第8話 天人(おとな)と人間(こども)

 地下鉄、京橋きょうばし駅へと続く半地下の円形広場『メトロガーデン』。吹き抜けになっている広場の中央で、コウと優が対峙していた。コウの足元には権能によって気絶させられたシアが眠っている。

 夏の夜。どこか湿り気を帯びた生ぬるい風がコウと優、少しずつ色合いの違う黒髪を揺らす。先に動いたのは、足止めを嫌ったコウだった。

 コウが優の両脇に視線を合わせ、指を鳴らす。

 すると、突然、優の両脇に紫色のマナの塊が現れる。ゆっくりと収縮していく塊を見た優はとっさに、大きく後方に飛ぶ。直後、大きな音を立ててマナの塊が破裂した。

 押し寄せる衝撃を身を低くしながら耐えつつ、優は図書館で勉強していた魔法学の知識を思い出す。


 起点指定をしてマナを限界まで圧縮、その後に勢いよく拡散させる魔法。……〈散撃さんげき〉だったか?


 高い奇襲性を備えた魔法を冷静に分析する。高度な空間把握能力と確かなマナ操作の技術が求められる魔法だった。目測を誤れば最悪、自爆の可能性もある。加えて、圧縮に失敗すれば魔法が不発、マナの無駄遣いに終わる。

 特派員でも扱える人間は限られており、失敗のリスクを考えると、よりイメージが簡単な〈魔弾〉が好まれる傾向にあった。


「さすが、天人。マナ操作は慣れてるんだな」

「20年もすれば、誰だって使えるようになるよ」


 言いつつも優を狙った〈散撃〉は止まない。優は紫のマナの光が見えた瞬間に、回避。先読みされた場所にあった〈散撃〉も、転がって回避する。借り物のスーツが汚れるが、そうは言っていられない状況だった。

 さすがに逃げてばかりでは分が悪いと、優も攻勢に出る――振りをする。優は人に魔法を使えない。使いたくない。加えて、今回の目的は時間稼ぎ。わざわざコウを攻撃する必要はなかった。


 ……とは言え、もう一発殴らないと気が済まないけどな。


 論理的な思考の端にある、シアと春野を痛めつけたコウへの怒りと共に、優は〈身体強化〉だけでコウに接近する。対して、


「そう言えば優くんは無色のマナ、なんだった」


 スラックスズボンのポケットに手を突っ込んだまま、自身の周りに薄く紫色のマナを漂わせたコウ。〈感知〉と呼ばれるその魔法は範囲内に放出した自信のマナの動きから、相手の動きを察知する魔法。背後などの死角を減らすため、また、無色のマナを感じ取るためによく使用される魔法だった。

 視覚とマナの動き。両方に気を配りながら、優を迎え撃つコウ。真っ直ぐに突っ込んでくる優の進行方向に〈散撃〉を罠として仕掛け、回避予想先に〈魔弾〉を撃つ。それらに対して優は、


「ふっ!」


 持ち前の動体視力でもって、目の前で収縮していく〈散撃〉を回避。次いで、回避先に飛んで来ていた〈魔弾〉を、〈創造〉した透明な針を投げて爆発させる。

 跳んでくる野球ボールにボールを当てるような優の芸当に、コウが目を見張った。


「すごいね、優くん。器用だ」

「それは、どうもっ」


 迎撃をかいくぐった優は〈身体強化〉を解除し、右の拳でコウを殴りつけようとする。が、コウは軽く後方に身を反らして優の攻撃を避けた。そのまま、長い足で腹部に蹴りを入れようとするコウの動きを見切った優。軸足になっているコウの左足を払――おうとして。突如、背後から猛烈な衝撃を浴びることになった。

 ユウよりも10㎝以上背の高いコウからは、優の背後が視認できる。よってそこに〈散撃〉を放ったのだった。


「うぐっ」


 声を漏らして前につんのめる優。そこにはコウの膝が待ち構えていて、優のみぞおちを強力な膝蹴りが襲う。とっさに、くの字に身体を折った優が衝撃を和らげつつ、コウの膝を抱える。片足立ちで不安定なコウを押し倒そうとするも、


