第7話 運命の淀み
「動かないでください」
騒動でハハ
時刻は夜の7時を回ったところ。繫華街である京橋周辺は、まさにこれから盛り上がろうという時刻。表通りとは違って静かな裏通りには、近くの環状線を走る列車の音がよく響いた。
「まずは、抱えている女性を解放してください」
コウの左腕を持ったまま、その手に力を込める。春野の身体からは紅葉した
「女性に命令されるのも、悪くないね。それに、シアちゃんの知り合いらしいし……。これも運命の力なのかな?」
春野の声に振り向くことなく答えたコウ。そして、何かをぶつぶつとつぶやき始めた。
反応を示したものの動きを見せないコウに春野がもう一度、声をかける。
「もう一度言います。女性を解放し、署までご同行をお願いします」
内気で自称陰キャの普段とは違った、厳しい表情と声音で言う春野。彼女の姿を頼もしく思いながら、シアもコウに語りかける。
「コウさん、一緒に警察に行きましょう……。もうこれ以上は」
「停滞し、沈殿し、
シアが言った時だった。詠唱を終えたコウが、己の腕を掴んでいた春野の腕を逆に掴み返す。そして、静かに権能を解放した。
突如として湧き立った紫色のマナを警戒し、春野は合気道の要領でコウの腕を振りほどいて距離を取る。
「それじゃあ、真面目な警察官さん。さようなら」
「待ちなさ――」
コウが優雅に歩きだす。当然、それを追おうとした春野だったが、ふいにめまいに見舞われた。ふらつく足元。ぼやける視界。酸欠の症状が春野を襲う。立っていられず地面に手をつく。
「春野さん?! どうしたんですか?! 春野さんっ!」
「シアちゃん、騒がないで。ただちょっと権能を使っただけだから」
コウは自身の【淀み】が司る概念を使って、春野の拍動と血流を極限まで停滞させていた。30秒ほどしか持続時間は無いが、心停止に近い状態になり、貧血や酸欠の症状を相手に引き起こすことが出来る。連続して使用すれば人間を殺すこともできる、強力な権能だった。
「かはっ……ひゅ……ひゅ……」
呼吸はしているのに、一向に症状が治まらない。遠ざかっていくコウの背中を見ながら、
『私みたいな天人に対峙する時は何よりもまず、権能を警戒するんだよ?』
春野は先輩の言葉を思い出していた。
天人だって、確認するべきだった……っ!
今回はまず、
歩道と車道を区切る柵に背を預け、座り込む春野。白んでいた視界が黒くなっていき、意識を手放す。その直前、春野の目の前にあった非常口と扉が勢いよく開いた。
そして、またも見知った顔が飛び出してくる。
「春野?! どうした?」
「かみしろ……くん……?」
今にも崩れ落ちようとしていた春野の身体を、優が屈んで支える。そうしているうちに〈淀み〉の権能が解除された春野の全身を血が勢いよく巡り、意識も少し回復する。それでも、酸素が足りずにひどい頭痛がする頭を必死に動かしながら、
「シアさんを……」
うつろな目でそう言って、コウが消えた角を指さす春野。それだけで彼女が何を示しているのか、優には分かった。消えた“特別な人”と、目の前で苦しむ“想い人”。どちらを優先するべきか優は悩んだが、それは一瞬だった。
「……春野は大丈夫なんだな?」
「余裕、です」
暗闇でもわかるほど真っ青な顔と無理な笑顔で言う春野。それでも彼女の言葉を信じて、
「そうか。コウさん……いや、コウの野郎を足止めしてくれてありがとうな」
優はすぐに立ちあがり、駆け出す。そんな大好きな
春野が示した角の先には、地下鉄へと続く大きな広場と、幹線道路へと続く道がある。どこに向かえばよいのか。悩む優の視界に、空に打ち上げられた白い〈魔弾〉が見えた。その方角は地下鉄へと続く広場『メトロガーデン』だった。
「今行きます」
道路を飛び越え、すぐにメトロガーデンの敷地へと足を踏み入れる優。そこは、植木と花壇とベンチがある地上部分、飲食店が入る地下2階からなる円形広場だった。中央は大きな吹き抜けになっていて、地上から地下が見えるようになっていた。
吹き抜けにある、地下1階へと続くエスカレーターから優が見下ろす先。地下2階にある広場の中心に、シアとコウの姿が見えた。
一足飛びにエスカレーターを飛び降り、地下2階へと下り立った優。念のために周囲を警戒しても、優を物珍しそうに見る人々がいるくらい。コウの手下のような人物は見当たらなかった。
そうして改めてシアを
「追いつき、ました」
優は地下鉄の改札へと向かうコウの前に立ちはだかることが出来たのだった。
「……ほんと、シアちゃんが余計なことをするから」
優の姿を見て、足を止めたコウ。肩に担がれたシアが微動だにしないことを気にした優が、問いかける。
「シアさんに何を……?」
「俺の権能でちょっと気絶させただけだ。安心してよ」
ここからは進ませないとする優の意思を感じ取ったコウが、荷物と化したシアを丁重に地面に寝かせる。
「一応聞きますが春野……特警の女性もコウさんが?」
「まあね。あの子も美人の部類だったね。今度見かけたら、
首を鳴らし、伸びをしながらコウが言う。彼の言葉を受けて優の中にどす黒い感情が芽生える。それでも、いつもの無表情を崩すことなく、
「そうか。じゃあとりあえず、警察が来るまでお前を足止めさせてもらう」
隠し切れない感情――怒りを言葉と口調ににじませて、優はコウと対峙した。一方、コウの方も、
「パーティー会場での反応を見る限り、どうやら君……優くんはシアちゃんにとって大きい存在らしい」
ネクタイを外し、白いタキシードのジャケットをシアにかけて、動きやすさを確保する。
「ちょうどいい機会だ。悪いけど、シアちゃんの中から消えてもらわないと」
構えらしい構えを取ることも無く、コウも優と向き合う。
「シアちゃんには心の隅まで、俺に溺れてもらわないとね」
「……今だったら、天の言った気持ち悪いってやつ、分かるな」
何かの撮影やイベントだろうかと野次馬数人が次々と携帯を構える中。優とコウの戦闘が始まった。
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