夏休みのあれこれ

幕間 戦闘の犬

 7月27日。元神の青年――ザスタは1人、荒廃した市街地を歩いていた。

 涼しげな印象の切れ長の怜悧れいりな目元に漆黒の瞳、黒い髪。黒のカットソーに色合いの違う黒のスラックスを合わせる。全身真っ黒。そんな格好をしたの青年だった。

 彼は現在、単身で魔人討伐の任務に赴いている。本来であれば第三校の教務課から申請をして、計画書を作成、セル単位で当たる任務。しかし、そう言った手続きをわずらわしいと思った彼は、勝手に任務地へと赴いていた。


「……」


 ザスタが漆黒の瞳で見上げるのは、ピンク色の看板が印象的な巨大複合型商業施設。かつて人でにぎわっただろうその場所も、今では閑散としている。入り口の前に居るのは、ザスタが乗って来た『金の翼』という名前の日本製大型バイク。黒と赤の指し色が光る、彼の愛車だ。

 他にも、倒れて放置されたままの自転車。割れたコンクリートやタイルの隙間から強かに生える背の低い雑草たち。そして――。


『『ガァッ!』』


 異形の動物たち。元は愛らしい小型犬だっただろう彼らも、飼い主から見放され、摩耗まもうした心から魔獣へと変貌してしまったようだった。

 自身に向けて牙をむく魔獣たちを、ザスタは特段気にすることも無く歩いていく。スラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、襲い掛かってくる魔獣があれば処理をし、恐れて逃げ去るのであれば放置する。今の彼の目的は魔人の討伐。そして、それを単独で行なうという己に課した試練を突破することだった。


『『グルァッ!』』


 それでも、枯渇したマナの補給を根源的な欲求として持つ魔獣が、マナの塊と言って良い天人であるザスタを放置するわけもなく。思い思いにご馳走ザスタへとむらがる。結果、ザスタが商業施設に足を踏み入れる頃には、無数の黒い砂の山が出来上がっていた。


 吹き抜けになっている商業施設。ザスタがいる1階から、4階までの各フロアを見上げることが出来た。


「出て来い魔人。俺はお前と戦いに来た」


 面倒ごとを嫌う彼は淡々と、それでいて堂々と己が目的を告げる。決して声を張ったわけでは無いが、誰一人として生者のいない商業施設に彼の声は良く響いた。

 しばらく待っても反応が無いことを確認して、ザスタは歩を進める。端から端まで300mはあろうかという商業施設。探すのも手間だと〈探査〉を使用し、マナを使って内部を一気に走査する。と、すぐ近くから1つ、大きく禍々まがまがしい反応が帰って来た。


『お、おにーちゃん、誰?』


 物陰から1人の男の子が、恐る恐るといった様子で姿を見せる。髪がほとんど抜けてしまっているものの、形は人間とほとんど変わりない。背丈は100㎝ぐらい。店舗のものを拝借したのか、身なりも整っている。しかし。


『この感じ……。おにーちゃん、魔力持ち? 天人?』


 鼻を鳴らすような仕草を見せた後聞いてくるその声は、合成音声のようになっている。加えて、腕や足には所々獣のような毛が生えており、口が犬のように突き出ていた。


「お前がここに住み着いた魔人だな?」


 〈探査〉で分かっていたことだが、ザスタはきちんと確認しておく。


『うん、そうだけど……? 僕、悪い魔人じゃないよ?』

「そうか」


 男の子――犬の魔人の返答に目を閉じたザスタはポケットから手を出し、右手に幅広の剣を〈創造〉する。黒いもやに包まれた炎のようなマナで出来た刀身は、犬の魔人より大きい。そうして作り出した巨剣を軽く振ると。


「構えろ。お前を殺しに来た」


 半身になって犬の魔人と相対する。そんなザスタの態度に、犬の魔人が吠えた。


『待ってよ! 僕、まだ人間を殺したことないよ?! がんばって、我慢してる! だから――』

「構えろ。お前が魔人として生きるためにな」


 犬の魔人の必死の訴えに、しかし、ザスタは眉一つ動かすことなく答える。続けて。


「俺を食いたいんだろう? よだれが垂れているぞ」


 そう言って剣を持ったままザスタが指さした犬の魔人の口からは、透明なよだれが垂れている。無意識だった犬の魔人は、慌てて口を拭った。


『そ、そうだけど! 我慢できる! これまでだって我慢したし、これからだって我慢する! だから、見逃してよ!』


 全身から黒いマナを漏らして感情的に叫ぶ犬の魔人。それでもザスタは構えを解かない。事前情報として、すでに2組、計6人の学生がこの任務にしている事をザスタは知っていた。


