幕間 “いつも”に必要な“特別”を

 夏休みも最終盤。8月30日。炎天下、活気のいい声が人工芝のコートに響く。


「瀬戸、パス」

「はいっ」

秋原あきはら、左サイド! 裏!」


 黄色と赤色のビブスを来て行なわれているサッカーの紅白戦。第三校のサッカー部員である瀬戸春樹は、今日も健全な汗を流していた。夏休み中は練習が本格化し、朝9時から夕方5時まで練習がある。昼はマネージャーが部員のために作ったものを頂くことになっていた。

 魔獣が出現し、その3年後に改編の日を迎え、魔法を手にした人類。世界的人口は3分の2ほどになったと言われる。人類の生存圏は魔獣と魔人によって大きく侵食され、人々の生活も常に危険と隣り合わせになった。

 しかし、学校教育の場で部活動は今も奨励されている。各部活、全国大会のようなものは無いものの地域間で試合を行なったり、自治体によって独自の大会が行なわれたりしているのが現状だった。


 明日31日は夏休みの課題を最終チェックのために学校側が指定した全休日。部活動は原則、禁止されていた。ずぼらな学生は明日、地獄を見ることになる。そう、春樹の親友は特に。

 部活後。ロッカールームでシャワーを浴びた春樹は、着替えを済ませる。その際中、ふと見た携帯のロック画面にはメッセージの通知が来ていた。相手は優から。内容は晩御飯のお誘いだった。十中八九、“明日”の手伝いを申し込まれることになるだろう。


「『了解、2食だな?』っと――」

「瀬戸、お疲れさん!」


 苦笑しながら優に返信したところで、サッカー部の先輩、秋原理人あきはらりひとが春樹の方に腕を回してきた。秋原は仮入部の時に春樹を勧誘した人物でもある。身長は春樹と同じぐらいで180㎝あるかないか。耳を隠すぐらいの長い髪は茶色に染められていて、プレイ中はヘアバンドをつけている。小さな目にどこか愛嬌がある、そんな先輩だった。

 春樹がボランチ、秋原がセンターバック。ライン上げの際に良くボール交換をすることもあって、他の先輩に比べると良く話す。春樹はサッカーに関わることだけでなく勉強や魔法に着いても色々と相談していた。


「お疲れ様です、秋原さん。昨日まで任務だったんですよね、どうでしたか?」


 初任務を受ける際。人手が必要だと言った優の言葉を受けて、春樹が真っ先に連絡をしたのが秋原。しかし、別の任務があるからと断られていたのだった。


「あー……一応、標的の魔獣は殺した。でも、な」

「そう、ですか……」


 歯切れの悪い返答に、春樹は察する。恐らく、殉職者が出たものと思われた。


「瀬戸の方こそどうだったんだ、初任務? 1年が魔人を3体も倒したって噂になってたが」

「オレの方も、クラスメイトが1人……」

「そうか。まぁ、魔人3体相手なら、運が良い方だったってことは言っておくな。しかも初任務だろ。良く帰って来たな」


 自分も仲間を失ったにもかかわらず、春樹を気遣ってくれる秋原。頼れる先輩の姿に、春樹は泣きそうになる。任務に向かえば帰ってこないなんてことは、珍しくない。こうして会話できていることが当たり前では無いことを、春樹は胸に刻む。


「ありがとう、ございます……っ」


 自分よりも多く特派員としての経験を積み、人間的にも頼りになる。優や天とは違った、先輩と言う存在のありがたみを嚙みしめるのだった。




 秋原と別れて食堂に向かう道中。暗くなりつつある体育館の入り口に春樹はふと、見知った顔を見つけた。


「首里さん?」


 赤みがかった長い髪に、吊り上がった勝気な瞳。先日、ハハ京橋での騒動を共にしたクラスメイトだった。彼女も部活終わりらしく、薄手の赤い長袖ジャージ姿だった。


「瀬戸。何?」

「いや、お礼を言いそびれてたなって。この前はシアさんのためにありがとな」

「ふっ。言っておくけれど、シア様のためよ。瀬戸のためでも、ましてや神代のためでもないわ」


 体育館の前にあるベンチに座って、冷笑とともに春樹に告げる首里。崩落に巻き込まれて死にそうになった仲なのにな、と、死線をくぐり抜けても変わらない態度に春樹は安心感すら覚える。

 同時に、天と対等に渡り合っていた首里の姿を思い出す。それを見つめることしかできなかった、己の無力さも。思えば、演習の時からだ。春樹の中には少しずつ、少しずつ。幼馴染たちと広がる距離に対する焦りがつのっている。任務の際も、果たして自分は“何か”が出来ただろうか。


 ――このままでいいのか?


