第10話

 痛みが嫌いだ。

 女の人の、あのキィキィとした、耳障りな甲高い声も苦手だ。

 母親を思い出すから。

 そもそも、人間が嫌いだ。

 いつだって、自己中心的なことで喚いて、殴って、せせら笑ってくる。

 

 自己中心的なのだから、人間には己しかいない。


 感情を持って、傷ついている風をして、他人はただの人形でしかないのだ。

 血の繋がりなんて、有って無いようなものだ。

 自分は人形だ。

 殴られ、痛めつけられ、血を流すし、怪我もする。

 でも、人間じゃない。

 俺は、人間じゃない。

 人の形をしている、それ。

 まさに人形だ。

 血の繋がった他人たちからしたら、ただのストレス発散のための人形だ。

 早く壊して欲しいと何度願ったことか。

 早く死んで、楽になれたらと何度夢想したことか。

 そうして、過ごしていたらいつの間にかあんなに嫌いだった痛みは感じなくなった。

 殴られて、産まなきゃ良かった、なんで生きてるんだと暴言を吐かれ続けて、何年も痛み続けた心もやがて痛まなくなった。

 そうして、忘れていたのに。

 それなのに、どうして?

 なんで、今更、痛みを思い出さなきゃ行けないんだろう。


 痛いのは嫌いだ。

 ただ、平穏に終わりたいだけなのに。

 神様はそれすらも許してくれない。

 俺が何をしたと言うのだろう?


 こんな生き地獄、もう真っ平御免なのに。


 それなのに、いつだって目の前には地獄が用意されているんだ。

 いっそ、狂えることが出来たら、きっと幸せだったのかもしれない。

 

 そんなことを、暗闇の中考えていたら、急に目の前がパッと明るくなった。

 眩しい。

 電灯だ。

 そして、白い天井が視界に入る。


 と、影が差した。


 「おや、お目覚めかな。少年?」


 「…………」


 「私がわかるかい?

 声は出るかな?」


 「……ミル、さん?」


 俺の顔を覗き込んでいたのは、あのダークエルフだった。

 夢だと思ったら、やっぱり現実だった。

 俺は、なんとはなしに左腕を見ようとする。

 たしか、あの魔族?の人に切りつけられた。

 ザックリと包丁で切りつけられたから、もしかしたら母親にされた時のように神経までやられたかと思ったのだが、傷は塞がっていた。

 痛みは無かった。

 左腕には、元々の傷の上からなぞるように新しい傷跡がつけられていた。

 それが、現実を突きつけてくる。


 「よしよし、記憶も大丈夫そうだな。

 腕の傷は、しばらく痕が残るらしい。

 さて、君にとって良い報せと悪い報せがあるんだがどちらから聞きたい?」


 まるで洋画みたいな言葉掛けだな。

 俺は身を起こしつつ、答える。


 「じゃあ、悪い方から聞きたいです」


 その時、何気無く両足を見た。

 毛布の上からでもわかった。

 あらぬ方向に折れ曲がっていた足も元通りになっていた。


 「お、勇気があるな、少年」


 「上げて落とされたくないだけです」


 俺の返答に、ミルさんは苦笑した。


 「なるほどな。

 さて、ご希望通り悪い方から話すが、今回の騒動で事情が変わってな。

 君を元の世界に帰すことが出来なくなった」


 は?


 「それで、良い報せだが。

 働き詰めだった君には、朗報だ。

 三食昼寝付き、時々身体検査の日々が始まるぞ。

 つまり、休んでのんびり出来る」


 はい?


 「おっと、そうだ。

 君を見つけて保護したのは私だからな。

 君のこの世界での後見人、というより世話係は私になる。

 だから、なんでも言ってくれて構わないぞ」


 いやいやいやいやいやいやいやいや!!


 「ち、ちょっと待ってください!!

 え、帰れないってどうして?!」


 「言っただろ、事情が変わったんだ」


 戸惑う俺に、ミルさんは苦笑を消して大真面目な表情で言ってくる。


 「その事情についても、ちゃんと説明する。

 ただ、その前に、今いる場所の説明が先だがな」


 ミルさんによると、俺は三日ほど熟睡だったらしい。

 その原因は不明。

 ただ、その三日間の間に中央大陸と行き来できるようになったとか。

 ミルさんは、寝たままだった俺を連れて中央大陸に戻ると、早速俺をこの病院に放り込んだらしい。

 その間に検査もしたかったらしいが、起きてからの方が良いと判断されたとか。

 一体なんの検査をするのか、皆目見当もつかない。


 「とりあえず、ここは、ミルさんの職場の人たちも通っている中央大陸の大都市にある病院で。

 そこに俺は入院している、と」


 この世界、というか国の保険証とかないけど、大丈夫なんだろうか?


 「そういうことだ。

 イルリスが説明してくれるなら、もっと話は早いんだが。

 まぁ、情報が無さすぎるというのもあってな。

 君が協力してくれたら、とても嬉しいんだが」


 「身体検査で協力??」


 「そういうことだ」


 「なんでまた?」


 「君について知りたいからだよ、少年」


 「何でですか?」


 「あー、話が前後して済まないね。

 身体検査する理由だが、君はどうも本来の魔族の目的、そのものだったらしいんだ」


 へ?


 「鳩が豆鉄砲を受けたような顔だな。

 無理もない」


 「いや、俺あんな人たち知らないですよ?!

 この世界に来たのだって、今回が初めてですよ!?」


 「だろうな。それはおそらく嘘じゃないんだろう。

 実際、この三日間、レイも協力してくれて過去数百年分の転移者の登録情報をひっくり返したが、君の情報はどこにも無かった」


 登録されるのか。


 「でも、君にはどういうわけかこの世界と縁があるようなんだ。

 それを調べるための身体検査だよ」


 「断れない、ですよね?」


 「……個人情報は守られる。

 君の今までについては、君が話したくないならそう言ってくれて構わない」


 あぁ、そうか。

 そうだよな。

 よくよく見れば、俺の着ている服はミルさんと出会った時のものとは違う。

 つまり、ということだ。


 「ただ、もしも君が望むのなら。

 こちらの世界には体もそうだが、心の傷を癒す術もある。

 身体検査が終わってから、そちらの治療も受けられる」


 「サービス、良すぎませんか?」


 「転移者のアフターケアも義務だからな。

 居るんだよ、たまに。

 巻き込まれたり、何らかの巡り合わせで偶然こちら側に来た子達。

 その子ら、全員が全員、体もそうだが心も無事のまま保護されると思うかい?」


 「それって」


 「そういうことだよ、少年。

 そういうことなんだ」


 ミルさんはそれ以上は言わなかった。

 とりあえず、身体検査に対して協力してくれるかどうか。

 その返答を待っているように見えた。

 決定事項なら、勝手に話を進めてくれて構わないのに。

 そんなことを考えつつ、俺は身体検査について了承したのだった。

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