幕間 “落とし物”

 その日、自室に戻った首里朱音しゅりあかねは1人、静かに両親からのメッセージを読んでいた。


『愛されていない人を友人と呼ぶなんて、良くないでしょ?』

『そうだ、アカネ。お前は選ばれた人間なんだ。付き合う相手は選べ』


 愛されていない。つまり、魔力が低い人物のことを差す。首里朱音は両親ともに医師の家系。高学歴高収入の両親からの期待のもと、多くの教養を身に着けて来た。首里自身もその期待に応えようと努力し、逆に、身の程もわきまえずに努力という名の怠慢を続ける人々を見下してきた。

 そうして高慢に、傲慢に過ごして来た首里が6歳の頃。改編の日を迎えた。以来、元より選民思想の強かった両親が魔力至上主義なるものを掲げ始めた。いわく、人間には選ばれたものと選ばれなかったものがいる。

 幼い頃から聞かされてきた、主義主張。年端もいかない子供に繰り返される言葉は洗脳にも近い。そのため、彼女自身も敬虔な魔力至上主義で――。


「くだらない」


 そんなつぶやきと共に、携帯をベッドに投げ捨てる。

 確かに、天人や魔力持ちを敬う気持ちは強い。実際、シアやザスタを見たときはその神々しさに、歓喜したほどだ。それは恐らく、他の人よりが持つ畏敬など通り越して崇拝と呼ぶものに近いと首里は自覚していた。

 しかし。彼女が他の魔力至上主義とは違う点。それは、人間も捨てたものでは無いと知っている事。

 実際、首里は木野きのみどりや三船美鈴みふねみすずと言った“普通”の友達がいる。彼女達との付き合いを報告した際の反応が、冒頭の両親からのメッセージだった。


「まあ、あの人たちなら当然ね」


 ため息と共に、変わらない両親への感想を漏らす。その顔には嘲笑すら浮かんでいた。が、すぐにいつもの冷たさを感じさせる無表情に戻ると、その視線を机に置かれた箱に向ける。その箱には首里の大切なものが入っている。それこそが、両親と違って、首里が人間を諦めていない理由でもあった。

 椅子から立ち上った首里は箱のふたを開けて、中を覗き込む――。




 生来、勝気な性格の首里。誰にも負けたくない一心で努力を重ね、書道やバレエ、ピアノと言った習い事もこなしてきた。

 けれども、上には上がいる。この世界には天人と言う、絶対に超えられない存在がいるのだと教え込まれてきた首里。あらゆる困難に手を差し伸べて、自分たち弱い人間を救ってくれる存在がいるという“事実”。努力しても届かない“絶対”に、負けず嫌い彼女は鬱屈とした想いを抱えていた。

 そんなある日。小学校4年生の時に両親と行った海――二色浜にしきのはまでの出来事。浜辺で遊ぶように厳しく言いつけられていたにもかかわらず、よくわからない反発心から、服のまま海に入った。もうすぐ10歳。これくらい大丈夫だと、歩を進めていた時。急に足がつかなくなった。ほんの少しだけ砂が窪んでいただけで、少し移動すれば足はついた。しかし、その時の首里は一気にパニックになった。届かない脚、海水を含んで重い服。浮き上がらない身体。遠のく意識。

 死を覚悟した時に願った神の救い。

 けれども、その時に助けてくれたのは一介の人間である男の子だった。救助が来るまで彼が持っていた浮き輪につかまることで、事なきを得た。その時に、首里の中で天人が“絶対”ではなくなった。自分たち人間も、悪くないと思えた。


『おれもユーに引っ張られて人生を変えてもらったんだ。だからおれもそんな奴になりたくてさ!』


 救助を待つ間、安心できるようにとずっと話しかけてくれた聡い少年。1つ年下の男の子に気遣われていることが無性に腹立たしくて、恥ずかしかったことを覚えている。


『ユーはスゲーんだ。とくはいん? ってやつめざしてめっちゃがんばっててさ。修行だってしてて――』


 たった1回の出会い。ほんの少しの会話。それだけなのに、狭く凝り固まった自分の思考を変えてくれた彼の手と笑顔を、首里は今でも覚えている。


『――だからおれはあいつの“あいぼう”になりたいんだ! ユーならお前をたすけた。だからおれはお前をたすけた。だから……お前もだれかをたすけろ』

『どういう理くつでそうなるのよ』

『……たしかにな! いみわからんな! おれ何言ってんだろうな!』

『ぷっ……なにそれ』


 必死で言葉を紡ごうとしていたのだろう少年は笑っていた。そんな彼に連れて首里も笑ってしまう。その時にちょうど両親が助けに来てくれたのだった。


「両親は男の子が私をかどわかしたって思ってたみたいだけど……」


 首里の両親が描いたシナリオは、優秀なうちの娘を野良の少年がかどわかして、海に引き入れたというものだった。

 両親の剣幕が恐ろしくて、口を挟めない自分。少年に申し訳なくて、うつむいてばかりだった。苦笑しながら去って行く彼の姿が見えなくなった頃、白い砂浜で緑色に存在感を放つヒモのようなものが落ちていることに気付いた首里。

 拾い上げてみると、それは、少年が足につけていたぶかぶかのミサンガだった。友人からもらったものだと、少年が話していたことを思い出す。


「言いそびれたお礼と一緒に、いつか返せると良いけど……」


 柔らかい笑みのまま宝物ミサンガが入った箱を閉じ、再度キャスターの付いた椅子に座る。

 そして、魔力至上主義本部からのメールをさかのぼる。毎週、会報として届くそのメールには「コウ」という天人による“お願い”の文面が並んでいた。


『白いマナを持った天人を探してほしい』


 これを見たとき、すぐに首里はシアだと分かった。しかし、見ず知らずの天人よりは見知った天人。目的が分からないこともあって、わざわざ報告するほどでもないと首里はシアのことを黙っていた。

 コウ本人を信奉するものが昨今、“魔女狩り”などと言う直接的な手段に出ていたことも知っていたが、首里の知ったことではない。世間が知るよりも魔力至上主義の教団は大きい。一部の信者が暴走することなど、残念ながらよくあることだった。

 いくつかのメールが過ぎ去ったのち、コウがシアの存在を知った旨の会報が届く。その文末には、コウの目的が書いてあった。それに賛同する形で首里はシアについて報告し、教団の指示のもと、シアを駐車場まで案内した。

 てっきりシアも喜ぶと思っていた首里だったが、車に乗り込む際に見せたシアの顔はどこか、悲壮感に満ちたものだったように思う。


「シア様。わたくしはどうすれば良かったのでしょう?」


 天人を信じたい思いと、人間自分を信じたい思い。そのどちらが正しいのだろうか。

 クッション性のある椅子の上。首里は己の膝に顔をうずめながら、1人考え込む。母親譲りの赤いおくれ毛がひと房揺れているのを、首里はうつむいたまま見つめていた。

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