第9話 この想いこそ――

 これ以上は時間をかけていられないと、コウは〈淀み〉の権能で優を気絶させようと試みる。


「すべからく時を止めよ――〈淀み〉」


 コウの全身からマナが溢れ、鮮やかな紫色の燐光が優を襲う。しかし、見えない何かに阻まれるように弾かれるようにして、コウの権能は優の身体を撫でるだけに終わった。

 天人の権能を人間が防ぐことなどそうそうできない。それこそ同じ天人の力でなければ――。


「おいおい、まさか――」


 驚いたコウの隙をついて、優が彼を押しのける。すぐに立ち上がって距離を取った優の身体を白いマナが覆っている。驚いたコウが優を観察してみれば、優の手や顔にあった擦り傷やうっ血が全てきれいさっぱり無くなっていた。

 そして、万全の状態に戻った優が庇うようにして立つその背後には、


「すみません、優さん。お待たせしました」


 純白のマナを纏う天人の少女――シアがいた。

 膝をつき、穢れのない真っ白なドレスを身にまとったシア。祈りを捧げるような姿勢で優を見上げる彼女の姿は、誓いの言葉を口にする乙女を描いた絵画のよう。ただ一点、顔に朱が刺していることを除いて。




 実はシア。優がコウに蹴り倒された時点で目を覚ましていた。その時にはすでに優はボロボロで、手負い。そもそも、ただの人間が天人相手に少しでも時間を稼ぐことが出来ている時点で異常だった。春野にそうしたようにコウが権能を使わないのは密かな嗜虐しぎゃく趣味か、別の理由か。


 考えるのは後、ですね。


 大切な人が傷ついている。踏みつけられ、踏みにじられて、コウと何かを話している。早く魔法で優を支援しなくては。コウが友人はるのを傷つけた時点で、すでにシアの心は決まっていた。


 何が何でもコウには人間の法で裁かれてもらう。


 彼が牢屋に入れば、“魔女狩り”を恐れることはないはず。また、その時は自分も逮捕されるだろうことから、居場所が刑務所だとおおやけになる。わざわざ魔力至上主義者たちが自分を探す必要も無い。よって、コウと自分が逮捕されることが、シアにとっての最善手だった。

 身を起こし、〈魔弾〉をコウに放とうとする。まずは意識を集中して、


「俺はシアさんを幸せにしたい。笑っていて欲しい」


 コウの質問に答えた優の声が風に乗ってシアの耳に届いた。いつものように恥ずかしいことを、恥ずかしげもなく言っている。以前のシアであれば、そう受け流していたことだったが――。


「っ?!」


 どうしようもない熱さがシアを襲う。全身が、湯気が出そうなほどに熱くなる。


『幸せにしたい』


 優が発したその言葉がシアの脳内で反響する度、胸の奥から温かな何かがこみ上げてくる。集中が途切れ、魔法は不発に終わった。黒い髪を振り乱しながら、首を振ったシア。


 い、今は魔法に集中です!


 そう自分に言い聞かせて、今一度集中する。


『――ああ、大切で、特別で。大好きな人だ』


 無理だった。

 大好き。その言葉でシアの全身を巡る血が沸騰する。いつか、任務の時にも言われたその言葉。あの時に感じた以上の熱がシアの中で渦を巻く。

 しかし、コウに感じたものとは違って、優に対する熱は心地よくて温かくて、狂おしい程に愛おしい。シアの心が、体が、疑いようもなくゆうを欲している。


「もうっ! 優さん……っ!」


 シアが諦めそうになった時。いつもそばにいてくれる。何度も命を救われ、夢を与えてくれ、生きる意味を教えてくれた。誇張なく、人生を変えてくれた。だからシアは、死にかけていた優を助けた。

 しかし、演習の時は“恩”でしかなかったその想いも、命懸けの任務と、何気ない日常を経て、いつしか変容していたのだとシアはようやく気付く。

 そして、ふと。それこそ天啓のように。シアは己の中にある感情に等しい名前に思い当った。ただひたすらにシアがこいねがい、求めて、それでもついぞ手に入らなかったこの熱の正体こそ。


