第8話 希望の白
雨が降る森の中。崩れた木製の小屋がある15mほどの空き地で、優とシアは3つの頭と肉々しい昆虫の羽を持つイノシシの魔獣と相対していた。
助けが来るまでの時間稼ぎを考えていた優とシアだったが、一度、魔獣を倒すことが出来ないかを試すことにする。
「俺が足止めしながら、前の魔獣を相手します。シアさんは後ろの森に隠れている魔獣を警戒しながら、隙を見て〈魔弾〉を撃ってみてください」
「分かりました。……やってみます」
優は見えているイノシシの魔獣に一歩近づいて、なるべく前後をケアできるよう意識する。
初めての魔獣との戦いで優がこれほど落ち着いていられるのは、春樹や子供たちを守らなければならないという使命感が緊張を上回っているからだ。
特派員として、ヒーローのように。そう思うだけで優は恐怖も焦燥も、絶望すらも、忘れることが出来ていた。
「でも、最優先はあくまでも小屋にいる4人の保護です。隠れている魔獣が、そっちを狙っている可能性も十分ありますから」
魔獣の中には連携して“狩り”を行なうやつもいたと、過去の事例を見ていた優は知っている。可能な限り想定できる情報を整理していた。
優の作戦に頷いたシア。一方で、心の底ではその冷静さに感嘆していた。
(私は焦って、落ち込んで、迷惑をかけてばかりなのに……)
情けない。そう心の中でこぼすシア。このままでは、危機を呼び寄せるだけ呼び寄せて真っ先に死ぬという“無責任な奴”になりかねない。
本当の意味で啓示の責任を取ると言うのなら、最後まで巻き込んだ人々を助けるために足掻くべきではないだろうか、と、シアは考えを改める。
(少なくとも、何もせずに死のうと言うのは、単なる“甘え”のはずです)
天人として、死ぬまでに一度くらいは役に立ったと言えるような働きはしておきたい。たとえ死んでしまうのであってもそれは結果であって、死が目的になってしまってはならない。
頼りになる少年の作戦の一助になれるよう、シアは〈身体強化〉に加え、〈魔弾〉で攻撃の準備を、〈創造〉で小屋にいる4人を守るための巨大な檻を創るイメージを固めておくことにする。
そうして優とシアがそれぞれの覚悟を持って見つめる先。やがて、魔獣が身をかがめ、足を鳴らした。
(――来る)
優が身構えた瞬間、イノシシの魔獣が駆け出した。優たちと魔獣。両者の間にあった10m以上の距離が一瞬で消え去る。
まさしく弾丸のような突進を、優とシアは左右に跳んでかわす。これで挟み撃ちの状態ではなくなって一安心、と言っている暇もない。突進した魔獣が着地後すぐに、もう一度突進の構えを見せた。
狙いは、優だ。
(ここです!)
魔獣の意識が自分から逸れた。そのタイミングでシアはマナを絞った狭い範囲の〈探査〉を行なう。
今、求められているのはもう1体の魔獣に関する情報だけのはずだ。別の場所でも戦闘しているかもしれない以上、彼らの邪魔になる可能性もある広範囲の〈探査〉はするべきではない。シアもシアで懸命に思考を巡らせ、天人として、自分がするべきことを考え始めていた。
「シアさん! もう1体の魔獣は!?」
「動いていません!」
シアの情報を聞いて、2体が連携している様子はなさそうだと判断し、優は仕掛けてみることにした。
「じゃあ、次、お願いします!」
そう優が言い終わるかどうかのタイミングで、魔獣が優に突進を試みた。先ほどよりも距離が近く、攻撃が届くまでの時間は1秒にも満たない。
それでも、直線的なその攻撃は軌道を読みやすく、優はその突進をもう3回も見てきた。
幼少から天の兄として、また、格好良い
そうして小学校から培ってきたもの全てを使い、ギリギリのタイミングで魔獣の攻撃範囲から外れることに成功した優。
(よしっ、次!)
なるべく少量のマナで、大きな隙を作る必要がある。魔獣の四肢が浮き、前足が地面に着く、直前。
「〈創造〉!」
優はテニスボール大の、小さな丸いマナの球を魔獣の着地点に置く。優のマナはシアが予想していたように無色――透明だ。加えて、魔獣は空中にいる。何かあるとマナの感覚から察知できても、どうしようもなかった。
『ブギャッ!?』
見えない何かに乗り上げる形で魔獣が四肢を投げ出した形でつんのめり、ぬかるんだ地面を滑る。
(いま!)
懸命に、冷静に、タイミングを計っていたシアが心の中で叫ぶ。
「やぁっ!!」
掛け声とともにありったけのマナを込め、半身で伸ばした手から〈魔弾〉を放つ。
天人であるシアは、生きてきた中で全力で〈魔弾〉を使う機会が無かった。その威力はシア自身も未知。
(せめて優さんの足を引っ張らないように……っ!)
そんな消極的なシアの思考とは裏腹に、森の一角を純白のまばゆい光が包み込んだ。
「は……?」
視界を覆う白いマナの塊に、思わずマヌケな声を漏らしてしまう優。シアの身長の半分ほどもある巨大な雪玉のような〈魔弾〉が、転んだ魔獣めがけて放たれる。
魔獣も危機を察し、すぐに起き上がろうと足に力を込める。が、濡れた地面が思うように行動させてくれない。
刹那の静寂ののち、シアが放った〈魔弾〉が魔獣を完璧にとらえた。
鉄骨が落ちたような、重量を持った音が森に鳴り響く。木々は葉にため込んだ雫を飛ばし、鳥たちが雨を忘れて飛び立った。残されるのは雨が自然をたたく音だけだ。
優の視界の先。全身から血を吹き出しながら、魔獣が吹き飛ぶ。体はひしゃげ、受け身を取ることすらできていない。どちゃどちゃと泥の地面をはねたイノシシの魔獣は5mほど吹き飛んだところで止まる。3つとも白目をむいたその顔を含め、全身が、その魔獣が絶命したことを如実に語っていた。
「……格好良すぎるだろ」
見惚れてしまうほどの高火力。優が使った魔法と同じとは思えない“天人の魔法”に優の顔が歓喜に染まる。この時、優が感じているのは無力感というよりも、憧れに近いものだった。
どうしても届かない、それでいて、どうしても届きたいと思ってしまう。あれだけの力があれば、どれほどの人を守ることが出来るだろうか。
その憧憬を原動力に、優は全員が生き残るための道筋を再度、考える。先ほどからシアは、優の提案に文句ひとつ言わず従ってくれている。少なからず信頼されていると思いたい。
あるいは元神である天人らしく、深遠な考えがあるのか。いずれにしても、優のするべきことは変わらない。
「ありがとうございます、シアさん。これで進藤さんたちが来るまでどうにか持ちこたえられるかもしれません」
優が〈探査〉で近くの情報を調べた限りでは、先ほどの魔獣と、今も隠れている魔獣の魔力は同じくらいだ。油断はできないとはいえ、シアが〈魔弾〉を当てられる状況を作り出すことが出来れば、仕留めることが出来るだろう。
絶望に差した希望の光に、優が目を細める一方で。
「……あ、はい。……え?」
魔獣を打ち倒したシアは、何が起きたのか自分でも分かっていない。自分が全力で〈魔弾〉を使ってみれば、予想外に大きな弾が出来上がり、反射的に撃ちだしてしまっただけだ。
そして、気付けば遠くで魔獣が倒れている。
「……ぅえ?」
現実味のない一連の出来事に、再び、間抜けな声を漏らしてしまうのだった。
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