第3話 マナと魔法

「時間だ。全員、運動場端の境界線に行くように。心の準備が出来次第、境界線を越えて外地へ行け」


 白髪交じりのいかつい臨時教員、進藤進しんどうすすむによって、いよいよ外地へ出るよう指示が出される。

 意気揚々、戦々恐々、あるいは平常心。様々な想いを抱いて、学生たちは境界線――高さ1.5メートルほどのコンクリートブロックで作られた内地と外地を隔てる形式的な壁――を乗り越えていく。


 ふと、優が見上げた先。朝から立ち込めていた雲は黒く分厚くなっている。梅雨も近い。雨は不測の事態を誘発する要因にもなる。

 命あっての物種。特派員になるという目標は見失ってはいけないと、春樹に作戦の変更を伝えた。


「春樹。天気が悪くなってきた。雨が降り出したら、今回は遠くに行かず、境界線付近に残ろう」


 優と同じく悪くなる一方の天気を確認した春樹も、


「賛成だ。慣れてないのに、無理をする必要はないしな」


 そう言って、異論がないことを示す。内地側の人が半数程度になったところで、優と春樹も境界線を越える。コンクリートブロックを超えた先にあるのはうっそうとした森。もうそこは外地。魔獣も魔法もなんでもありの場所だ。


「ここが、外地か……」


 感慨深げにつぶやいた優は、人生で初めて踏み入れる外地を観察する。

 学校西側の山の斜面はかなり急な下りになっているが、今いる東側、外地側のそれはかなり緩やかなものだ。滑落の心配などは無さそうだと優は胸をなでおろす。

 先ほどまで運動場から見ていた森と、境界線を越えた今、見ている森に違いはない。それでも、いざ外地に降り立つと命綱を外されたような恐怖感が、優の中に湧き上がってくる。この恐怖感の中で、正常に判断し、魔法の使用や戦術の構築を行なえるようにならなくてはいけなかった。


「まずは――」


 周囲の様子を見よう。優が隣にいる春樹に声をかけようとしたその時、彼らを含めた学生たちを、強烈なマナの波動が襲う。体のを波が駆け抜けていくような心地の悪さ。その正体は、近くで使用された〈探査〉だ。小学校で習う、基本的な魔法の1つでもあった。

 そのため、ここにいる全員、授業でその感覚を何度も体験したことがあるのだが――。


「これは……。かなり強力な〈探査〉だな。……ザスタか」


 精悍せいかんな顔をゆがめながら、春樹がとある男子学生を見ながら言う。

 『ザスタ』は9期生に2人いる男女の天人のうち、男性の法の天人の名前だったはずだと優は思い出す。


「ザスタ……」


 少しふらついている春樹の言葉と視線から、優もザスタという天人を遠目に確認することが出来た。全体的に黒っぽい。そんな些細な印象と、細身ですらりと高い身長がわかる程度。細かな造形までは確認できないが、天人らしく整った容姿をしているに違いなかった。

 〈探査〉を使用したらしいザスタを中心として、高さは10mほどあるだろう赤黒いマナの光がリング状に、はるか遠くまで広がって行く。優の目測では確実に、今回の演習の行動範囲である100m以上を調べたように見えた。


「もはや攻撃だな……。外地で初めてのダメージが、まさか味方から飛んでくるとは」


 広い範囲を一度に調べようという力技に、春樹が苦言を漏らす。通常であれば〈探査〉を使用された際に他者が感じる違和感はせいぜい、波に揺られた程度のものだ。

 しかし、今回は荒波に揉まれたような気持ち悪さを9期生の全員が覚えている。何人かの学生は三半規管をやられ、座り込んでしまうほどだった。


「これが、天人の使う魔法か」


 優はこれまで同学年に天人がいたことが無い。したがってザスタの〈探査〉は、彼が初めて目にした天人の使う魔法。規模も威力も、優の知っているそれとは全く違ったものだった。

 まさしく人知を超えた力に感動しつつも、優は冷静だった。〈探査〉を使用したザスタの反応から、周囲の魔獣について情報を知ろうと試みる。

 小学性の頃、優が授業で用意された小さな魔獣を〈探査〉したときは、人や動物とは違った禍々しさのようなものを感じた。もし魔獣がいれば、明らかに異常な反応が帰って来ているはず。しかし、


