第8話 悔い無き別れを

 迎えた翌週、9月16日の金曜日。朝から学生寮に近い第1駐車場は学生と関係者たちでごった返していた。全員が特派員の制服、もしくはそれに準ずるものを着用し、次々にバスへと乗り込んでいく。ここから三校生たちは偵察車両先行のもと、奈良市へと向かうことになっていた。

 クラスごとの移動。横並びの座席に座り、優と春樹は人が減っていく駐車場を車窓から見つめる。優が見つめる視線の先には他クラス――天たちのクラスもあった。


「いよいよだな、優」

「ああ。正直、ちょっと不安だが」


 天が優に気付いて小さく舌を出し、近くに居たシアもそれに気づいてはにかみながら手を振る。優と春樹がそれに応えると、2人は笑顔でバスの中へ消えて行った。


「不安ってのは、ノアのことか?」


 少し声のボリュームを落として聞いて来た春樹に優は頷く。結局、優とノアの仲はこれといった進展もなく、今日を迎えてしまった。優としてはクレアと会った日に多少、ノアと分かり合えたような気もしていた。しかし、いざ週明けに会ってみれば相変わらずの塩対応だった。

 先行して魔獣や魔人の存在を〈探査〉する車両を先頭に、バスが動き出す。車内の様子はクラスによってそれぞれだが、優たちのクラスは比較的リラックスした状態だ。学生たちは友人と話したり、作戦の内容などを話し合う。そんな余裕のある状態だった。

 優と春樹も例外ではない。念のために車窓から外の様子を見てはいるが、意識の半分以上は会話に向けられていた。


「……本音の所、春樹はどう思う? 個人技の方が、効率よく魔獣を狩れると思うか?」


 初任務の時に歩いた道をバスで移動する。その事実に何とも言えない気分になりながら、優は春樹に尋ねる。少なくとも春樹とは、意見をすり合わせておきたいと優は思っていた。


「まあ、個別に魔獣を相手できるならな。6人で1体ずつ倒すよりは、6体倒す方が良いに決まってる」

「そうか……」

「でも、あくまでそれは、理想論だ。自己責任って言えばそれまでなんだが、オレからすれば他人の命に無責任だとも思える」


 バスの天井を見上げながら、春樹は持論を語る。


「人として、個人としてはノアの考え方に同意だ。でも、オレ達は特派員だろ? 他の特派員の命は違くても、自分と国民の命は背負ってる……とオレは思う。実感は無いけどな」


 少し照れくさくなって言葉を付け足した春樹。自分こちらを見る優に目を向けて、結論を述べる。


「だから、オレ達は命に無責任ってわけにはいかない。ならやっぱり、優の言う通り協力するべきだと思う」


 例えば足元から水がせり上がって来ていたとして。人1人が持ち上げられるいのちは1つか、多くても2つ。それでも2人で協力して大きな板を持てば、より大勢の人を持ち上げられる。そんなイメージを、春樹は脳内に描く。例え時間稼ぎでしかなくとも、いずれ板を持ち上げる自分が沈んでしまおうとも。より多くの命を助けられる選択を、春樹はしたいと思う。――西方の時のように。

 密かに苦い思い出を噛みしめる春樹の横で、親友が自分と同じ意見だったことに、優はひとまず安心する。同時に、ノアもノアで自分とは違う理想を語っていたのだと気付かされる。


「理想、か……」


 理想論を掲げている点で、自分とノアは案外似た者同士なのかもしれない。となると、出会った時からノアに感じている反発心は、同族嫌悪と呼ばれるものではないだろうか。

 そんなことを考えながら優が見つめる景色。線路を挟んだ向こう側は、ちょうど初任務で探索した住宅街が広がっていた。




 特段、大きな障害も無く奈良市街地にたどり着いた三校生たち。駅前にあるホテルを本部の拠点として、ここから先日決まったセルに分かれ、1週間ほどかけて各地の魔獣を掃討していくことになっていた。

 本部の設営が完了するまで、しばらく休憩時間となる。バスを降りて荷物を受け取った優は他の学生たちにならい、ホテルのエントランスで休憩することにした。壁に背を預け、優がぼんやりと眺める先では、友人や彼氏彼女と語らう学生たちがいる。数時間後には離れ離れになり、場合によってはもう2度と会えない可能性もある。


 ――俺も一応、天たちに会っておくべきか?


 後悔の無いようにと優が携帯を取り出した時。


「優さん!」


 特派員の学ラン姿で駆けて来たのは、シアだった。少し乱れた息を整える彼女に少しの驚きつつ、優も声をかける。


「シアさん。どうしたんですか? 何かありましたか?」

「あ、いえっ。特に用と言うほどでもないのですが……」


 その割には急いでいたような気がしなくも無いが、優はちょうどいいと聞いてみることにする。


「そう言えば、天、知りませんか。一応、任務の前に会っておきたくて」

「そ、天ちゃんですか? さ、さぁ? どこに行ったんしょう……?」


 挙動不審なシアの受け答えに眉をひそめた優だったが、


「そうですか。じゃあとりあえず通話を――」

「おおっと! そう言えばお手洗いに向かうと言っていました! すぐに戻って来ると思いますっ」


 携帯を取り出して通話を始めようとした優の手を、シアが全力で止める。

 天と一緒に居たシアは、知っている。天が外町そとまちと言う男子学生に呼び出されて、人気のない場所に行ったことを。そして、恋愛に関しては小説や漫画で耳年増みみどしまになっているからこそ察してもいる。


 ――外町さん! 絶対に、絶対に告白ですよね?!


