第5話 凍てついた手のひら

 魔獣が小屋を襲撃した際、とっさに手近なところに居たケリーをかばった春樹。しかし、その時に、飛んできた木片で頭部を軽く切ってしまっていた。


「ケリー、大丈夫か?」


 春樹の問いかけに、ケリーはコクンと頷く。他3人の兄に比べ、末の弟ケリーは無口なようだった。


「春樹さん、大丈夫なんですか?!」


 春樹の怪我を見て、シアの暗く落ち込んでいた気分が吹き飛ぶ。今はそれどころではないと、手当てのため小屋が崩れないよう慎重に移動しながら、春樹の隣に膝をついた。


「これくらい大丈夫、と言いたいけどな。正直、ぼやっとして、魔法に集中できそうにない」

「頭部の出血を甘く見てはいけません。ひとまず止血をします」

「悪いな。オレの上着、使ってくれ」


 春樹が、着ていた運動着の上着をシアに渡す。それを受け取ったシアは、持っていたハンカチを傷口に当て、上から上着の袖部分を鉢巻はちまきのようにして、強めに圧迫した。


「すみません、私のせいで……」

「ははは。シアさんのせいじゃないって」


 春樹は本気でそう思っているのだが、シアにはお世辞にしか聞こえない。春樹も自分の啓示に巻き込まれただけだと、自責の念を強くする。

 そんな責任感から逃れたくて、シアはダメもとで自身の〈物語〉の権能で傷口を治療できるか試してみることにした。なんとなく分かることとして“特定の人物”を治療したり、身体機能を強化したりできる、らしい。

 春樹がその“特定の人物”であることを祈りながら、マナを放出。傷を癒すイメージで、傷口にマナを凝集させる。


「そっか、天人だもんな。人にマナをつかえるのか。白いマナ。珍しいな」

「そういえば、私以外に見たことありません」


 治って欲しい。そんなシアの願いも届かず、これと言った手応えは無い。


「……すみません、魔法の治療は効果が無さそうです」

「いや、大丈夫だ。それより優……オレと一緒にいたやつは大丈夫そうか?」


 努めて明るく、春樹がシアに聞く。

 その時、倒壊した小屋の屋根を何者かが上る足音が聞こえてくる。

 魔獣か、と、身構える春樹に。


「ちょうど、話をすれば、ですね」


 シアはこちらに向かってくる人間――優とマイクの存在を〈探査〉で探知している。そして、優たちが最初、自分シアたちを置いて行けば魔獣から逃げることができただろう場所にいたことも知っていた。

 小屋の倒壊に巻き込まれた時点で、ここにいる4人は助からない。にもかかわらず、彼は助けに来た。いいや、助けに来てしまった。


 お人好し。もしくは、相当の馬鹿。


 シアは優のことをそう評価する。あるいは、優も最期に一緒にいる人や場所を選びたかったのかもしれない。そんな消極的な考えすら、シアの中にはある。ほんの少しの時間しか一緒にいないシアから見ても、優とここに居る春樹という少年の間には、大きな信頼関係があるようだった。


「いいなぁ……」


 啓示のせいで、なかなか深い人付き合いができなかった自分も、いつか、誰かとそうした関係――親友になれたかもしれない。


「でも、もう遅いんです……」


 これが【運命】なのだから。シアは自分に言い聞かせる。

 助けに来るその人物のマナは控えめに言っても、多くない。到底、迫る魔獣という名の死を押しのけられるとは思えなかった。

 やがて、屋根になっていた木片の一部ががされ、薄暗かった空間に光と雨が入り込む。雨を落とす灰色の雲を背に、優と呼ばれていた男子学生がシアを見下ろしている。

 なぜだかその顔に、クラスメイトの救世主、神代天の面影を見るシアだった。




 春樹たち4人がいる場所は死角だったため、屋根を慎重に破壊した優は目視で彼らの状態を確認しようとする。

 が、彼が親友の無事を確認するより先に、背後からマイクが顔をのぞかせた。


「マット、ケリーも! 大丈夫だよな?!」


 弟たちを見つけたマイクは叫んで、勇敢にも瓦礫から飛び降りる。優としては小屋が崩れてしまわないかヒヤッとしたが、奇跡的なバランスでできているその空間は、意外にも頑丈そうだった。

 都合、三角屋根の上から春樹やシア、子供たち全員を俯瞰的に見る形になった優。彼の目から見る限り、マイク以外の子供たち2人も無事なように見える。

 シアも汚れているものの、ケガなどはなさそうだ。だからこそ、顔に血の跡がある春樹が重症に見える。


「春樹、大丈夫か?」


 優の問いに春樹はにっと笑って見せる。


「ちょっと頭を怪我しただけだ。そのおかげで、シアさんに手当てしてもらえたんだぞ。……だから、大丈夫だ」

「そうか。春樹がそう言うなら、大丈夫なんだろうな」


 少なくとも、魔法が使えない程度には消耗しているらしい。それでも、軽口で余裕をアピールする彼の配慮に優も乗っかることにする。


「ついでに、しばらくそこで子供たちを見ていてくれ。マイクはお兄ちゃんだから、弟たちをしっかり守るんだ」


 目下、弟たち2人のそばで優を見上げたマイクが力強く頷いたことを確認し、優も頷きを返す。そして、最期の人物に声をかけた。


「すみません、シアさん。手伝ってください。全員が助かるために、時間を稼がないと」


 優は、暗い表情でこちらを見上げるシアに手を伸ばす。

 マイクだけを連れて、内地へ向かうこともできた。4つの命を見捨てれば、少なくとも2つの命は助かる。しかし、優はそうしなかった。


 ここにいる全員が生き残る。そんな“理想”を、優は諦めたくなかった。


 そうして無表情のまま自身に伸ばされた少年の手を見て、シアは目を見張る。

 どうやら彼はこの場にいる全員が生き残ることを諦めていないらしい。今まで、全てのことを【運命】だと受け入れてきたシア。

 今回も、仕方ないと思って、天人らしく、巻き込んだ責任を取ろうと思っていた。

 それとも、彼のような人物とここで出会うこともまた、啓示による影響なのか。全てがもう、決まってしまっているのだろうか。


 ――分かりません……。


 それでも、ここでジッと死を待つよりは、時間を稼いで死ぬ方が責任の取り方としては正しく思える。たとえ自分たちが倒れたとしても、運が良ければ、子供たちだけは助かるかもしれない。そう思って、シアは優の手を取る。


 天人として、責任ある最期を。


 そう願って差し出されるシアの手は、雨に打たれ続けたはずの優の手よりも、はるかに冷たいものだった。

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