「行くぞ」

「「あ、待ってくださいザスタ君」」


 結局、ザスタは何事も無かったようにセルのメンバーと思われる男子学生ともに、森に入って行く。一連の出来事にあっけにとられていた学生たち。しかし、


「じゃ、私たちも行こっか!」


 そう元気に声を上げた優の妹、そらを始めとした一部学生がザスタ達に続く。その後もいくつかのセルが〈探査〉を使い、一様に、安全だと判断して森に入って行った。


「どうする、優? 安全みたいだし、魔法の練習でもするか?」


 徐々に少なくなっていく境界線付近の学生たち。彼ら彼女らの様子を見れば、近くに魔獣はいないと分かる。よって、春樹は魔力の温存は必要ないと判断した。

 マナも筋肉と同じように、使わなければその使用感が鈍くなる。逆に日々使っていれば流ちょうに扱うことが出来るもの。魔力も少しずつとはいえ高くなっていく。使用できる機会があるなら、使用するべきだった。


「そうだな。でも、俺はもう少しだけ、魔法を使わずにこの辺を調べる。……近くに人もいるしな」


 他者の前で魔法を使うことを躊躇ちゅうちょするような優の言葉。その理由を知る春樹は特段気にする様子も遠慮も無く頷く。


「……ほいよっと。じゃあオレは遠慮なく、〈探査〉!」


 そうして、周囲の安全確認をした春樹は続いて、


「からの……〈創造〉っと」


 手元に黄緑色に光る棒を作り出した。

 〈創造〉は体内のマナを対外に放出し、イメージする形に凝集、形成する魔法だ。こうして〈創造〉で作られた弾や武器を使うことが、魔獣を倒す基本になる。


「ほっ、よっ、ほいっと」


 春樹は棒を玉に、短剣に、長剣にと変化させていく。刀、槍、さらには薙刀、シミターなど馴染みのない形も作り、近接武器を〈創造〉する練習は終了だ。

 続いて拳銃、猟銃、ライフル、まれに使われる弓やバリスタといった遠距離武器を創る。そして、最後に物を創って行く。縄を作り、網を作り、檻を作って魔法を解いた。


「こんなもんかなっと。次は変形の速度を意識して……」


 今度は、一連の流れを先ほどより早く行なう。

 戦闘時はその時々で扱う武器を変えることも必要となる。何度も繰り返し、脳と体とマナに動きを覚えさせる。そうして、いざという時に、適切に魔法を使用できる癖をつけておこうと、春樹は魔法の練習を続ける。

 一方、春樹の横で優は魔法に頼らない探索活動の練習を続ける。魔力が少ない優が、誰かの役に立つ特派員になるには、こうしたこともできるようになっておく必要があった。


「念のために魔力を残すなら、こんなもんか」


 しばらくして、魔法の練習の手を止めた春樹。ふと見れば、優が少し伸びた黒髪を揺らして、未だ地面と睨めっこをしている。

 どこか気負っているようにも見える彼の様子に、息抜きと勉強も兼ねて、春樹は“あるもの”を作ってみる。実は、優は魔法と魔獣以外の勉強を苦手としている。そんな幼馴染の学力を心配して春樹は自主勉強会をすることにした。


「優、明日の日本史の小テスト範囲だ。これの名称を答えよ」


 優の目の前にはグラビアポーズのような恰好をしている円筒状の人物型埴輪が出来上がっている。外地にいるという緊張感があるだけに、口を“O”の字にした黄緑色の間抜けな埴輪は場違い感がすごい。

 優は思わず口元を緩めながら、春樹の問いに答える。


「唐突だな。確か……埴輪はにわだ。てか、春樹。やっぱり器用だな」


 よく見れば、粗さはあるものの、ちょっとした凹凸や装飾まで再現してある。そんな幼馴染の器用さに、優は感嘆の声を漏らした。


「正解だ。人物型埴輪だな。じゃあ古墳時代の5つの埴輪の種類は?」

「……待ってくれ。動物のやつと、それから――」


 優が気負い過ぎないよう配慮しつつ、程よい緊張状態を保つ。そうして春樹主導のもと続いた勉強会は10分後、降り出した雨によって状況が動き出すまで続いた。

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