「……そう言って、何人殺してきた?」

『人は殺してない! 嘘じゃないよ?! 僕、最近魔人になったばっかで、どうすればいいのかわからなくて。だから』

「なるほど。こうして話しているうちに――もう1体が俺を襲う。そう言う話だな」


 ザスタがそう言って背後に跳んだ直後だった。上階から影が1つ飛び出してきて、ザスタがもといた場所を抉る。


「こっちは魔獣だったか」

『ガルゥッ……』


 奇襲に失敗したことを悔やむように鳴いたそれは大型犬だった。白銀の毛並みが美しい、外国産の犬。しかし、ショッピングモールの硬い床にひびを入れるという通常では考えられない膂力りょりょくを持つことから、魔獣であることは明白だった。

 獲物だったザスタをちらりと見て唸った後、身を翻した魔獣が魔人の隣に着地する。そうして近くに来た魔獣を、「よしよし」と魔人が愛おしそうに撫でた。


「お前が飼い慣らしているのか?」

『違うよ? 僕とリッキーは友達なんだ』


 今、ザスタを殺そうとしたことが嘘のように、無垢な声で問いに答える魔人。


「なるほど。お前ではなくそいつが殺す。だからお前は人を殺していない」

『そう! どう? 偉いでしょ?!』

「だが、人は食ったことがある。そうだな?」

『そ、それは、だって……。美味しそうだったから。それに、ご飯はみんなで食べたほうがおいしいもん』


 そう言って周囲を見渡した魔人。彼の目線をザスタも追うと、店舗の影から、出入り口から、上階から。あらゆる場所に、無数の魔獣がいる。共通しているのは、どれも犬の魔獣であること。犬の魔人は、その魔獣たち全てをしていた。

 周囲全てを取り囲まれたザスタは、笑う。無論、〈探査〉使用していた彼は大小さまざまな魔獣の存在に気付いていた。それらを無視していた理由など、1つしかない。

 これまで能面のように動くことのなかった表情筋を使って、それはもう嬉しそうに、楽しそうに、笑ったザスタ。


「良いぞ、こうでなくちゃな」


 手にした大剣を握りしめ、下段に構える。そして、自身の啓示いきざまを唱える。


「図り、測り、計ること。時に成長を促し、時に行く末を阻むもの――」


 雑に切られたザスタの黒髪が揺れ、全身からは赤と黒が混じる特徴的なマナが舞い上がる。彼の異様な様に魔獣たちは怯え、魔人ですらも感嘆する。


「――人はそれを壁と呼び、撃ち砕こうと団結する。そう。我こそは、進化を促すもの――」


 自分と、自分の前に立つもの全てを“先”に進めること。それがザスタの持つ【試練】の啓示。その効果は、自身含めた周囲全ての存在の身体能力を向上させること。また、マナの吸収効率を高めること。これにより自身も相手も、魔力切れまでの時間が大きく延長される。

 姿勢を低くし、大剣を下段に構えて突撃の姿勢をとるザスタ。最後に彼は、権能を完成させる。


「――今こそ、〈試練〉の時だ」


 その言葉とともに辺り一帯をザスタのマナが駆け巡る。そうして出来上がるのは、己の限界を超えるための領域。誰もが自由に、己の全力を出すことが出来る場所。

 右手に持った剣を後ろに引き、低く構えたザスタに対して、


『みんな、ご飯の時間だよ!』

『『ガルォォォ!!!』』


 魔人の掛け声とともに100に迫る数の魔獣が、上下左右から襲い掛かる。

 数えきれない敵と相対するザスタ自身と、神を相手にする魔人・魔獣たち。魔力切れでは簡単に終わらない。両者の死力を尽くした戦いが始まった。




 数時間後。日も暮れた第三校教務課任務係に、1人の学生が姿を見せる。いつものように任務係の職員の1人、佐々木ささき園子そのこがその男子学生の相手をしに、カウンターへと歩み寄る。


「どうされましたか――って、本当にどうしたんですか?」

「……魔人を殺してきた」


 そう答えた男子学生――ザスタの顔には切り傷。ライダースジャケットの下に見える服はボロボロで、腹からは出血も見られる。カウンターに着いた手には、噛み跡がいくつも残っていた。


「とりあえず手当を受けてください! 事情はその時に!」

「……すまない」


 心配のあまり語気が強くなってしまった佐々木に少しだけ驚いたような顔を見せた後、謝るザスタ。そのままシュンと項垂れて保健センターへと歩いて行く。そんな彼の姿が、かつて自分の家で飼っていたドーベルマンに似ていて、佐々木は思わず笑みをこぼしてしまった。


 こうしてまた1つ。特派員によって任務が解決され、魔獣と魔人の数が減る。常に己の限界に挑戦する。それこそが、【試練】を司るザスタの日常だった。

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