第9話 境界線にて

 境界線のそばで〈探査〉を続ける天。緊急事態になってからはマナの出し惜しみせず、全方向に〈探査〉をしていた。


 森にはごく少数の遭難セルが残されるだけだ。そうして森に残っている学生たちも、現在進行形で進藤によって助け出されている。加えて、背後からは教員が駆けつけようとしている。今回の緊急事態の収束も近いだろうと予想しながら、天は〈探査〉と〈誘導〉を使用し続けていた。


(で、状況はっと……)


 たとえどれだけ人がいようと、長年連れ添ってきた兄のマナ反応だけは分かる天。


 再び広げたマナの感覚を頼りに、森の深い位置に居る優の様子を確認していく。と、優たちの反応と魔獣の反応が近い位置にあることが分かる。残念ながら、優たちは魔獣と接敵、交戦状態になっているらしかった。


 となると、今は万が一にも、魔獣と戦闘をしようとしている兄の邪魔になってはならない。天は必要性の薄くなった〈誘導〉を解除し、〈探査〉だけに集中する。


 そうしてマナの操作に気を配りながらも、天は優を取り巻く状況に内心で首を傾げた。


(魔力低いのに、なんで……)


 天人のシアと、あろうことか優自身が魔獣を相手取っているらしいことを〈探査〉で知った天。確かに兄は高校生になった今もヒーローを志す幼稚な人間だが、きちんと身の程は弁えている。今の自分が魔獣を相手にするには分不相応であることも、分かっているはずだ。


 にもかかわらず、優は魔獣と戦っている。もちろん兄が出しゃばった可能性もあるが、


(そうしないといけない理由がある、とか……?)


 その理由についても、天は〈探査〉から得られる断片的な情報から冷静に読み解いていく。


 崩れた建物の中に感じる、4つ重なっているマナ。小さく弱々しいマナが3つと、比較的大きなマナが1つ。


(小さいマナは弱った人、もしくは子供……かな。となると、残った1つの反応が春樹くんのはず。でも、何で動かないの……?)


 兄に対しては少々過保護な面がある春樹。優が魔獣と相対している今、春樹が戦闘に加わらないとは考え辛い。となると、瓦礫の中に居る3人を守るために小屋に残っているのか、あるいは、動けない状態か。


 恐らく後者だと天はすぐに判断する。


(助けが来るまでの足止めなら、魔力の高い春樹くんの方が適任。なのに兄さんが出張ってる。だったら、春樹くんが動けない状態って考える方が妥当)


 他人よりも“少しだけ”早く回る頭を使って、ものの数秒で状況を読み解く天。そうして個人的に気になる部分を探りながらも、全体を知るための〈探査〉の手は止めない。


 再び天が〈探査〉を使用した時、


(うん……? 魔獣がこっち来てる?)


 天は、自分のもとへまっすぐ向かってくる魔獣の存在に気付く。度重なる〈探査〉と〈誘導〉。魔法の使い過ぎで、さすがに魔力が低下しつつある。この後も〈探査〉を使うマナを残さなければならないことを考えると、天としては、なるべく少ないマナで魔獣を処理したいところだった。


 ここで“逃げる”よりも先に“処理”しようと考えるところが、神代天という人物をよく表していた。


(う~ん、どうしよっかな……)


 などと、悩んだのもつかの間。天の脳内に自分がやるべきことが見えてくる。時折、天に答えを教えてくるそのイメージを、天は“直感”と呼んでいた。


 この直感に従えば、万事うまくいくことを知っている天。反面、すぐに“答え”が分かってしまうため、面白みに欠ける。いつしかそんなふうに思うようにもなっていた。


「……まっ。今回は魔獣との戦闘が初めてだし、従ったげますよ~っと」


 直感のまま、はるか上空に何本か槍を〈創造〉し、〈魔弾〉の要領で地面に向けて撃ち下ろす。槍の形状を選んだのは、天にとって降ってくる武器として槍の雨がイメージしやすかったからだ。


 と、その時、ついに魔獣が天の視界に入った。


 木々の間を抜けて突進してきたのは、体高1.5mほどの4足歩行の魔獣だ。全身の毛は抜け落ち、黒い斑点のある薄ピンク色をした地肌がむき出しになっている。目や鼻が見当たらないその頭部には、口と思われる大きな穴が開いており、牙のようなものが所々に生えていた。


 そんな魔獣の口の中には2人の男子学生の姿があったのだが――


「やばい、やばい、やばい! 食われる!」

「落ち着けジョン! 絶対に魔法を切らすなよ!」


 ――そう口々に叫ぶのは、ジョンと下野の2人だった。


 2人は魔獣にくわえられた直後から〈身体強化〉だけに集中し、閉じられようとする魔獣の口を支えていたのだった。


「うえ、気持ち悪っ……! 〈魔弾〉っ」


 初めて見る魔獣の醜悪な姿に、天も生理的嫌悪を感じる。それでも冷静に狙いをつけて、黄金色こがねいろの小さなマナの塊を放つ。その間も上空から落ちてきている槍の〈創造〉と、もしもの時の〈身体強化〉は忘れない。


