第2話 絶望の黒
優とシアが見つめる先。先ほど、イノシシの魔獣を捕食した犬の魔獣が5体満足で立っている。
「どうして……」
優の横でシアが深い紺色の瞳を見開く。
シアが〈魔弾〉を使った際、込めたマナはイノシシの魔獣を倒した時と同じくらいだった。加えて、犬の魔獣が内包していたマナも、最初に倒したイノシシの魔獣とも変わりなかった。
多少の個体差があるとはいえ、同じような結果を導けると思っていたシアに、優が改めて魔獣の習性を確認する。
「共食い……。魔獣が魔獣を食べて、肉体が急速に変化したんだと思います」
マナ不足の飢餓感から、魔獣は総じて肉食になる。
イノシシの魔獣も、本来は主食ではない同族を何頭も食べていた様子だった。魔獣が生物を食べるのはマナの摂取効率が良いからだ。そのため、マナの内包量が他の生物に比べて圧倒的に多い“人間”を襲って食べるのだが、マナを多く持っているのは人間や天人以外に、魔獣も同じだ。
「犬の方は最初から、俺たちじゃなくて魔獣を狙っていたのか」
そんな優の予想通り、犬の魔獣は、自分が優たちを襲っても殺される可能性があることを野生の勘で悟っていた。だからこそ、まずは他の魔獣を食べて力をつけ、そのうえで優を、最後に、魔獣にとってのご馳走であるシアを食べようとしていたのだった。
「魔獣の様子が変です……」
シアの言う通り、犬の魔獣が頭を下げ、唸るような体勢を取っている。四肢に力を込め、体が震えたかと思うと、まるで脱皮をするように背中の表皮が裂けて肉の塊が飛び出す。その肉塊は元の体を飲み込みながらどんどん肥大化し、新しく体を形成していく。
これこそが、魔獣の変態と呼ばれる行動だ。この変態が終わった時、魔獣は新たな肉体を手に入れることになる。
「あれ? でも、今が攻撃のチャンスなんじゃ……?」
シアからすると、魔獣は無防備に見える。今の魔獣が相手ならどんな全力の攻撃も当てられる自信があった。
早速立ち上がり〈魔弾〉を撃とうと腕を掲げたシアに、しかし、優は待ったをかけた。
「いえ、今の魔獣は言わば大型のマナ爆弾です。あれを攻撃すると、周囲を巻き込んで大爆発しかねません」
マナは、遺伝子同様に、それが何であるかを定めている暗黒物質だと言われている。物質とマナは相互作用の関係にあり、物質が変容すればマナの中にあるとされる
情報が、マナが変容すれば物質が変容すると言われていた。
そして、今、魔獣は変質したマナに合わせて肉体を再構成している最中だ。その途中で外部から別の干渉を受けると、肉体をうまく再構成できなくなり、行き場を失ったマナが勢いよく四散することになる。それこそ爆弾のように。
その衝撃は尋常ではない。とある研究では、人と同じくらいの魔力を持った魔獣が変態時に爆発した際、周囲100mほどが軽く吹き飛んだとされていた。
「ですが、そんなこと、授業では聞いたことが……」
「はい。この先の単元で勉強すると思います」
特派員を目指す第三校では、魔獣についてももちろん深く学ぶ。が、今はまだ入学して1か月と少ししか経っていない5月上旬。優のように魔獣について自主的に勉強していない限りは、まだまだ魔獣に対する未知は多かった。
(そういう意味でも、まだ学生の勉強が不十分なこの段階で、魔獣との戦闘は想定していないはず。間違いなく、今のこの事態はイレギュラー……だよな?)
