幕間 常坂久遠の帰省

 運行情報を見ながら在来線を乗り継ぐこと少し。常坂久遠ときさかくおんは終点、嵐山あらしやま駅までやって来た。肩口まである黒髪は外にはねたくせ毛に垂れ気味の目元、猫背。かなり内気そうな印象の少女は、紺色のサマーニットにベージュのロングスカートをはいていた。

 少し伸びた前髪の奥。藍色の瞳を動かして、駅前の広場を見渡す。人は、ほとんどいない。かつて観光地として名をはせた嵐山あらしやまも、今は閑古鳥が鳴いていると言って良い。その要因にはやはり、山と川。自然に近い立地だということがある。

 魔獣が溢れる今、自然豊かとは、危険と隣り合わせであることと同義。誰も、好き好んで魔獣と隣り合わせの生活を送ろうとは思わない。


「はずなのに、なぁ……」


 肩から下げる多くなショルダーバッグの肩ひもを握りしめて、常坂はつぶやく。常坂の実家はそうした危険な生活と隣り合わせにいることを選ぶ、もの好きだった。


 きょろきょろと目を動かして広場を見ると、左手。小道に面したコンビニに1台の黒塗りの車が止まっている。運転手らしい白髪の老人が常坂を見つけ、恭しくお辞儀をした。どうやら実家から遣わされたらしいと、常坂は車に歩み寄る。


「お、お疲れ様、です……。沢渡さわたりさん」

「はい、お久しぶりです、久遠くおんお嬢様。よくぞ御無事で。ささ、どうぞこちらへ」


 そう言って後部座席の扉を開いた老人は沢渡銀さわたりぎん。身長は175㎝ほど。齢65ながら背筋はピンと伸びており、弱弱しい雰囲気などみじんも見せない。沢渡は常坂の実家、常坂家の剣術道場に通う門下生でもあった。

 中々慣れない送迎に申し訳なく思いながら、せめて迷惑をかけないようにと、素早く車内に身を滑り込ませる常坂。次いで、沢渡も運転席に乗り込み、車が動き出す。


「お父様、お母様。何より、お爺様が首を長くしてお待ちです。きっと喜ばれますよ」

「あ、あはは、そうですかぁ……」


 人付き合いが苦手な常坂が苦笑と変な汗をかきながら相槌を打っていると、車が渡月橋とげつきょうに差し掛かった。何段にも折れる滝。窓を開けると聴こえてくる水のせせらぎ。皮肉にも、人が居なくなったことで自然は目一杯己の魅力を訴えかけてくる。実家に帰ることが憂鬱な常坂も、実家周辺のこうした自然や動物は大好きだった。

 常坂の実家は嵐山のメイン通りを少し行った場所にある、広い敷地を持つ日本家屋。すぐそばには有名な竹藪があって、観光名所の1つになっていた。今では、魔獣が隠れる格好の場所になったのだが。


「少し揺れまます」


 通りを折れて、歩道の段差を超えると正面に見えてくるのは大きな門。その向こうには石畳のアプローチと白い玉砂利。そこはもう常坂家の敷地だった。門の横には道場に通う多くの門下生が並んでいて、


「「お帰りなさい」」


 そう言って常坂を迎える。呆れ半分、申し訳なさ半分の笑顔を浮かべながら小さくお辞儀を返しつつ、ゆっくりと車が進むこと1分ほど。正面に瓦葺きの大きな建物が見えてくる。左手に大きな道場を構えるその日本家屋こそ、常坂の実家だった。


 時間と場所を移して、常坂は今、板張りの道場に居た。ちょっとした体育館ほどの大きさがあるその場所には常坂ともう1人。禿頭の男性がいる。白い眉毛に口ひげを生やし、鋭い眼光で常坂を見つめる男性こそ常坂の祖父、常坂平蔵ときさかへいぞう。常坂――久遠に剣を教えた人物であり、彼女が最も苦手とする人物でもあった。

