第3話 トランプ

 霧に加えて、木の葉が雨をはじく音が響く。


「結構歩いたが……まだか?」


 最初に進藤から言われていた行動範囲は100m。1分も歩けば、大体そのギリギリまで来ているはずだ。となると、自分たちに任された道は、ある意味ハズレだったということになるんだろうと、優はため息をつく。なぜなら、助けに行く学生たちは言いつけを守らず、行き過ぎて迷子になっていることになるのだから。


「規律・約束を守ることは特派員どうこうの前に、人としても当然だろ……」

「そう言うなって、優。オレもお前も、失敗はあるだろ? 困ったときは助け合って行こうぜ!」


 にしっ、と歯を見せて笑う春樹を頼もしく思う反面、やはり優の心は晴れない。境界線から離れるにつれ、“何か”があった時に引き返さなければならない距離も増えていく。


『春樹、行っても良いか?』


 そう言って今回の救出作戦に名乗りを上げたのは優の方だ。自分の我がままに付き合ってもらっている形になっている春樹の身も、優は密かに案じていた。


木乃伊みいら取りが木乃伊みいらになったら、元も子もない)


 安全のためにそろそろ引き返すことも視野に入れて、優は引き続き黄金色の矢印が示す方へさらに歩みを進める。と、その時、優の耳に何かが聞こえた気がした。


「……っ!?」


 優は〈身体強化〉で耳にマナを集めて聴覚を増強、雨音に紛れた声を探す。


『きっと探しに――!』


 その甲斐あって、今度ははっきりと聞こえた。女性の叫ぶような声だった。どこか小さな建物の中にいるようで、その声は途切れ途切れに聞こえてくる。さらに少しだけマナを耳に集中させる。


 今度は複数の男の声が聞こえて来た。


『もう一回やってるんだし、いまさら無駄だって』

『他のやつら来るまで時間あるし、もう一回ぐらい』

『僕たち、ずっと、天人としてみたかったんだ!』


 助けが来ない森の中。女1人に男複数。中学生の頃、とある薄い本で似たような状況を見たことがあった。


「まさか、な……」


 口では否定しつつも、試しに〈探査〉をしてみる優。すると、魔力の高い存在と人間あわせて小さな小屋のような場所に生物の反応が6つある。そうしてマナで得た情報と、先に聞こえた会話の内容から、


(魔力の高い存在は、恐らく天人の女性だ。彼女に対して、最低でも3人以上の男が言い寄ってる状況……か?)


 そう優は推測する。この場合、一刻も早く駆けつける必要がある。時間が経つにつれ……それこそ1秒ごとに、女性側の身体的・精神的な被害が大きくなるからだ。


「どうした、優。急に〈探査〉なんかして――」

「春樹。恐らく、女性が森の中で男に襲われている」


 優の説明に目を見開いた春樹だが、すぐに自身も優が示した方向に〈探査〉を行なう。すると確かに、小さな小屋と思われる建造物の中に、人間と思われる反応が6つ返ってきた。


「確認したな? なら、助けに行く――」

「待て待て、優。天が多分、戻って来いって言ってる」


 駆け出そうとした優の腕を引いた春樹が示したのは、たったいま急に向きを変えた矢印だ。優たちが恐れていた“何か”が発生し、天が帰還するように指示を出しているということだった。


 それでも優は、1人の人として、また、ヒーローに憧れる者として。


「……悪い、春樹。勘違いだとしても、あれを見逃したくない」


 やや高い位置にある春樹の目をまっすぐに見て、自分の“したいこと”を言葉にする。


「確かに、春樹が言うように何か不測の事態が起きた可能性が高い。だが、〈探査〉で、周りに魔獣がいないことは確認できている」


 現状、最も警戒すべき存在は居ない。であるならば、天人の女性の救出を優先するのも一考の価値があるのではないか。そう、言外に春樹に言ってみせるのだった。


 とはいえ、どこに魔獣が居るかも分からない外地で、優は単独行動をするつもりはない。加えて今の優には、春樹に付き合わせているという引け目がある。もし春樹が帰還するというなら、引き返そうとも思っていた。


「優……」


 雨の中、自分を見つめる優の黒い瞳を、困り顔で見つめ返す春樹。春樹から見る神代優は、少々危なっかしいところはあるものの、物わかりの良い少年だ。もし自分が「帰ろう」と言えば渋々ながら従ってくれるだろうことも、長年の付き合いから理解していた。


 魔獣以外で、非常事態が発生している。恐らく雨脚が強くなったことに関係しているのだろうというのが春樹の予想だ。雨のおかげで、視覚も聴覚も、刻一刻と役割を失いつつある。それでも春樹は女性の救出を優先することにする。それは女性のためはもちろん、今もなお全力で夢に向かう幼馴染――神代優――の背中を押したいという、個人的な想いもあったからだった。


「……ったく。早く助けて引き返すぞ!」

「ああ……。ありがとう、春樹!」


 事は時間との勝負。ついて来てくれると言った幼馴染に感謝しつつ、優は春樹とともに駆け足で小屋に向かう。


 距離にして30mほど。すぐに目的地にたどり着いた優は、周囲を観察する。女性と男性たちが居るのは木製の小さな小屋の中らしい。近くにあったものを利用したのか、小屋の周囲の木は切られており、小屋を隅に置いた半径15mほどの広場のようになっていた。