 これから死地に向かう男女。その前にせめて想いだけでも、と言う場面だった。そして、あわよくば……。


 ――天さんはどうするんでしょうか?!


 そんな外町の想いを推測し理解できている時点で、シアも似たような、あるいはまったく同じ想いを今まさに抱いていた。だからこそ、天と外町の逢瀬おうせに触発されて、居ても立っても居られずに優を探したのだが。


「……あの、シアさん? 分かったので、手をどけてもらえると助かります」

「うぇ?! あ、はい、すみませんっ」


 優の手を止めた体勢のまま1人で盛り上がっていたシアが、目にも止まらぬ速さで手を引く。先ほどから分かりやすく行動が変なシアに、優の疑念は深まる。そうして優が注意深くシアを見てみれば、耳が赤くなっている。


「シアさん。体調とか、大丈夫ですか?」

「は、はいっ! 全然へっちゃら大丈夫です」


 シアは深呼吸をして、冷静になる。そして、横に居る優の顔をそっと盗み見る。これから優もシアも別々の地で任務に当たることになる。こうして離れ離れで魔獣と戦うのは初めてだった。正確には外地演習で何度か小さな魔獣と相対したことはあるが、今回のように死を覚悟して臨む戦いにはいつも、シアの隣に優が居た。どんな苦境も権能ものがたりを使って、2人で乗り越えて来た。

 しかし、今回、シアの隣に優は居ない。たとえ自分がピンチになっても優は助けてくれず、優の危機に自分は駆けつけられない。


 ――大切で特別な人と、もう会えなくなるかも知れない。


 その想いが、シアの背中を押す。隣に居る優の袖を引く。すると、当然のように優がその黒い瞳をシアに向ける。


「どうかしましたか?」

「あの、優さん。お伝えしたいことがあるんです」


 やっぱり要件があったのかと、優も真剣にシアの濃紺の瞳を見つめ返し、言葉に耳を傾ける。


「実は私、優さんが」


 好きです。言おうとしたシアの耳の奥で、の声がした。自分シアを庇って死んでしまって、それでもなお大好きだと言ってくれた男の子――西方春陽にしかたはるひの、その声が。

 それだけではない。これまで多くの人が、シアに好意を告げてくれた。しかし、『自分は天人だから誰とも付き合えない』の一点張りで全てを断って来た。だと言うのに、今自分は衝動のままに、想いを伝えようとしている。


 ――果たして私に、好きだと伝える権利など、あるんでしょうか?


 シアの中にふと沸き上がった疑念は舞い上がった熱を一気に冷やし、言葉を途切れさせる。そして、元より自罰的なシアの精神は、簡単に答えを導く。


 ――そんな身勝手が許されるわけがない。


 ここしばらくくすぶっていた恋心。もう会えないかもしれないと言う焦りによってあおられ、燃え上がった勇気は、もうとっくになくなっていた。人々が勇気を持ってシアに告げた想いは呪いとなって、想いを告げようとする彼女の口を縫い留める。


「シアさん? 俺が、どうかしましたか?」

「私は、優さんが……優さんの……」


 優も健全な思春期男子だ。状況が状況だけに、期待しないと言えば嘘になる。しかし、例え、万が一にそうであっても優の想い人は別に居る。シアには悪いが断ろうと決意を固めていた。

 そんな優に対して、言い出した以上どうしようもなくなったシア。脳裏に浮かぶのはもう1つ、告白を想い留まる理由付け。優の“運命の人”である少女、春野楓はるのかえでの存在だ。一緒にプールに行き、温泉でも見たその体躯はまさに魅力的で――。


「――『身長は伸びないくせに胸と態度だけは大きく育った幼馴染を図書室でシた』」

「うぐっ……?! し、シアさん? 急にどうし――」

「優さんが、小さくて大きい子の方が好きだって……し、知ってましたー!」


 人生で一番衝撃が強かった言葉の羅列、そこから導かれる答えを口にして、シアは脱兎のごとく逃げ去る。


「俺の、好みは、それだけじゃないんです……っ」


 残された優は静かに膝から崩れ落ちる。同級生の女子に、自分が見ていた大人な動画のタイトルを一言一句覚えられている。その事実と恥ずかしさが、優の中にあったシアの行動の不可解さを全て消し去る。


「兄さん。シアちゃんと何かあった? 今、走ってどっか行ったけど……って兄さん?」

「天。パソコンのパスワード開けたこと、一生、恨むからな……」

「ほんとに、なにごと?!」


 結局、天とも大した会話も出来ないままに、大規模討伐任務が始まる。このままもし死んでしまうようなことがあっては、死んでも死にきれない。少なくとも自分のタイプがアレだけだと思われているのは、優としては非常に不本意なのだ。例え今好きな人が、まさにその通りだったとしても。


「俺は、シアさんも可愛いと思う」

「それ、後でちゃんと直接、本人に言ってあげなよ?」

「ああ。それから、もちろん天も可愛い」

「うん、知ってる。でも、ありがと。……帰ってきたら、また言ってね?」


 シアの誤解を解くためにも、優は死ぬ気で生き残ることを改めて誓う。大規模討伐任務が始まろうとしていた。

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