第4話 シア――天人(あまひと)

 時間は少しさかのぼり、ぼうっとしていた優が授業中に注意を受けていた頃。9期生で2人しかいない天人の1人、シアもまた授業を受けていた。

 光によって七色に見えるつややかな黒髪、透き通った白い肌。日本人たちの想いから生まれたため、顔立ちは彼らに似ている。

 身長は日本人女性の平均より少し高い程度。黒くも見える濃紺の瞳。天人らしく整った容姿を持つ彼女は、男女関係なく注目を浴びる存在だった。

 彼女が見つめる先では中年の男性教員が、未来を担う特派員候補生たちにもわかりやすいよう、授業をしている。今はちょうど、神が人の社会に溶け込むまでの大まかな変遷へんせんをさらっていた。


「”元”神だとされる天人ですが、そこにいるシアさんのように――」


 人間と神々の間で結ばれた条約によって、彼女を含めた神々は『天人』と呼ばれ、人としての人権を獲得した。

 しかし、シアを含め、神として生まれて間もない一部の天人は低い背丈、つまり子供の姿で受肉したのだった。


「そんな子供の姿をした天人のために、人間は里親制度を応用しました。希望する人間に彼らの保護と養育を任せることにしたのですね」


 当事者でもあるシアも頷きながら当時のことを振り返る。幸いシアはすぐに、里親になってくれるという成瀬なるせ文太ぶんた、ひとえという名前の老夫婦に出会うことができた。


「天人は、生まれた時点である程度、人間の常識を知っていると言われています。しかし、精神はそうではない。そうした心の育成のために――」


 見た目よりもはるかに幼い精神性をもつシアを、我が子のように慈しみ、育ててくれた成瀬夫妻。2年前にそろって他界してしまうまで、常識以上に大切なことをたくさんシアに教えてくれた。

 神であり、親のいないシアにとって、2人は間違いなく“両親”だった。夫妻がくれた「詩愛」という当て字も、一緒に過ごした温かな8年間の日々も、シアにとってはかけがえのない宝物だった。

 もう戻らない温かな過去に思いを馳せるシアを置いて、授業は続く。


「条約によって“人”として扱われる天人ですが、その生態は“人間”とは異なります。中でも天人が人間と大きく異なる点。それは……わかりますか?」


 教員に目を向けられた女子学生が戸惑いながらも言葉を紡ぐ。


「もともと神なので、それぞれに司る言葉や概念……啓示けいじを持っていること、です……」

「その通り。よく勉強していますね」


 彼ら彼女らはそれらを体現する者としての役割を持っている。例えば、【死】を司る天人であれば、本人の望む・望まないに関わらず、「死」に関係する様々な物事が周囲で発生する。


「基本的に、1人の天人は最低でも2つ以上の啓示を持っています。数が多くなるほど、啓示同士の影響が相殺し合って、影響力や魔法が弱くなると言われていますね」


 また、天人たちには、魔法を扱ううえで人間と異なる点もあった。

 通常、人間が扱う魔法は自分のマナしか扱うことが出来ず、他者のマナに干渉することが出来ない。しかし、天人は自分以外のマナを操作することが出来る。これは人間を管理するために、天災や恩恵を与えてきた神だった時代の名残とされている。

 そうした天人特有の力は『権能けんのう』と呼ばれる。権能はその天人の啓示の内容に準ずるもので、その数によって強弱も変わると言われていた。


「さて、その権能ですが……ちょうどシアさんという天人がいますからね。見せてもらえませんか?」


 ここまでテンポよく授業を進めていた教員が、シアに目を向けてそんなことを言った。権能についてもまだまだ謎が多い。その目は教員というよりは、研究者として好奇心に満ちたものだった。

 一瞬、何を言われたのか分からずに固まるシア。数秒後、


「……ぅえっ?! ここで権能を、ですか?!」


 素っ頓狂な声を上げてシアは深い紺色の瞳を丸くした。

 外地がすぐそばにあるとはいえ、授業をしているこの場所は内地だ。原則、魔法を含めたマナの操作は禁止されている。加えて、権能は及ぼす影響力が大きい半面、代償もあり、社会に大きな影響を与えうる。魔法以上に慎重な使用を、天人たちは所属する国から言い渡されていた。