 そして、問題の小屋の入り口には『秘密基地』と書かれた手作りの札がかかっていた。


「(俺がドアを開ける。春樹は退路の確保と援護を)」

「(了解)」


 春樹とアイコンタクトを図りながら、優は一思いに扉を開け放つ。


 少しでも早く女性を助けようと踏み込んだそこには優の予想通り、女性が男性にもてあそばれる酒池肉林の光景が広がって――いなかった。むしろ、第三校の学生と思われる3人と子供たち3人が和気あいあいと、楽しそうに、トランプに興じていた。


「……何、してるんだ?」


 優としては聞かざるを得ない。4.5帖ほどのその小屋には、学生3人と外国人の子供3人がいる。彼らの周りには、遊び道具と思われるボードゲームやグッズがいくつも置いてあり、まさしく秘密基地のようだった。


 まさか外地で、これほど気の抜ける光景を目にするとは夢にも思わなかった優。驚きすぎて、初対面の人に敬語を忘れてしまったほどだ。


「これは、えっと、ジョンさんの弟さんと、そのお友達で……」


 小屋にいる唯一の女性が気まずそうに、優の問いに答える。


「優、どうした……って、なんだ、ここ? シアさんと、子供……?」


 優に続いて入ってきた春樹も驚いている。理由は優と似たようなものだが、9期生でも噂の天人、シアがこんな場所にいたことにも驚かされていた。


 驚きのあまり固まる優と春樹に反応したのは、子供たちだ。


「お前ら誰だよ! ここは俺たちの秘密基地だぞ!」

「あ、わかった! 遊びに来たんでしょ?!」

「こら、マイク、マットも。この人たちは、俺や幸助と同じ学校に通う特派員候補なんだぞ!」


 騒ぎだした子供2人を、色黒の学生――ジョンが抑える。他方。幸助と呼ばれた学生は手にしていたトランプを置き、


「ごめんね。もしかして、探しに来てくれたの?」


 優たちに詫びる。差し当たっての危機は無いようなので、優も春樹も話を聞いてみることにした。


「いや、俺たちここからもうちょい行った外地にあるブドウ園が実家なんだよ。だからこの辺が安全っていうのも知っててさ」

「んで、俺と弟たちの夢が神様だっていう天人と遊ぶことでさ。運よくシアちゃんと組めたから、今日しかないって話になって……」


 ジョンは預け忘れていた携帯を使い、弟たちに連絡。シアを騙して、ここまで連れてきたのだと語った。


「それで、シアさんはどうして遊んでるんですか? 別に引き返すこともできたと思いますけど」


 ドラマで見た事情聴取みたいだなと自覚しつつ、優はシアに尋ねる。


 シアは上下緑のジャージに襟が紺色の白い体操着を着ている。そんな気の抜けた格好でトランプをしている事も相まって、修学旅行の一幕のようでもあった。


「その……。部屋に入ったらこの子達がキラキラした目をして、一緒に遊ぼう、と……」


 そのまま断り切れず、少しの間遊んだようだった。しかし、さすがに長居はできないと、帰ろうとしたときの会話が、優が先ほど聞いたものだったらしい。


 アール18な出来事が起きていると勘違いしていた優としては恥ずかしくはあるが、何より、シアが無事で良かったと自分を納得させるのだった。


「て言うかさ。確かにここは外地だけど、学校のすぐそばに魔獣がいるわけないでしょ。先生もまさか最初からそんなとこに学生を放り出すわけないしね」


 ジョンが肩をすくめる。実際、彼の言う通り、周囲の魔獣は事前に間引かれている。加えて第三校の学生たちは今優たちが居る森で魔法の自主練も行なう。その過程で、魔獣は駆逐されていた。しかし、それはこの地域の地元民だから知っている情報で、優たちは知るはずも無い。


「実際、俺たち今まで、魔獣に遭ったことないしな。こうやって、何回も〈探査〉する必要も無いわけ」


 下野が自身の経験と共に、幾度も通り抜ける天の〈探査〉を指して言う。


 と、そこでようやく。優はなんとなく、天が先ほどよりもさらに慎重かつ丁寧に〈探査〉をしているように感じた。気のせいかもしれないが、それでも、優秀かつ聡明な妹が意味もなく、その変化を加えたとは思えない。


(一応、ついさっき確認はしたよな……?)


 優は確かに、ここに来る前に安全を確認した。何なら春樹とのダブルチェックまで済ませている。何らかの理由で魔獣が“発生”でもしない限り、ここ一帯はしばらく安全なはずだった。


 しかし、ここには天人のシアがいる。彼ら彼女らの周りでは予想だにしないことがよく起きるとされていたはずだ。


(一応、な。念のためにもう一度だけ〈探査〉をしておくか)


 そうして〈探査〉を使った優は、自分たちが絶望的な状況にいることに、ようやく気づいてしまうのだった。

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