第7話 愛しの伴侶
しばらく何が起きたのかわからずに呆然としていた女の子が、やがて泣き出す。そうして泣きじゃくる女の子の声がまずは両親を、続いて人々に耳に届き、ようやく事態に気が付いた。
「
手をついて荒い息を吐くシアの横で、母親が女の子を抱いて謝っている。助けた女の子の無事を確認したシアは滴る水もそのままに、ある一点を目指して歩を進める。子供から目を離した親が悪い――わけではない。今回に限って言えば、十中八九、別の所に“悪”があった。
静かに怒るシアの雰囲気を察してか、それとも水を滴らせる天人の神々しさに圧倒されてか。人々が道を譲っていく。
やがて足を止めたシアの目の前には、人々を
「権能を、使いましたね?」
両手の拳を握り、必死に怒気を抑えながら、それでも眉尻を吊り上げてコウに尋ねるシア。対して、いきなり目の前に現れた美少女にコウは値踏みするような視線を向けて、答える。
「驚かせたなら、ごめんね。でも、あまりにも退屈でさ」
悪びれも無く言ったコウのその態度に、シアは怒り心頭だ。天人はむやみに権能を使用してはならない。それが常識であるはずなのに。
キッとコウを睨みつけたシアが感情を爆発させる。
「たったそれだけの理由で……っ! 今、あなたのせいで子供が1人死にかけたんですよ?!」
「何をそんなに怒ってんの? 可愛い顔が台無し――」
「ふざけないでくださいっ!」
怒りがマナとなってあふれ出し、シアの体を白いマナが覆う。瞬間、コウの目が大きく開かれる。そして、
「見つけた」
小さなつぶやきが漏れた。その口元には笑みが浮かんでいる。宝物を見つけた子供ようにも、獲物を見つけた狩人のようにも見えるその笑みはしかし、すぐに消え去った。
そんなコウの表情は、怒るシアからすれば挑発のように映る。一層膨れ上がった怒気が、あふれ出るマナの量を増大させる。
「人の命を、何だと思ってるんですか?!」
「ごめんね。まさかここまでなるとは思わなかったんだ。反省した。これからは気を付けるよ」
だから許して、ね? そう言って片手をあげて謝罪する。己の権能〈肉欲〉をついでに使う。並みの人間であればそれだけでコウに好感を持ち快楽を求めて体をゆだね、思い通りになるのだが――。
「……? いいえ、許しません!」
天人であるシアには通用しない。一瞬だけ、何か知らない“熱”がシアの中に湧いたものの、子供を危険にさらして平然とするコウへの怒りは静まらない。
「権能を含めて内地の魔法使用は原則禁止されています! ご存知ですよね?!」
侮蔑の感情すらも込めて言い放つ。そんな、思い通りにならないシアの態度がコウにとっては新鮮で、何より理想的だった。
「ああ……、君が俺の愛しの伴侶なのか」
「何を……っ! 私の話、聞いてますか?!」
紺色の瞳に濡れた美しい黒髪。ビキニからのぞく白い肌に均整の取れた身体。白く神々しいマナに髪を揺らす圧倒的な存在感。権能が通用しなかったことからも、シアを天人だとコウは理解する。
シアの問いかけを無視した彼はあくまでもマイペースに会話を続けた。
「君、名前は? 俺はコウ。天人ね」
「シアですけど……って、そうじゃなくてですね! あなたは内地で魔法を――」
「それを言うなら、シアちゃんもでしょ? ほら、例えば今とか」
コウに指をさされて、シアは己の体を見る。と、確かに白いマナに覆われていた。実際は漏れ出たマナでしかないのだが、〈身体強化〉を使用しているようにも見える。
ひとまず息を吐いて心を落ち着け、マナを抑える。
「はい、お相子ってことで。この場は流そ? ね?」
軽薄に片手だけを上げてお願いをするコウ。ウィンクのおまけだってつけたが、シアはなおも食い下がった。
「いいえ。では私と一緒に警察に行きましょう。そして人間の法で裁かれるべきです」
シアの強気な対応に、それでもコウに焦りはない。そもそも人間社会は天人への対応をかなり曖昧にしている。それは天人のみが持つ権能の乱用を恐れているからに他ならない。天人が束になって人間社会に反抗し、甚大な被害が出ることを今の日本政府は恐れている。
そのことをよく理解しているコウは、たとえ内地の魔法使用程度で捕まったとしても精々口頭注意で収まるだろうと見ていた。
そんなことよりも、コウにとってはシアをどのように“落とす”のかを楽しむ方が大事だった。ひとまず言動からシアの生真面目さを感じ取った彼は攻め方を変えてみる。
「ほら、シアちゃんが騒ぐからどんどん人集まってきちゃう。シアちゃんの
「話を逸らさないでください。それに私のせいではなく、あなたのせいで……」
言いながらも周囲をぐるりと見渡す。そこにはコウの言う通り、2人の天人を見ようとさらに多くの人が集まりつつあった。その中にはもちろん、子供の姿もある。このままではまた、先ほどと同じことが起きてしまうかもしれない。
「それにシアちゃんにも連れがいるんじゃない? 警察に行くにしても、シアちゃんのせいでその人たちに迷惑かけても良いのかな?」
コウの指摘にシアが振り返ってスライダーの待機列を見上げれば、天が口だけで『大丈夫?』と手を振っており、その背後には心配そうにこちらを見る優と春樹の姿がある。
自分のせいで彼らに迷惑をかけてしまっている……?
シアの中に疑念が湧く。コウの言うとこに一理あるような気がしてくる。
そうして怒りから困惑へと表情を変えた少女にほくそ笑みながら、コウは最期のひと押しをする。
「誰も死んで無いし、怪我してない。だから、ね?」
犠牲は出ていない。むしろ、このまま長引かせる方が、もっと危ないのではないか。そうシアに思わせる。そんなコウの思惑と全く同じ結論を導いたシアは苦虫を嚙み潰したような顔をしながらも、
「……わかり、ました。あなたが反省していることを心から祈っています。」
糾弾することを止め、優たちが待つスライダーへと引き返すことにした。
運命の相手であるシアの渋々と言ったその表情と態度がコウにとってはたまらない。
途中、立ち止まって、助けたらしい親子と何かを話している。親に頭を下がられて困惑する姿。嬉しそうに子供の頭を撫でる笑顔。今の言で簡単に言いくるめられるチョロさ。その全てをコウは愛おしく思う。
【肉欲】を啓示に持つ彼だからこそ覚える、狂おしいまでの欲求。
「あれが、俺の
両手を広げ、見たことも無いほど幸せそうな顔をするコウ。
「どうやって俺のところに来てもらおうか?」
恍惚とした表情のまま、シアを自分だけのものにする算段を立てることにした。
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