「よっと」


 瞬時に軸足だった左足で地面を蹴ったコウがそのまま、優に抱えられた右膝を支点にして飛び上がり、空中で半回転。左の膝を優の後頭部に叩きこんだ。

 予想外の攻撃に、優はもろに一撃を食らう。すぐにコウの膝を離して、一度距離を取った。

 明滅する視界で、優がふらついた隙をコウは逃さない。


「ほら、足元」


 コウが指を鳴らすと、優の足元が爆ぜる。寸前に気付いて後退した優だが、一瞬の遅れがあだとなる。衝撃をもろに浴びて地面を転がる結果になった。

 無様に地を這う優と、彼を無傷で見下ろすコウ。戦い方もマナの扱いも、天と地ほどの差がある。まさに、大人と子供の喧嘩だった。


「俺、どうしてか絡まれることが多くてさ。たまにこういう遊びもしてきたわけ」


 優が立ち上がるのをわざわざ待ちながら、コウが語る。

 来るもの拒まず。言い寄ってくる人々を相手にしていると、時折、遊び相手の関係者がコウに突っかかってくることがあった。人情沙汰になったこともあったが、天人であるコウに対する警察の対応は消極的なものばかり。コウの公権力に対する図太さは、その過程で育まれたものだった。


「ま、ケンカした後はその人たちとも仲良く遊ぶんだけど。昨日の敵は今日の友、だよね」


 言葉巧みに、時に権能を使って。最終的には反抗してきた人々とも身を重ねて、丸く収める。コウにとってはそれが日常で、当たり前だった。このままいつものように、優も落として丸く収める展開だろうか、と考えていたコウの思考に妙案が浮かぶ。

 変わらない、退屈な日々を彩る最高の遊びを思いついた男の笑顔は醜悪で、無邪気だった。その表情のまま、コウは誰にともなく問いかける。


「……シアちゃんの前で優くんを抱いたらどんな顔するだろう?!」


 大好きなシアの目の前で、彼女の大切な人間を抱く。大切な人の乱れた姿を見れば、シアは優を見限るだろう。同時に、絶望するだろうシアの心の拠り所に自分がなれば。


「最高……っ! 最高だよ! あははは」


 思い描いた理想の未来に、愉悦に満ちた笑みを浮かべるコウ。そうして己の思考に酔って注意力散漫になっていたコウの横っ面に、本日2度目、優の全力の拳が突き刺さる。


「シアさんを大切に想ってるなら、悲しませるな! このクズ野郎!」


 髪は乱れて服は汚れ、息も絶え絶え。それでも優は気概きがいだけでどうにか立って、コウに向かって叫んだ。

 手負いとはいえ、優の全力の拳を受けたコウが大きくよろける。殴られた頬を押さえ、うつむいたまま、


「1回目は大人として許すけど、さすがに2回は許せないな」


 ぼそりと呟いたコウ。直後、彼の全身から紫色のマナがあふれ出す。〈身体強化〉によって強化されたコウの本気の蹴りが優の顔面を襲った。

 優はとっさに腕で防ぎつつも、もともと立っているのがやっとだった状態。簡単に蹴り倒される。背中を強打して肺から息を漏らした優の胸を、コウが踏みつけた。


「優くん、俺に抱かれてシアちゃんを悲しませるのと、殺されてシアちゃんを悲しませるの。どっちが良い?」


 言いながら、ろっ骨を踏み砕かん勢いで優を踏む足に力を込める。

 肺が圧迫され、呼吸もままならない状態に陥りながら。それでもなお、優はコウの紫の瞳を真っ直ぐに見返して、笑う。


「お、れは、シアさんを幸せにしたい。笑っていて欲しい。――だから、どっちも嫌だな」


 優の、そんな反抗的な態度に、コウは一瞬、あっけにとられる。が、すぐにその顔に笑みを浮かべた。


「……そっか。優くんにとってもシアちゃんは特別なんだね?」

「ああ、大切で、特別で。大好きな人だ」


 コウの問いかけに、優は恥ずかしげもなく真正面から答えて見せる。そんな優の態度に、コウの嗜虐心があおられる。


「じゃあ君を抱いた後、シアちゃんを君の目の前で抱いて、最後に君を殺すことにするよ。シアちゃんがちゃぁんと優くんに、お別れできるように、ね」

「……クソがっ」


 悪態をつきつつも、自分に何かできることは無いかを考え、最後まで足掻く優。踏みつけるコウの足を退けることは、できそうにない。かといって、手が届く範囲に武器になりそうなものもない。ただ、遠くパトカーのサイレン音が聞こえる。野次馬の誰かが通報したのだろうか。警察が来るまであと数分と言ったところだった。


 あと少し、あと少しなんだ。何か……っ。


 と、周囲を見渡していた優が、コウの背後で白く輝くを見つける。まさしく優にとっての希望の光。

 膝をついて静かに目を閉じ、祈るようにしてうつむいていた彼女はそっと口を動かし、


 『〈物語〉』


 己が権能を口にした。

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