 道着を着て、きっちり1mの間を空けて正座する2人。気まずげに視線をさまよわせる孫に対して、平蔵が口を開いた。


「どうだ」


 ただ、一言。それだけで、久遠は逃げ出したい気持ちになる。この祖父は基本的に無口な人物。あまり多くの言葉を発しない。よって、この短い単語から何を聞いているのか、何を聞き出したいのか。正確に読み取らなければならない。平蔵が饒舌になるのは、剣の心得を説くときぐらいだった。


『刀は人を生かすためにある。今や最も人を殺あやめている魔獣だ。古きを踏襲しつつも、新たなものを。魔獣を斬るための型を作ろうではないか。常坂ときさか家の繁栄を願ってな』


 久遠が使う型『魔剣一刀流』を創り出すと決めた際に祖父が語った言葉が、久遠の知る最長のものだった。

 ただでさえ人付き合いが苦手な久遠からすれば、他人の言葉の裏を読むことなど無理難題。加えて、弱弱しい態度を見せれば不意に喝が飛んでくる。久遠も剣士である以上尊敬はしているが、苦手意識はその数倍以上あった。

 久遠がいつも丸めている背中を伸ばし、懸命に声を張る。


「友人と共に、魔人と交戦しました」

「そうか。どうだった」

「〈せん〉を止められました」

「……なに?」


 久遠の脳裏に浮かぶのは友人――神代天やシアと行った初めての任務。3体の魔人と戦い、宝物である狐のお面と仲間を1人失った。そんな苦い思い出だった。

 その任務の最中、男の魔人と戦った際、初撃必殺の居合切り魔法〈閃〉が止められた。結果、攻め手を欠き、最終的には神代天の圧倒的な魔力でのゴリ押しで幕を閉じたのだった。

 事実を端的に述べた久遠の言葉に、平蔵がピクリと眉を動かす。


「他は」

「〈紅藤べにふじ〉は問題なく。〈藤桜ふじざくら〉は、使いませんでした」


 祖父を含め、親族全員で作り上げた久遠だけが使う魔剣一刀流。その残り2つの魔法についても手短に伝える。

 攻撃の〈閃〉、攻防一体の〈紅藤〉、防御の〈藤桜〉。その3つが、魔法が使える現代において常坂家が編み出した剣術だった。その理念は魔力が低い者でも長期的に、実戦的に“悪”――魔獣や魔人を斬ることだ。

 しかし、現状。彼我の距離を正確に測る空間認知能力。瞬時に〈創造〉を使用し、解除するマナ操作技術。〈探査〉から返ってくる反応を感じ取る魔法的感覚の鋭敏さ。それら特別な魔法の才を鍛え上げる必要があるため、使いこなせるのは久遠ただ1人だった。

 そんな魔剣一刀流の〈閃〉が防がれたことに危機感を持つ平蔵。人を守る剣として。また孫の久遠を守る剣として。これまで時代に合わせて変化してきた常坂流の剣術を基に考え直す。


「……師匠?」

「すまない。励め」


 会話に奇妙な間が開いたことに耐え切れず、祖父を呼んだ久遠。そんな彼女に対して、呼ばれた当人である平蔵は短く謝罪し、修練に励むよう言葉をかける。それを会話終了の合図と取った久遠が、


「失礼します」


 内心ほっとしながら言って、道場を後にする。久遠の後ろ姿を見ながら、そう言えばいつも腰に下げていたお面が無いことに平蔵が気づく。あれが無ければ、臆病な孫は魔獣を斬ることが出来ない。


「……作る、か」


 後日。久遠のもとに両親から新たなお面が届く。由緒あるものだと言う割には、真新しい木の匂いがする狐のお面。朱色の紐も新しいように見える。不思議に思いながらも久遠が腰に下げると、言いようのない安心感があった。

 こうして再び魔獣を斬ることが出来るようになった少女は、両親や祖父の指示のもと、森林や竹林に散策へ向かう。自身が敵を斬るそのイメージを補強するために。真新しい狐のお面を被った動物と自然を愛する少女は魔獣をただ斬って、斬って、斬って。殺し続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る