第三幕……「動き出す歯車」

第1話 不可解な行動

 現状を切り抜ける可能性を、シアの魔法に見た優。しかし、シア当人は、自身がしたことをよく理解できていなかった。


「えっと、私が……あれを?」


 無残な姿で倒れている魔獣を指して、シアは優に確認する。優が頷いたのを見ても、実感が湧かない。


「本当、に……?」

「はい。俺には、あんなことできません」


 その時になってようやく、シアは状況を理解した。死を待つだけだった運命が、彼の手を取ったことで変わりつつあることを。自分のせいで招いたこの危機を、自分が役に立つことが出来れば、切り抜けられるのだと。


「油断しないで行きましょう。すぐにもう1体も動くはずです」

「――はいっ!」


 念のため忠告した優の言葉に、シアは力強く頷いて周囲を警戒する。だからこそ、森に隠れていた魔獣の突進に落ち着いて対処できた。

 草木を揺らしながらまっすぐ、優とシアをめがけて何かが駆けてくる。やがて姿を現したその魔獣は、犬型だった。しかも、ほとんどその原型を保っている。犬との違いと言えば、豚鼻である点ぐらい。もとは野犬だと思われた。


 ――今度はイノシシを食べた犬の魔獣か。


 汚れた黒い毛並みを持つ犬の魔獣を優はつぶさに観察する。魔獣はもとになった動物の性質を受け継ぐことが多い。例えば、先のイノシシの魔獣は嗅覚と突進力に優れていた。今回の犬の魔獣はイノシシの魔獣より走る速度が遅い分、機動力がありそうだ。そう、優は現状で警戒すべき点を洗い出した。


「シアさん、余裕を持って避けてください!」

「は、はい!」


 犬の魔獣の機動力を考えて、優はあえて大きめに距離を取って突進を回避する。シアも、魔獣をよく観察しながら、まずは回避に専念した。


 2人はすぐに転身し、背後に駆け抜けていった黒い毛並みの犬の魔獣を見遣る。自分たちのどちらに狙いを定めるのかと、優とシアが警戒していた魔獣は、しかし、そのまま走り続ける。

 犬が駆ける方向は西側、つまり、第三校がある方面だ。まさか、そのまま内地に向かうのか。それとも、獲物ひとを置いて逃走するのか。優が魔獣の奇妙な行動の意味を測りかねていると、ようやく魔獣がその足を止めた。

 そこは優たちからかなり距離を取った場所だった。距離にして15mほど。小屋を背にして立つ優たちと犬の魔獣。ちょうど円形の空き地の橋と端に立つくらいの距離だ。より近くで、より早いイノシシの魔獣の突進を避けられたため、魔獣の攻撃は避けられるだろう。


「シアさん、もう一度、同じ方法をやってみます」


 〈魔弾〉を撃つ準備をしてほしいと言った優の頼みに、シアは素直に頷く。

 優とシアが警戒感を持って見つめる中、犬の魔獣が後ろ足だけで立ち上がり、お腹を見せた。どんな攻撃が来るのか。魔獣の中には人を食べて、魔法を使う個体もいることを優は知っている。この魔獣もそうなのか。だとすると、さすがに先ほどのようにはいかないだろう。

 優とシアが身構える中。犬の魔獣はお腹にあったもう1つの大きな口を開き、足元にあるもの――先ほど倒したばかりの魔獣を丸のみにした。


「「え?」」


 2人して漏れる疑問の声。その間も、犬の魔獣は骨を砕く音を立てながらイノシシの魔獣を咀嚼する。数秒してようやく、優は魔獣が捕食行動をしたのだと理解した。魔獣の“攻撃”にばかり気を取られていたため、魔獣が見せた“捕食”という行為に思い至るまでに時間を要してしまったのだ。

 同時に、その危険性にも思い至る。魔獣は何かを食べることでマナを補給し、魔力を高める。そうして身体能力が向上するだけでなく、魔法を使うのであれば、扱う魔法も強力なものになる。それこそ、一般人と魔力持ちが扱う魔法が別次元のものであるのと同じように。つまり、端的に言えば、強くなるのだ。


「シアさん、魔獣が変態する前に〈魔弾〉を!」

「えっ?! は、はい!」


 優が駆けだし、シアが魔法を使う。犬の魔獣はその時点で咀嚼そしゃくを終え、本来の口から大きなゲップを漏らした。

 駆ける優のすぐ左横をシアの純白の〈魔弾〉が通り過ぎていく。外しても、せめて魔獣の機動力だけでも削いでおきたい。この後のことも考えるなら、リスクを冒す価値はある。そう判断した優は〈創造〉で創った透明の刃渡り30㎝ほどのサバイバルナイフを構え、魔獣の動きに注視する。注視していたはずだった。


「ぐっ?!」


 気づけば、優の視界は横を向き、やけに地面が近かった。聞こえた音が自分の口から発せられたものだと優が認識してようやく、地面にぶつかった体が衝撃を伝えてくる。

 口内を満たす鉄の味。回転する優の視界がとらえたのは、後ろの片足を上げた状態で優を見下ろす魔獣の姿だ。


 ――攻撃を受けた。


 それを理解する頃には、優は地面を何度も転がっていた。


「優さん!」


 シアの目線の先。数度地面を転がった優は、春樹や子供たちがいる小屋にぶつかる直前で止まる。

 どうするべきか。シアは頭を巡らせる。優を助けに行くか、それとも、小屋の4人を檻で守るか。迷うシアの耳に、鈍い音が聞こえてくる。〈魔弾〉が魔獣に命中したのだ。

 優が気を引いてくれたおかげだろう。これで魔獣は倒すことが出来た。〈探査〉で見た限り、近くにはもう魔獣はいない。それらを瞬時に判断して、シアはひとまず、優の状態を見に行くことにした。


「大丈夫ですか?!」


 汚れることもいとわず、シアは膝をついて倒れて動かない優の状態を確認する。服は泥だらけだが、長袖長ズボンだったことが幸いし、頬の擦り傷以外、外傷は見られない。

 ほんの一瞬、気を失っていた優もシアの声で目を覚ます。間近で自分を心配そうに見つめるシアの紺色の瞳と雨に濡れた髪。それすらも美しいと、場違いにも優は一瞬見惚れてしまう。しかし、今はそんな場合ではないとすぐに気持ちを切り替えた。


「……はい、何とか」


 立ち上がり、5体満足を確認する。変な方向にひねったのか、左腕を動かすときに少し違和感があるぐらいだ。少し深めに口内を切ったようで、嫌な血の味が満ちていた。


 ――焦るな。落ち着いて、余裕を持って考えろ。


 そう自分に言い聞かせる。状況を何度も整理する。


「本当に大丈夫ですか? 痛い所とか……」


 立ち上がった優を心配そうに見上げるシア。元神様でありながらどこか親近感のある人の良い天人に、優は苦笑交じりに改めて問題ないことを伝える。


「本当に大丈夫です。それより、状況が悪くなると思います」

「えぇっと……、どういうことでしょう?」


 優につられる形でシアが見た先。そこには〈魔弾〉を受けて倒したはずの魔獣が平然とした様子で立っている姿があった。

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