第3話
俺に『それ』を決断させたものがなんだったのかと問われれば、困ってしまう。
今までにそれはずっと頭の中に、隅には常にあって。
ただ、行動に移ったのが今日だっただけ。
それだけだった。
あ、でも給料日だったってのは大きいかも。
お金が入ったから。
通帳を確認することは出来ないけれど、明細は渡された。
仕事上必要だから、とクレジットカードを作ったのも理由の一つかもしれない。
通帳とキャッシュカードは没収されていたから。
でも、明細と薄っぺらな財布の中にあったクレジットカードを見たときに。
あ、ロープなら買えるじゃん。
そう考えてしまったのが最初だった。
あと、交通費。
とある田舎の山奥にあるじいちゃんの家にまで行く交通費。
それくらいなら買える。
片道だけでいい。
水も食料も、いらない。
でも、それでも心残りが一つあって。
どうせ最後だし、と思って登録してあった幼なじみの番号に電話をかけてみた。
授業中だったのだと思う。
電源が切られていた。
それで、心残りも不思議と無くなってしまって。
空っぽになったんだと。
いや、自分には最初からなにも無かったんだと、改めて思い知ったから。
仕事が終わると俺は買い物を済ませてバスに飛び乗った。
迷いは無くて。
むしろ清々しくて。
流れていく景色に、夕焼けが物凄く綺麗に見えた。
そこから先の記憶がない。
バスから降りたのか。
それともバスに乗ったまま、異世界転移とやらに巻き込まれたのか。
真実は闇の中である。
「あの」
夜が明けて。
森の中を先行してずんずん進んでいくミルさんに俺は声をかけた。
「なんだい、少年?」
「帰るときには、あのロープ、返してもらえますか?」
俺が渡したロープはミルさんが、まるで手品のように消してしまった。
片付けた、と彼女は言っていたので本当に消したわけではないと思う。
「そうだな。帰るときにな」
返ってこなかったら、他の方法を考えるだけではある。
でも、やっぱり、せっかく購入したので、惜しいという感情もあった。
ミルさんはそれ以上は、ロープや俺の行動については何も言わなかった。
代わりに、許される範囲内で、この世界のことについて説明してくれた。
なんでも、この世界には様々な種族の住む、五つの大陸があるらしい。
中央大陸。東大陸。西大陸。南大陸。北大陸。
この五つだ。
「早い話がね、ヤラセをしてるんだ。
舞台のお膳立て、といったほうが正しいかな」
「ヤラセ?? お膳立て??」
中央大陸を除いた、東西南北の大陸はとある事情により文明レベルを止めているらしい。
そのとある事情については話してもらえなかった。
ただ、文明レベルを止めて何をしているのかは教えてもらえた。
「少年。
君の世界では、他の世界に召喚されて勇者となり、魔王を倒すという創作物が人気なのだろう?
それを、やっているんだ。
東西南北のそれぞれの大陸で。
これは一例だが、わざと村を、町を、国を襲う。
そして麗しい姫君なんかをドラゴンに攫わせる。
国の中枢に潜り込ませていた工作員たちが勇者召喚をするように仕向ける。
そうして、勇者を異世界から召喚させて、魔族を倒させる。
中央大陸の魔族は下請けだ。
もちろん、ただ闇雲に行動しているわけじゃない。
このシナリオを描き、役割を与え配置させているのは神族だ。
神族主導で、この大掛かりな舞台は運営されている。
中央大陸の魔族は、その悪者役を演じ、舞台を演出しているんだ」
ミルさんは淡々と説明してくる。
ヤラセの世界。
舞台はお膳立てされたもの。
東西南北に住む人たち、そして勇者として召喚された人たちもそのことは当然知らない。
なんのためにそんなことをやっているのか。
とても興味はあるが、でもそれは俺には教えられないらしいから仕方ない。
あと、どうしよう。
別に勇者じゃなくて、それまで理不尽に扱われていた人達が新天地で才能を発揮して、実は自分ってこんなに出来るやつなんです、ってやる物語が流行ってるんだけど、言うべきだろうか。
もしくはスローライフものとか。
いや、この説明だってあくまで一例みたいだし。
わざわざ水をささなくてもいっか。
さて、そんな風に進行中の舞台のことを、ミルさん含めた中央大陸の魔族の人達は【シナリオ】と呼んでいるらしい。
そして、召喚され動く人たちのことを【役割を与えられた人】とも呼んでいるとか。
中央大陸の魔族の仕事には、時折遭遇する俺みたいな、理由不明で異世界に来てしまったいわゆる迷子の保護も含まれているとのこと。
「ケアがしっかりしてるんですね」
「というか。ちゃんと召喚される人物よりも危険だったりするんだ」
「危険?」
「そう。いっただろ、お膳立てのヤラセだって。
役割を与えられ、召喚される人間、まぁ役者だな。
役者の持ち物には制限とか規制がかかる。
こちら側に持ち込めなかったり、使えなくなったりだ。
でも、君のような迷子は違う。
その制限がかからない」
「ザルですね」
「ガバガバもいいところだ。
そうやって持ち込まれた道具は、ランダムで異能化というか、最近の言葉だとチート化というんだったか。
とにかく意図しない超絶機能が備わってしまうことがあるんだ。
ロープを回収したのにはそういう事情もあるんだ」
「へぇ、じゃあ、携帯も渡したほうがいいですかね?」
「携帯電話が開発された世界から来た子だったか」
「え?」
「こっちの話だ。
そうだな、ちょっと休憩しよう。
休憩ついでに、君の携帯電話を確認させてくれ」
なるほど、中央大陸は文明レベルが他の大陸より進んでるとは、昨夜の説明で聞いたけど。
ミルさんの様子から察するに、それこそ携帯電話とかそういう文明の利器が普通にあるのかもな。
俺は、素直に携帯電話をミルさんに渡した。
見られて困るのは、電話帳くらいか。
会社関係の人の連絡先、入ってるし。
あ、でも世界がそもそも違うから、個人情報漏洩とかにはならないはず。
「ふむ。見たところ圏外で使えないな。
大丈夫だが、念のためだ。これも預かっても?」
「あ、はい。
どうせ、もう俺には必要ないんで」
「ロープは必要なのに?」
「それは元の世界に戻ったら使いますから」
「ふむ」
やはり、ミルさんはそれ以上は何も言わなかった。
「……止めないんですね」
耐えかねて、俺はそう口に出していた。
「子供とはいえ、一人の人が決めたことだ。
その決意を否定することは簡単だし。
美辞麗句を並べ立てて、それっぽく言うのも簡単だ。
でも、それでは君に失礼だろう。
私は、君についてなにも知らない。
君の今までについて何も知らない。
そんな何も知らない状態で知ったような口をきくのは、少年、君という個人に対して失礼極まりない。
その決意をして道具を準備した。それは、君が決めたことだ。
けっして、軽い決意ではないのだろう。
こんな形で言うのはおかしい話だが、そんな君を私は否定したくはないんだ」
そんな風に言われたのは初めてで、知らず視界が濡れて歪む。
「そう、ですか。
あの、ありがとう、ございます」
「礼を言うのもなんか違う気がするぞ、少年。
ほら、雨も降ってきた。ハンカチを貸すから拭いておいで」
空は晴天で、雲なんて一つもない。
でもたしかに、俺の頬は濡れていた。
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