まだ全体像が見えず実情を知らない優からしてみれば、今のこの事態も、授業の延長線上である可能性を否定しきれないで居るのだった。
いずれにしても、もしいま魔獣を攻撃して爆発するようなことがあれば、今までの努力が水の泡になる。優やシアのように爆発が予見できる状態であれば、〈身体強化〉が使用できるため、大怪我で済む可能性もある。が、小屋にいる春樹や子供たちは無防備な状態で吹き飛ばされ、何かにぶつかって水風船のように肉体が破裂する可能性が高かった。
「じれったいですが、少なくとも今は、攻撃はやめておきましょう。それより、救援が来ていないかを、境界線方面の〈探査〉で確認してもらえませんか?」
天の〈探査〉が消えた。代わりに数度、異なる色のマナが自分たちを通り抜けたことから、複数人が救援に来てくれているはず、来てくれていなければ困るというのが優の希望的観測推だ。
(これが授業なら、学生が。非常事態なら先生たちが来ているはず……)
目視での警戒をしながら事態の把握に努める優の横で、シアが純白の〈探査〉を広げる。
「……150mより少し手前に、5つの反応があります。多分、救援に来てくれた人たちじゃないでしょうか」
「了解です。となると、到着まで大体15秒くらいですね。それなら、どうにかなるかもしれません」
あと15秒。それが過ぎれば、救援が駆けつける。
目安の時間を確認し、優は改めて体の調子を確認する。身体能力が馬鹿げている魔獣の攻撃をもろに受けた優の身体は、目には見えないダメージを負っていた。時間が経つにつれて節々が痛み、お世辞にも絶好調とは言えない。
それでも、きちんと五指は動くし、手足の動きにも問題はない。
優が周囲の状況を確認している間に、魔獣は変態を終えようとしている。その間も時間は経過しているため、実質、10秒程度耐えれば救援が来るだろうと時間を計算する優。
今は魔獣と優たち、小屋が一直線だ。もし突進でもされたなら、小屋を守るために回避できなくなる。
(念のために移動しておくべきだよな)
そう優がシアに伝えようとして、首を動かした時だった。いつの間にか変態を終えて巨大な犬と化していた魔獣の頭付近に、マナが凝集されている様を視認する。
「優さん、あれって、〈魔弾〉じゃ……」
「……っ! さっき使われた魔法を、学習したのかもしれません!」
それを見て最後にして最悪の状況になったと優はすぐに思い至る。
魔獣が魔法を獲得した。優が知る限り、過去にも魔獣が魔法を使用した例はある。しかし、魔法を獲得したのは、例外なく人を食べ、ある程度知性を持った魔獣に限られていた。
目の前の魔獣は少なくとも人を食べた様子はない。あるとすれば、この場で例外的に学習したか、もしくは……、
「最初から人を食べたことのある魔獣だったのか……?」
先ほどは野生の勘で攻撃してこなかったのかと思っていたが、もし最初から魔獣に高度な知性があったならどうだろうか。
イノシシの魔獣と優たち。2者を争わせ、互いに消耗させつつ、最終的には両方頂く。終始、もっと力を得ようとした犬の魔獣の作戦だったということになる。
優がその考えに至ったとき。まるで焦りを見透かすように、魔獣が笑ったように見えた優。
救援が来るまで残り10秒ほど。しかし、それだけの時間があれば、魔獣の〈魔弾〉は小屋もろとも優たちを亡き者にする。そして
「最悪だな。笑えてくる」
「そんなことより! 今はどうするかを考えましょう! な、何か……。どうにかして全員が生き延びる方法は……」
自嘲気味に呟いた優を、シアがたしなめる。この時シア自身は気付いていないが、彼女はいつの間にか生き残ることを願うようになっていた。運命が変わった。そう感じたが故の、密かなシアの変化だった。
生き残る道を模索するよう言われた優に、もちろん諦める選択肢はない。
(どうする。どうすれば魔獣を討伐できる……?)
優とシアが考えている間に、魔獣が〈魔弾〉を放った。速度はボーリングほどと、それほど速くはない。しかし、その大きさは、シアが放った〈魔弾〉にも勝るとも劣らない直径1mほどもある。
魔獣の特徴でもある黒いマナが巨大な塊となって、優たちと、その背後にある小屋に向けて真っすぐ飛んできていた。
と、その時、優はふと、自分たちが今、何をしていたのかを思い出した。
(シアさんの魔法が強力だったから忘れてたが、そもそも俺たちは――)
「……シアさん! 最初に話したもう1つ作戦で行きましょう!」
「ぅえ? もう1つの作戦ですか?!」
時間が惜しいとシアの手を引いた優が、後ろにあった小屋を目がけて走る。何が何やらわからないシアだったが、すぐさまイノシシの魔獣と戦う前の話し合いを思い出す。
こうして
しかし、今、状況は変わった。そう、助けが来るまでの時間が分かったのだ。その時間は数秒。つまり、ほんの少し、時間を稼ぐことが出来ればいい。その方法は、シアが小屋から引きあげられた時に、優と話し合っていたものでもあって――。
「あっ!」
優に手を引かれ小屋を上り始めたシアが、声を弾ませる。
「籠城作戦ですねっ!」
表情明るく言った彼女に、優は深く頷く。
「はい。でも檻ではなくて、全員を隙間なく包み込めるものをお願いします」
柵や檻といった隙間のある創造物だと、〈魔弾〉の爆風や衝撃が内部まで届いてしまう。それでは意味がない。視界を塞いででも、穴の無い、分厚く、頑丈な盾が必要だった。
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