 そのため、魔獣はびこる外地ならともかく、内地で普通に生きていて権能を目にする機会は滅多に無い。だからだろう。


「学生の皆さんも見たいですよね?」


 教師のその声で学生たちも急に騒がしくなる。


「確かに……、ちょっと見てみたいかも!」

「てかシアさん、どんな啓示持ってるんですか?!」

「人間にできないことをする……女神かよ!」


 さっきまで黙っていた人たちが、好奇心だけでシアをもてはやす。こうした、人間のよくわからない混沌が、昔からシアは少し苦手だった。彼らも権能を使うことの危険性をわかっているはず。


「あの、えぇっと……」


 しかし、ここで断ると、雰囲気が悪くなることもシアはよくわかっていた。折角、1か月以上かけて作り上げてきた人間関係だ。しかも、今日は大切な魔法実技の外地演習がある。セル決めにも影響するかもしれない。

 加えて、自分が「人を導く天人である」という観点も忘れてはいけないとシアは自分に言い聞かせる。どうするべきか。どうするのが正解か。悩んでいた彼女を救う声が、教室の一番後ろの席から上がった。


「ちょっと待ってみんな、冷静に。権能も魔法だよ? さすがに内地で魔法使うのはまずくない?」


 そう言って立ち上がったのは1人の小柄な女子学生だ。黒髪に金色のメッシュを入れた奇抜な髪色。小さな顔に丸く大きな茶色い瞳。人懐っこさを感じる愛らしい顔立ちは、少し低い身長も相まって、少女にどこか小動物のような印象を与える。

 クラスでも圧倒的な存在感を放つ彼女の名前を、シアはもちろん知っていた。


神代かみしろさん……?」


 救世主が現れたことにまたも目を丸くしつつ、天の名字を呟いたシア。しかし、学生たちの意識はもうシアに向いていなかった。


「でもさー、天ちゃん。こういう時じゃなきゃ見れないじゃん?」

「神代さんは見たくないの? シアさんの権能」


 天の発言に言い募る学生たち。少し興奮状態にあるクラスメイトの様子を、天は冷静に分析する。そして、不安そうにこちらを見るシアの方を一瞬だけ見た天は、


「うーん……。正直、めっちゃ見たい! 天人も権能も見たことないし」


 クラスメイト達の声に一応の同意を見せる。すると「でしょー?」「だろー?」と好意的な反応が返って来る。自分の意見が通りやすい場を整えたところで、改めて、天は本題を切り出した。


「でも今じゃなくて良くない? この後、私たちみんな外地演習で外地に行く。そこで見せてもらえば、少なくとも“悪いこと”じゃなくなるよ?」


 と、事態の先送りを提案する。続いて示すのはリスクの方だ。


「ていうか国公立で頭硬そうな第三校でちょっとでも法律に引っかかることしたら『規律が大切な特派員にふさわしくない!』とか言って、停学、もしかしたら退学もあり得るかも……?」


 少しおどけた口調で話して、聞く人に親近感を与える。気づけば盛り上がっていた教室の雰囲気が落ち着いていて、


「確かに、今じゃなくてもいいかも……」

「後で見れるなら、別に今、退学とかのリスク負う必要ないか」

「てか、そう言えば、権能も魔法じゃん。それを内地で使わせようとするのも確か、アウトだよな……」


 学生たちが冷静にリスクを見られるようになった。これなら大丈夫だと、天は笑顔で教員を見る。


「ほら先生。研究熱心なのはいいですけど、今の先生のお仕事は授業の続き、ですよね? ……それとも生徒シアさんに法律を破らせるんですか?」

「そ、そうでした。あはは、シアさん、失礼しました」

「あ、いえっ、大丈夫です」


 そうして授業が無事に再開される。急に盛り上がったり、かと思えば勝手に落ち着いたり。混沌とした場に、シアは小さくため息をこぼす。他方で、この場を治めてくれた少女に対して必ずお礼をしなければと、手元のタブレット端末の隅にメモしておくのだった。

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