 『好き』……なんですね。


 コウが芽吹かせたシアの恋心の種は奇しくも、優に向けて花開く。

 これまで優に抱いていた想いに名前を当てた時、妙にシアの胸が軽くなる。混沌としていた想いは秩序だった指向性を持ち、体を侵していた熱は力に代わる。


 ――最も大切な人を守りたい。ずっと、そばに居たい。


 生来、思い込みが激しい少女の、芽吹いたばかりの強い想い。それはそのまま強いイメージとなって、権能という名の世界を変える力に変わる。


 ――例え、優さんにはもう“運命の人”が居るのだとしても、今だけは。


「お願いです。今だけ……。今だけはっ。あなたと私。たった2人の――〈物語〉」


 生まれたてのまっさらな想いが、シアの大好きな“主人公”に届いた。




「すみません、優さん。お待たせしました」


 優の言葉に悶絶して集中がかき乱されていたなどとは口が裂けても言えないシア。平静を装って、優を見上げる。しかし、さすがに顔色までごまかすことはできなかった。

 幸い、夜と言うこともあってメトロガーデンは薄暗い。また、優自身も〈物語〉による全能感に酔わないよう必死だったために、シアの顔色を気にする余裕はなかった。


「無事ですか? あいつに何か、嫌なこと、されませんでしたか?」

「い、いえっ。大丈夫ですっ」


 優に心配されて――大切にされて――湧き上がってくる嬉しさが表情に出ないよう、シアが必死でこらえる。多少、声に漏れてしまったのはご愛嬌だった。

 優の身体から漏れ出る白いマナから、シアが何かをしたのだと察したコウ。


「いいの、シアちゃん? 君が反抗的にするなら……ほら」


 言って指を鳴らしたコウ。狙いは優、ではなく周りにいた野次馬たち。カップルと思われる若い男女のそばでマナが収束していく。一般人の彼らが瞬時に対応できるはずもなく〈散撃〉が男女を襲う、その直前。


「させません!」


 シアが使用した〈探査〉によって、マナの収縮が阻害されて不発に終わる。初任務。魔人との戦いでシアが身に着けた技術だった。


「そうか。なら――」

「無駄です! ……〈領域〉」


 さらに複数地点で〈散撃〉を使おうとしたコウだったが、それより早く。メトロガーデンの中央広場全体を覆う真っ白なドームが完成する。まばゆいマナに包まれたドーム内では、シア以外の魔法の使用が大きく制限される。この場に居る全員を魔法から守る、安全地帯が創り出された。


「いいね、シアちゃん! でも、権能と〈領域〉だけで一杯一杯でしょ?! なら――」


 〈身体強化〉を使って近くにいた野次馬の女子高校生1人に殴りかかろうとするコウ。シアの自虐的な精神面をついて権能と魔法を解除させようという魂胆だった。


「え、きゃあああっ!」


 動画を撮っていたら突然訪れた危機に、携帯を手放して叫ぶ女子高校生。1人で部活から帰っていた彼女のそばには誰もいない。だからこそコウも彼女を狙ったのだが、しかし。


「だから、俺がいるんだ」


 コウの拳が女子高校生に届く直前、優が間に割って入る。権能によってさらに強化された動体視力と筋力でもってコウの拳を左手で受け止めた。

 全身からシアと同じく白いマナをほとばしらせて人間離れした動きを見せる優に、コウが虚を突かれる。その一瞬の隙をついて、優は白いマナをまとった右拳を強く握った。そして、


「俺が、シアさんの理想を叶える」


 シアから託された魔法おもいを乗せてコウの左頬めがけて振るう。そんな優の拳を紫色の瞳でとらえつつ、コウは魔法を使おうとして――、己のマナがもうほとんど残っていないことに気付く。春野へ2度、シアと優へそれぞれ1度ずつと、度重たびかさなった権能の使用。加えて、優が回避に専念したことによって魔法を乱発せざるを得なかった。

 1つ1つは小さな抵抗であったとしても、小さな点が繋がって、積もり積もった今がある。コウにはそこに、人の想いが紡ぎあげた光の道筋を見る。欲にまみれ、退屈を重ねて淀んだ日々を彩る星の輝きのように、コウには見えた。その光に魅せられて、


 最高さいっっっこうだ!


 心底楽しそうに目を輝かせたコウは真正面から優の拳を受け止めることにした。


 結果、優自身の〈身体強化〉とシアの〈物語〉。2つの魔法おもいが合わさった一撃は今度こそ。3度目の正直となって、コウを地面に打ち倒すことに成功したのだった。

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