せて意識が落ちる、寸前。枕元に置いていた携帯が鳴った。

 無視をしようか一瞬迷った優だったが、結局画面を見ることにする。そこには愛しの妹からの通話通知がある。優に無視をする選択肢は無かった。


「どうした、天?」

『あれ、兄さん寝てた? 声がそんな感じだけど』


 ビデオ通話でもないのに自分のことを見抜く妹に感心する優。


「いや、ちょうど良かった。天ともう少し話しておきたかったからな」

『ん、兄さんが寂しがってるんじゃないかって。って言うのは半分冗談で、任務の進捗を聞こうかなって』

「半分本気で心配してくれていたのが嬉しいな」


 軽口を叩きながら、優と天で情報交換を行なう。優が話したのは赤猿、黄猿の対応をしつつ、近辺の魔獣を倒している事について。天に弱っている格好悪い姿を見抜かれないよう、疲れていることが悟られないように気をつけながら話した。


『忙しそうで、ちょっとうらやましいじゃん』

「天の方はどうなんだ? そう言えば、セルのメンバーって……」

『同期だとシアちゃんと、クレアさん。先輩の方は……言っても分かんないか』


 確かに、と相槌を返しつつ、優は天の先の発言を拾う。


「暇なのか?」

『まぁね。魔力持ちと天人が居るのに、ずっとホテルにいる感じ。多分、クレアさんが居るからだと思う』


 他の留学生とは違い外国の賓客ひんきゃくであるクレアに“もしも”があってはいけないと言う学校側の配慮がある。そんな自分の見解を、天は優に話す。加えて天たちのセルの任地は、本部であるホテル周辺の警護。都市部に魔獣が居ることはほとんどない。実質、特派員としての仕事などあって無いようなものだった。


『何なら、セルのメンバーも怪しいもん。私とシアちゃんにクレアさん守れって言ってるみたい』

「確かに、そこまで安全策っぽいことされると、疑いたくなるな」

『そうそう。みんなが危ないとこ行って魔獣を倒してるのに、なんだかなーって感じで……あ、シアちゃんたちが帰って来た』


 通話口の向こうで、シアとクレアが帰って来た音が聞こえる。何かを話し合っていたようだが、少しして、


『兄さん。春樹くんと、えっと、ノアくん? を呼んで来て』


 そんな命令おねがいが妹によってなされる。


「春樹は良いが、ノア……ホワイトの方は来るか分からない」


 春樹はリビングで秋原と話しており、ノアは風呂に入っていただろうかと優は2人の現在を思い浮かべる。


『カミシロ様。クレアです。もしノアが渋るようなことがあれば、ワタシの名前を出して下さい。それから、彼のことはノアと、名前で呼んであげて下さいね』

「はあ……」


 言われるがまま、優は春樹とノアを呼びに行く。優の予想通り、ちょうど風呂上がりだったノアは面倒くさがった。しかし、クレアのお願いであること。また、自分も寝起きしている寝室で優たちが話すことなどから、ノアも渋々通話を了承する。

 そうして集まった9期生男女6人による通話が始まる。ビデオ通話に切り替えて、各々が自己紹介を済ませる。天とクレアはすっぴんであることを少し恥じていたが、男子勢は特段気にしない。シアに関しては保湿をするだけで、普段から化粧をしていない。モノも同じだが、ありのままで完成された美を持つ。それが天人だった。

 そうして改めて、近況報告がなされた。しばらく話して露見するのは、和気あいあいとする女子とは対照的な、男子の間にある壁。具体的にはノアの心の壁だった。


『ノア? ワタシ、言いましたよね? 仲良くするようにと』

「少なくとも喧嘩はしていない」

『いいえ、それは共存であって共生ではありません。良いですか、ただ共に在るのではなく、日本の方々と共に生きて欲しいとワタシは言っているのです』


 優たちにも分かるように、あえて流ちょうな日本語でノアをたしなめるクレア。風呂上がりのふわっとした明るい金色の髪は、シュシュで1つにまとめられている。画面越しにノアを見つめるみどり色の瞳には、深い思慮が見て取れた。


『お願い、ノア。どうかカミシロ様やセト様と協力して魔獣を全部殺して、生きて帰って来てほしいの』

「クレア……」


 逡巡しゅんじゅんするように唇を噛むノアを横目に見た春樹はこれが雪解けの好機であると感じ取る。理由は分からないが、ノアの中でクレアと言う留学生の存在は大きい様子。それこそ、己の信念を変えることを考えるほどに。ノアに影響力のある人物の助力が欲しいと思っていた春樹にとって、クレアの存在はまさに渡りに船だった。

 これでノアと自分たちの間にある壁が無くなれば良いと願う春樹が見つめる先で、長く息を吐いたノアが首を縦に振る。


「努力は、する」

『ノア! ありがとう!』

「だけど、ボクが生きて帰ることを最優先にさせてもらう」

『分かりました。カミシロ様もセト様も。もし、ノアが約束を破る……クソ野郎? だった場合は、是非ワタシにご一報を』


 明日も朝食の準備のために、早起きをする予定の優と春樹。区切りも良いと、通話を切ることにする。


「シアさん、一言も話さなかったな」

「確かに。いや、まあ、俺もちょっと気まずいしな」

「あれ、何かあったか?」


 大人の動画の話は、優とシアにしか分からない。苦笑するだけの優に、春樹はひとまずそのことを置いておいて、ノアに確認する。


「一応、協力はしてくれるってことでいいのか?」

「……。……。クレアとの約束だからな」

「そうか。そう言えば、ノアから見てシアさんって美人なのか?」


 深く聞き過ぎて墓穴を掘るわけにはいかないと、春樹は世間話へと話題転換を図る。

 天人は概して、人々の理想を集約した外見をしていると言われる。シアもそうして集約した日本人の理想の姿の1つとして、その外見が形成されている。そのため、大体の人はシアやモノを見れば可愛い、きれい、美しいと感じる。

 しかし、国や文化が違えば美的感覚も違う。外国人から見て日本の天人はどうなのか。春樹は気になって尋ねてみる。


「シアって言うのは、黙っていた黒髪の女だよな。そう、だな。“可愛いbelle”……いや、“可愛らしいjolie”、そんな感じだ」

「……どういう意味なんだ?」

「ふんっ、自分で調べろ。ボクは寝る」


 意味を聞いた優を冷たくあしらって、布団にもぐるノア。優が早速携帯で意味を調べる横で、春樹はこうした世間話も少しずつ出来るようになれば良いと微笑むのだった。

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