第2話

 

 夜に動き回るのは危険だ、ということでミルさんが火を焚いてくれた。

 そして、何もない空中からポットやカップを出現させてお茶を入れてくれた。


「それを飲んだら寝てていいぞ、少年」


「あ、いいえ、お構いなく」


 カップから温かさが伝わるかな、とも思ったけど。

 そんなことは当然なかった。

 ただ、口にしたら温かった。味も香りもしなかったけれど。

 でも、舌から伝わるお茶の感触だけはたしかにあって。

 俺は、驚いてしまう。

 だってそれは、それだけはあまりにも現実的だったから。


「ところで、少年。

 いい加減、私のもう一つの質問に答えてくれないかな?」


「……はい?」


「さっき聞いただろ。

 君はどこから来たんだい?」


 日本の片田舎、そう素直に言ってわかるだろうか。

 いや、そもそもなんでそんなことを聞きたがるんだろう。

 そんな俺の思考を読んだのか、ミルさんはさらに続ける。


「こうして保護した以上、君を親御さん、あるいは保護者のところに送り届けなければいけない。

 少年、君に、どんな事情があれ、ね」


 あぁ、そうだ。

 そりゃ、そうだ。

 夢なら。

 どうせ夢なら、もう少し、俺に優しくてもいいじゃないか。

 なんで、そんな死刑宣告を夢の中でまでされなきゃいけないんだろう。

 それとも、いや、まさか。

 でも。

 これは現実なのだろうか?

 わからない。

 それとも、とうとう頭がイカれてくれたんだろうか?

 わからない。

 でも、もしもそうならとても幸運だ。

 だけど、もしも、そうじゃないのなら。


「どうした、少年?」


 答えない俺を心配そうにダークエルフの幼女は見つめてくる。

 顔を覗き込んでくる。


「地獄は続くよ、どこまでも、か」


 気づくと、俺はそう呟いていた。


「え?」


「あ、いえ、なんでもありません」


「……地獄に行くには、人間としてもまだまだ君は早い気がするんだがなぁ。

 それよりも、教えてくれないか?

 少年、君は、どこからきたんだい?」


 真っすぐに、優しく。

 そして、死んだばあちゃんみたいな安心させるような声音で、ミルさんが再度聞いてきた。

 俺は、素直に答えた。

 それに対するミルさんの反応は意外なものだった。


「あぁ、なるほど。

 そうか、君も被害者の一人か。

 いやね、珍しくはないんだ。

 君みたいな、役割を与えられずに世界を渡る人間はね。

 最近は特に多い。

 でも、君はおそらく巻き込まれるかしたんだろうな。

 これもたまにあるんだ。

 だからこそ、シナリオに関係ない君はここにいるんだろう」


 そう前置きをして、ミルさんは説明してくれた。

 それによると、俺は創作物で流行っている異世界転移。

 それをしてしまったようなのだ。

 夢だと思うのに、ミルさんが現実であることを理論立てて説明してくる。

 そして、その説明を聞いて、俺は信じるしかなくなった。

 例えば、ロープもそうだけれど、携帯電話を持ったままだったこと。

 これは俺が向こうから持ち込んでしまったものらしい。

 説明を聞いた上で、これが夢なら、死んだら覚めるはずだ。

 そう考え実行しようとしたら、さすがにミルさんに殴って止められてしまったし。

 やはり、痛くはなかったけど。

 そして、あ、やっぱり俺はどこでもこうなるんだなと思ってしまった。

 悲しくはなかった。だって、それがじいちゃんたちと暮らすまでの俺の世界の普通だったから。

 それはともかく。

 殴られて倒れた先の、わずかな土と草の感触とか。

 そういうものが、これが現実だと突きつけてくる。


「……ぺっ」


 ミルさんが思った以上に俺は吹っ飛んでしまったらしい。

 彼女が謝りながら起こしてくれた。

 その時に、口の中に違和感、いや異物感があって、もしやと思いその異物を吐き出す。

 歯だった。


 ま、いっか。

 ここ最近食欲もなかったし。

 歯の一本二本、どうってことない。

 なんて思っていたら、ミルさんが魔法でなおしてくれた。


「勢いが過ぎた、済まなかった」


 ミルさんがまた謝ってくる。


「いいえ、こちらこそ本当にすみません」


「まぁ、夢だと思うのもわかる。

 目覚めようと自傷行為に走る転移者も、君だけじゃないしな」


 あ、他にもいるんだ。

 なるほど、手早く止めるために殴りとばすのも一つの方法なんだな、たぶん。


「でも、安心してくれ」


 ミルさんが俺に言ってくる。


「君のような巻き込まれた人間には、他にも説明することが出来る。

 なにしろ、今は非常事態だ。もしかしたら、君の力を借りることになるかもしれない。

 なによりも中央大陸にさえ戻れれば、君を元の世界に送還できる」


 それを聞いて、俺は心の底から安堵した。

 帰れるのか。

 じゃあ、帰ってから、もう一度ロープを買いなおすこともできる。

 いや、そもそも他にも方法はいくらだってある。

 少なくとも、大人の義務とはいえ、助けて保護してくれた人の手前、その顔に泥を塗るのはやはり、なんというか心苦しいし。

 それなら元の世界に帰ってからでも、遅くはない。

 俺は、そう自分自身に言い聞かせる。

 言い聞かせながら、ミルさんに、


「帰れるんですね、良かった」


 そう返した。

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