第三幕・前編……「最終決戦」
第1話 素顔のままで
雨が降りしきる地面に、ドチャリと音を立てて落ちた天の小さな体。
幸いにも身体はマナに覆われ、うまく転がって衝撃を吸収してはいる、が。
「ぐ……ぅっ!」
肺から漏れたような音が聞こえ、やがてピクリとも動かなくなる。全身が脱力し、天を包んでいたマナの光が儚く消え去る。
「天さんっ!」
我に返ったシアは立ち上がり、すぐには動けない天の身体を抱きかかえて走る。
一瞬の間を置いて、背後では、待ちかねたご馳走を手にしようと伸ばした魔人の手が地面を抉っていた。
「「天!」」
魔人がシアと天に狙いを定めた時点で走りだしていた優と春樹が叫ぶ。
だが、終始、対角線上にいた彼らではとても間に合わなかった。
「くそっ」
悪態をつきながらも、冷静でいようと努める優。
対照的に、春樹は激情を黄緑色のマナに乗せて、魔人の腕を切り裂いていた。
「おぉぉぉ!」
気迫の乗った一撃が、魔人の腕を切り裂く。肉を切り、硬い骨にぶつかる嫌な音。
それでも春樹の想いは止まらず、骨ごと腕を切り裂いた。
手首の動脈が切れ、滝のようにあふれ出るどす黒い液体。
たまらず声を上げた魔人が、春樹に狙いを定める。結果、シアと天から意識を外すことに成功したのだった。
「常坂さんは?!」
先ほどから見えない藤色のマナの持ち主を探す優。冷静でいようとするその声にはしかし、焦りがにじんでいる。
西方の死に加え、大切な家族である天の窮地。果歩という救いがあっただけに、その心の振れ幅は大きくなっていた。
魔人の懐に潜り込むことで攻撃を避け、その隙に見渡せば。
棒立ちのまま項垂れる常坂の姿が目に映る。
「何を、やってるんだ……っ!」
戦場で思考と足を止めることは、仲間の命を危険にさらす行為。
言いようのない怒りが優の中に湧いた。
ひとまず、がら空きの魔人の胴体に深々とナイフを突き刺す。何度も、何度も。
降り注ぐ血で制服を汚すこと、数秒。魔人が自重で優を押しつぶそうと
寸前で懐から抜け出した優はそのまま、立ち尽くす常坂のもとに駆けた。
「何を、してるんですか……?!」
魔人を視界に入れながら、感情的にならないように必死で声を押し殺し、尋ねる。
その間、魔人は足元を動き回る春樹を攻撃している。対する春樹は激情が背を押す形で、異常なほど的確な動きを見せていた。
スポーツ選手などが体験するという、極限の集中状態――ゾーン。加速する体感のおかげで相手の一挙手一投足が遅く見え、自分のセルフイメージが強固になる不思議な感覚。
そのおかげで、春樹1人で魔人を相手取ることが出来ていた。
優の横に並ぶ常坂は、藍色の瞳をちらりと向けたものの、視線を下に落とす。
「お、お守りが……」
お守り。その言葉に疑問を覚えた優が彼女の視線を追って地面を見ると、そこにはきれいに2つに割れた狐のお面があった。
「こ、これが無いと、わ、私は、わたしになれません……」
言っている意味が何一つ分からない優。
感情が口から出る直前に一度深呼吸して、自分を客観的に見る。
すると、自分は察する力が低いことを思い出した。
「……どういうことですか?」
だから、常坂が言葉にできるように促す。
「えっと、つまり、だから……私、は魔人を……傷つけることが、出来ません」
ひどく申し訳なさそうに言った常坂は、最後に「ごめんなさい」と言って項垂れてしまう。
その肩は震えている。
任務地に来る道中。優が格好良いと思った、頼れる、勇ましい刀士の姿はそこにない。
が、彼女を非難することなど優にはできない。むしろ、魔人を傷つけられずにいた自分を重ねていた。
いつの間にか怒りが引いた頭で今一度、冷静に考える。
例え“今”、常坂が戦えないとしても。“これまで”が無かったことにはならない。
彼女が居なければ任務は数日にわたっていただろうし、全員のマナの消費も大きかっただろう。
彼女が魔人を傷つけられない理由は、やはり優には分からない。
それでも、彼女はここにいる。ならば、彼女が出来そうなことを提示する。
「わかりました。では天を会館まで運んでください」
「……え?」
てっきり戦えないことを非難されると思っていた常坂。
が、帰って来たのは平坦で、冷静な、これからの話。
「そのまま、果歩ちゃんと荷物、西方たちの所にいてあげてください。魔獣が来たら、全力で逃げる」
混乱する常坂に、優はやって欲しいことを伝える。
戦えないなら、逃げればいい。大切なものを守る方法は1つではないはずだと。
決して、仲間――常坂久遠を信じることを、諦めない。
「出来ますか?」
最期にそう言って、不器用でどこか自嘲気味な笑顔を向けた優。
そこに自分を見限りや落胆の色が無いことを不思議に思いつつも、常坂は何とか言葉を紡ぐ。
「は、はい。それなら……」
「では、頼みました。今はシアさんが天を抱えているはずなので」
言って、魔人のもとへ駆け出した少年を見送る常坂。
魔獣を狩れない特派員では、人は守れない。
――存在価値は無い。
魔獣を“悪”とすることが出来ず、殺せずにいた自分に、何度もかけられた言葉だった。
ある日、両親から渡された狐のお面。先祖の魂が宿るというそのお守りを被ることで、臆病な自分とは違う、もう1人の自分を創り出せたような気がした。
そうして、どうにか魔獣を狩ることができるようになったというのに。
飛んできた瓦礫が運悪く、お面を割ってしまった。
魔獣を殺せるもう1人の自分を失い、何もできない、役に立たない。そう思っていた自分に最初こそ非難を覗かせていた少年。
臆病な自分が申し訳無く、謝罪した自分をなじることもなく。
家族が自分のせいで傷ついたというのに、感情に飲まれず、冷静に状況を見続け。
言葉が少ないながらも内心を慮り、価値と役割を与え、道を示してくれる。
――信じて、頼ってくれる。
『常坂さんもいずれわかる』
午前の探索で春樹が言っていた言葉の意味を思い出す。
割れたお守りを大切に拾い、腰に結ぶ。
藍色の瞳で見つめるのは醜悪な魔人。そして、10mもある巨体と懸命に渡り合う“自分と同じ”、特派員の少年2人。
今でも臆病な自分は魔獣を、魔人を傷つけることはできない。
それでも。
「
素顔のままで、常坂久遠は戦場に向かって駆け出した。
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