 悩みを隠し切れずに黙ったままの春樹を、首里も横目で静かに見詰める。と、


「朱音ちゃ~ん、お待たせ~!」

「お待たせしてすみません、朱音様」


 ラフな格好をした2人の女子学生が姿を見せる。木野きのみどりと三船美鈴みふねみすず。両親の言いつけで少し距離を取っていた首里も、ハハ京橋での騒動を経て友人付き合いを再開していた。ほんの少しだけ、首里も人間でしかない自分の気持ちに素直になっていた。


「およ? そこにいるのは確か神代君のお友達……。お話し中だった?」

「……いいえ。用件は済んだ? じゃあ、さようなら」


 木野の言葉を受けて、一方的に切り上げて立ち上がる首里。その際に舞う長い髪が、春樹に問いかけるように揺れる。このままでいいのか。ただ、優と天の隣に居るだけで良いのか。このままでは、差が広がる一方なのでは無いか。そんな春樹の焦りを見透かすように。


「待ってくれ、首里さん」


 気づけば、春樹の口から言葉が漏れていた。


「……何? まだ何か用?」


 興味なさげに。それでも一応の義理として、首里は目だけを春樹に向ける。そんな彼女に、一度頭をかいた春樹は己の本心を告げた。


「オレに付き合ってくれ」


 首里をまっすぐに見て、春樹は言葉を続ける。


「明日。明日だけでいい。オレの練習に付き合ってほしい」

「……残念ね。明日はここに居る木野さん、三船さんと勉強会なの。だからお断り――」

「なら、それが始まるまででいい」


 断る首里になおも食い下がる春樹。先ほどまでであれば、春樹も明日、いつものように優の課題を手伝うつもりでいた。しかし、このまま“いつも”を重ねるだけでは到底、優と天には追いつけない。いつものように努力するだけでは変わらない。

 隣に居るつもり。そんな勘違いをしないために。春樹は頭を下げて、頼み込む。


「頼む。このままだとダメなんだ。多分、近いうちに取り返しがつかないぐらい置いてかれる」

「瀬戸が言っている事、よく分からないわ。お断りね。行きましょう」


 春樹の頼みに、首里は表情を変えず冷たい言葉を返すのみ。「良いの?」と首里に尋ねる木野と三船を引き連れて、この場を去ろうとする。

 普段の春樹なら相手の迷惑を考えて、こんなことは頼まない。それが人間関係を円滑に進めるため術だ。胸を張って優と天の隣に居るのだと言い切るために。春樹は世間体を取り払って、もう一度頼む。


「このままだと、優たちに追いつけない。天に見放される。肩を並べられなくなる。だから……頼む!」


 恥も外聞も投げ捨てた春樹の言葉。それでも、残念ながら首里には申し出を受ける理由がない。疎遠になっていた分、木野や三船との親交を深めることに、しようとして。春樹が言った『ゆう』の響きで不意に、あの夏の日がよぎる。宝物を拾った二色浜にしきのはまで出会った、年下の男の子のことを。

 憧れを語るキラキラした瞳。憧れと一緒に居たいと願っていた、命の恩人の姿。あの時、男の子が言った言葉は何だったか。


「これも、人助け、なのかしら」


 小さく呟いて頬を緩めた首里。立ち止まって振り返った彼女は、頭を下げたままの春樹に歩み寄る。


「朱音ちゃん?」「朱音様?」


 驚く木野と三船の声をバックに、


「どうしてわたし? 魔法の練習なら、神代さんもいるじゃない」


 春樹を見下ろして尋ねる。そうして、突然対話の姿勢を見せてくれた首里の変化に戸惑いつつも、春樹は好機を逃すまいと正直に答える。


「もちろん聞いたことはある。けど、天は感覚で魔法を使ってて、オレじゃ参考にならなかった。その点、首里さんは、理論立てて魔法を考えてそうだなって」

「……わたしなら瀬戸の頭でも理解できるって? 馬鹿にしてるの?」

「天と対等だった。素直にスゲーって思った。だから、首里さんにお願いしてる。オレは首里さんが良いんだ」


 恥も外聞もない春樹の言葉。なるほど、神代優の友人なのだと首里は呆れる。が、


「そう。分かったわ。明日の午前中だけ、付き合ってあげる」


 これも人助けだと、引き受けることにする。首里にとってはただの気まぐれ。たったそれだけのことだった。そして、頼んでおいてまさか引き受けてもらえると思っておらず、固まる春樹に対して。


「それと、訂正しておくわ。神代さんとわたしが対等? 違うわ――」


 当然のことだと言うように表情一つ変えず、首里は言う。


「――わたしの方が、上よ。万が一、そんなわたしに一矢報いることがあったなら、少しは自信になるんじゃない?」

「首里さん……っ! ありがとな!」

「ふんっ。わたしの恩人に感謝することね」


 翌日。そしてそれ以降も。春樹は首里と特訓を重ねるようになる。優と天。幼馴染2人と一緒に居るために、一緒に居るだけでは足りない“何か”を、春樹は探し続ける――。


※次は常坂久遠の帰省の模様を描きます。

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