第8話 最後の日

 シアと合流するために別のスライダーを並び直した優たち。比較的待ち時間が少なそうかつ、春野が「これなら……」と乗り気だった滑り台のようなスライダーをはじめ、水着で入る温泉なども楽しんだ。

 そうこうしているうちに時刻は16時を回った。ここからおおよそ1時間30分、男女別れて、施設の4階と6階にある、世界中の国々をイメージした温泉を楽しむことした。


 4階、男子風呂。反響する人々の声。ジャバジャバと水が注がれる音。ゆったりとしたBGM。華やかな内装が異国情緒を誘う。

 身体を洗い終えた優と春樹は、白と水色を基調としたエリア――地中海ゾーンの風呂を堪能していた。タオルを額に乗せ、2人して天井を眺める。温水とは言えプールで冷えた身体が芯から温まっていく。その心地よさに身をゆだねながら、優が感想を漏らした。


 「何というか、開放的な感じだな」

 「そうだな。あんま、馴染みない感じだなー。1時間以上時間もあるし、ゆっくりしていくかー……」


 優のつぶやきに、春樹が間延びした声で答える。

 男湯だけで10種類近く温泉がある。とはいえ、のぼせてしまう可能性も考えると、そう長くは浸かっていられないだろう。


 「地中海、か……。どんな所なんだろうな。サンゴ礁とか白い建物、海がきれいなんだったか?」

 「世界史の教科書に、改編の日前の写真があるだけだからなー。SNSとか見れば、まあ、現状は分かるだろうけどなー」


 鳥の魔獣もいるため、そうそう手軽に海外旅行が出来なくなった現代。貿易も、頑丈な貨物船と腕利きの特派員を警護につけてなお、黒鯨くろくじらと呼ばれる世界最大の魔獣と出くわさないことを祈る運頼み。観光船なども、すぐに引き返すことの出来る近海を周遊することがほとんどだった。

 つまるところ、魔獣の出現によって海外は文字通り、想像以上に遠くなったのだった。

 遠い異国の絶景に思いをせていた春樹が、思い出したように言う。


 「それでもあれだろ? 来月辺りに留学生が来るとかなんとか」

 「ああ、第三校の姉妹校らしいな。それこそ、ヨーロッパのどっかだった気がする」

 「魔獣のせいで無くなったり、逆に独立した国も多いらしいからな」


 混迷を極める世界情勢は、何も魔獣のせいだけではない。混乱に乗じた暴動や略奪によって、今なお国境が書き換わっている。日本でも長野県がそうであるように、魔獣や魔人によって統治されている国もあるようだった。

 思わず暗くなる雰囲気を打ち消そうと、優が立ち上がる。お盆休みは羽を伸ばすと決めたのだ。


 「よしっ、あえてスルーしたアトランティスゾーンに行きたいんだが?」

 「お、良いな。神話かなんかがモチーフだったか?」

 「そうそう。なんか格好良いだろ?」


 話ながらザバザバと湯船から出て、風呂場の中央にある薄暗いアトランティスゾーンへ。湯船がライトアップされていて、壁際にはなんと熱帯魚が泳いでいる。なるほど。確かに、どこか神秘的に見えなくもないなと優は思った。

 他の客たちの邪魔にならないように気を付けながら、湯船に浸かる。ぬるめに設定された湯温のおかげで、ゆったりと雰囲気を楽しむことが出来る。


 「神話、神様か……」


 アトランティスと言う名前から連想される想像上の生物――『神』。今やその神が実在するようになった。日本にも天照大御神あまてらすおおみかみ須佐之男命すさのおのみことと言った神々が、現代に合わせた名前と姿で顕現している……らしい。あくまでも優は噂として聞いている程度だが。

 シアやザスタなど何かしらの概念と想いが寄り集まって生まれた神と、神話をもとに人々の信仰という想いを受けて生まれた神。天人にも、それぞれがあると言われていた。

 優としては、想像上の彼ら彼女らと共に暮らしている現代は、なんだか胸躍る。例えば隣にいるおじちゃん達が、もしかすると名のある神だったりするかもしれないのだ。ゲームやアニメを嗜む優としては感慨深いものがあった。


 「神様と言えば――」


 優の言葉に反応してみせたのは春樹。短く切った髪をかき上げる姿が様になる。


 「シアさんの怒ったところ、初めて見たわ」

 「あー……そう言えば、そうかもな」


 プールでの騒動。体からマナが溢れるほどに怒りをあらわにしていたシアの姿が優の脳裏に思い浮かぶ。思えば、シアが怒りをあらわにしたところを優も春樹も見たことが無かった。任務の時ですら、悔しがったりすることはあっても、基本的にシアは笑顔を絶やさない人物でもあった。


 「まあ、果歩ちゃんのことがあったし、子供が絡んでたからだろ?」


 そんな優の見解に、なるほどと納得を示す春樹。


 「あの後シアさん、滅茶苦茶謝ってたな」


 シアに合わせてスライダーを並び直す羽目になった際のペコペコ頭を下げていた姿を思い出し、春樹が思わず笑いをこぼす。それに同意した優も、口元を緩める。子供を案じて格好良く怒って帰って来たかと思えば、列の最後尾でどうしようかと優たちを見てあたふたしていたのだ。

 なんとなく締まらない。そこに人間味を感じてしまう優が、薄暗い天井を見上げてこぼす。少し伸びた黒髪から水滴がぽつりと落ちる。


 「まあ、でも。らしいっちゃ、らしいだろ」

 「……だな」


 それがシアらしいと言える程度には、付き合ってきたつもりの2人。人間臭い神様もいるもんだと、アトランティスゾーンで考える。のだが、最終的には、


 「――で? 優的には3人の水着はどうだったよ? 具体的にはシアさんと、それから楓ちゃんな」


 ニヤニヤと下世話な話に行き着く。天について聞かないのは、妹を愛する優の答えなど分かり切っていたからだった。

 そうして聞いてくる親友に、優は素直に答える。


 「多分、春樹が天に対して思ったやつと同じだ。いや、それ以上かも。今日はいろんな意味で、来てよかった」

 「……そうか。そうだな、オレもだ」

 「――じゃ、次行こう。春樹」


 そう言って立ちあがった優から数拍遅れて、春樹も風呂から上がる。素直に想いを言葉にし、前を歩く幼馴染の背中が、春樹にはまだまだ遠く見えた。


 男女別れて2時間ほど温泉を堪能したのち、近くで外食して解散したのは9時頃。そのまま別れて帰宅する。もちろんその日も、シアは神代家にお呼ばれされた。

 そうして一夜を明かした優たち特派員組4人は、翌日、第三校へと帰寮する。またここから “特派員としての日常”に戻ることになる。自分たちが守っているもの――人々の暮らしと笑顔――を再確認した優たち。

 第三校では“魔女狩り”の心配もない。気持ちを新たな日々を再開してちょうど1週間後の8月24日のこと。


 シアが第三校から姿を消した。

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