『プギィ!』


 よだれを散らして甲高い声で鳴いた魔獣。目は見当たらず、鼻もない。それでも魔獣は正確に、天が放った黄金色の〈魔弾〉を回避する。


 機動力のある中型の魔獣だ。やはり、隙をつかなければ遠距離からの魔法は当たらない。


「俺たちのことは良いから、逃げるんだ!」


 優男風やさおとこふうの男――下野しもの幸助こうすけが天に向けて叫ぶが、魔獣の突進は早い。彼が叫んでいる間にも、魔獣はもう天の目と鼻の先にいる。


『プギャァァァ!』


 頂きます、とでも言うように鳴いて、ご馳走である魔力持ちの天めがけて飛びかかる魔獣。どうにか耐えてきた下野やジョンもろとも、天を飲みこもうとした魔獣の欲望が敵うことは、無かった。


『……ピギャッ?』


 豚の魔獣の突進は、いつの間にか背中を貫通して地面に刺さっていた黄金色の槍によって、完全に止まう。また、魔獣が急停止したため、ジョンと幸助は魔獣の口からまろび出てしまうのだった。


 2人はそのまま地面を転がり、コンクリートブロックに体をしたたかに打ち付けて止まる。


「アウチッ!?」

「あいたた……。そうだ、女の子は!?」


 目を回すジョンの横で下野が振り返れば、魔獣が〈創造〉で創られたと思われる黄金色の槍に串刺しになっている。それでも絶命することなく、なおも口から鳴き声を漏らしながら暴れる魔獣。


 と、尻もちをついている下野が見上げた雨空から1本、また1本と槍が降ってきた。少しずつ位置をずらしてあるそれは正確に、1列になって魔獣に刺さっていく。やがて、鮮やかな黄金色の槍4本が、魔獣の背骨に沿って1本の列を成した頃。


『ピ、ギャ……』


 まるで初めから計算されていたかのように、魔獣は正中線に沿って美しく両断されるのだった。


「マジかよ……」


 現実離れした光景に息を飲む下野。彼が見つめる先で、2つの肉塊に分かれた魔獣が黒い砂となっていく。砂化すなか黒砂化こくさかと呼ばれる、魔獣が死亡したことを示す現象だった。


(しかも、俺たちが魔獣の口の左右に居たから、当たらないようにしてくれたのか……?)


 天が槍で突き刺したその場所は、ものの見事に下野やジョンを避ける位置に刺さっていたのだった。


 そうして初めての外地演習で、しかも単独で。魔獣を倒した当人である少女はしかし、


「兄さんたち、魔獣1体、倒してる!」


 結果など、最初から知っていたと言うように。助けた下野たちにも魔獣の残骸にも目を向けることなく、遠く彼方を見ていたのだった。


「――今、魔獣がここに来なかったか?」


 学生を抱えた進藤しんどうが、天や下野たちが居る場所に戻ってきた。そこには、きれいに二分された魔獣の残骸が転がっている。徐々に黒い砂になっていくその死骸を一瞥いちべつした進藤は、天に状況報告を求めた。


「神代、状況は」

「残すセルは2つです。どちらも……いえ、ザスタ君たちは戦闘後ですね。無事、魔獣を討伐したようで、こちらに引き返しています。もう1つのセルが魔獣2体と交戦。1体を討伐するも……未だ交戦中ですね。そちらには要救助者もいると思われます」


 そばに転がっている魔獣には触れず、天が報告する。


 ちょうど同じころ、内地に引き返した9期生たちが呼んできた教員たちが到着した。全員が特派員免許を持ち、学生たちよりも経験や知識が多く、魔力も高い。


及川おいかわです。外地演習中に魔獣が出現したと聞きましたが、本当でしょうか?」


 男性教員の及川が進藤に確認する。細身ながら鍛えられていることがわかるその体は、〈身体強化〉の証である薄い青色のマナの光で覆われていた。


 及川の問いには、同じ教員である進藤が答える。


「はい。事前に周囲の魔獣は駆除していたので、何らかの影響で発生したと思われます。魔獣は残り4体。森に2組、学生たちのセルが残っています。それぞれの場所は各自、魔法で確認してください」

「「了解です」」


 その後すぐ、いくつかの事項を確認したのち、


「お前たちは内地に戻れ。以降、境界線付近には近づくな」


 その場にいた少数の学生たちに告げて、大人たちは森の中へと散開して行くのだった。


 こうなると、もう自分の出番はないと判断する天。一瞬、自分も優たちの援護に向かおうかと考えるも、自重する。度重なる魔法の使用で、マナも限界に近い。この状態で駆けつけることは、もはや、足手まといになる。


 最後に使った〈探査〉では、なぜか優の所にいた魔獣の魔力が増大していた。またも発生した不測の事態。魔力の低い兄に対応できるだろうか。救援は間に合うだろうか。天の不安は絶えない。


 魔法が使えるようになった現代とはいえ、なんでもできるわけでは無い。死んでしまえば、それまでだ。


「兄さんたちを、お願い、シアさん!」


 優や春樹が生存する可能性を高めるには、間違いない天人のシアがカギになる。まさしく“神頼み”をしながら、天は吉報だけを待つことにした。

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