フグがいる教室

「……」


 毒だ。この環境は目に毒だ。目にも毒だし耳にも毒。そして心までも蝕んでくるのだからたまったもんじゃない。


 ゴールデンウィークを挟んだ一週間ぶりの教室は四方八方毒に侵されていた。「久しぶりー!」なんて言いながら集まり合うエセ友達。なーにが久しぶりだよ友達ごっこなんかしやがって。久しぶりって事はあれだろ? ゴールデンウィーク中に遊んだりしなかった程度の仲なんだろ? 反吐が出る。毒だ毒、こいつら全員フグだ。


【うーわ、何考えてるかわかりやすい表情。そんなんだから友達出来ねえんだよ。マジでうんこだなお前】


 六年生の教科書に擬態しつつ、そんな文字をページに浮かび上がらせるメリル。汚い言葉使いやがって、誰に似たんだこいつ。


【おら、早く作ってみろよ友達。作れるんだろ? ん? 黙り決め込んで友達作れるとでも思ってんの? 馬鹿じゃん?】


 私はメリム目掛けて大きな舌打ちを放ち表紙目掛けて肘鉄を食らわせてやった。が、その瞬間私の周囲の空気が凍りついたような錯覚に襲われる。


 ……いや、錯覚なんかじゃない。一人でいきなりこんな大きな舌打ちかまして教科書(メリムが擬態したものとは言え)に肘鉄食らわして。そんな奴が隣にいたら私だって警戒するわ。


 まずい。警戒なんかされて友達が作れるか。言わないと。警戒しないでって言わないと。私はこの気持ちを私らしい言葉にアレンジして紡ぐ。


「あ? 警戒してんじゃねえよ」


 なんかみんな机ごと私から数十センチ離れていった。


 冷や汗が垂れる。友達になるためには話しかけないといけないのに、なんだこれは。みんな離れて行っちゃった。物理的にも、そして恐らく精神的にも。一メートルにも満たない距離感なのに、心理的には海を越えて大陸の向こう側にまで逃げられたようにさえ感じる。


「……」


 そうだ、寝たふりをしよう。私は机にうつ伏せた。ついでにメリムが【アホだなお前】とか言ってるような気がしたからメリムの事もぶっ叩いておいた。


 ってかさー。そもそもさー。無理じゃん? 私この学校に来てからずっと声かけるなオーラ出してたんだ。それでも声かけてくる相手にはシカト決め込んでたし、仲の良いグループはとっくに形成されてるし、その輪に六年生の今になって「いーれーて!」とか言えるか馬鹿タレ。


 それから何分経っただろうか。朝の会を知らせるチャイムが鳴り、私は寝たふりをやめた。ついでに寝たふりではなくしっかり寝ていたんだと周りに知らせるために大きな欠伸を一つついた。あ、あと体もポキポキ唸らせておこうか。


【おめえ寝る演技だけなら子役デビュー出来るぜ】


 今度は目立たないようにメリムのページを力の限りつねった。まぁ魔書はあくまでメリムの家のようなものであって体じゃない。こいつを痛めつけても無意味なのはよくわかってるんだけどな……。


【大体お前よぉ、少し笑顔が足りねえんじゃねえか? そんなんで誰が近づくかよ】


(あ? 愚かな人間如きに私が媚び売れってか?)


【こういう時ばっか魔女面すんな】


 机にうつ伏せているおかげで、小声でならメリムと会話する事も出来る。別に楽しくもなんともないけど。


【愛嬌振り撒くのと媚び売るのは別だろ。そんなんじゃいつまでも友達なんか作れねえぞ。周り見てみろ。陽キャグループにせよ陰キャグループにせよ、自分のグループ内じゃみんなニコニコしてんだろ】


(あーもう主人に説教とかしてんじゃねえよぉ……! お前魔女宅で言うところのジジポジションだからな? 猫風情が調子に乗んなよ?)


【誰がジジだ殺すぞ】


(なんだてめえこの野郎、ジジは可愛いんだぞクソ野郎)


 と、その時。チャイムが鳴り止み、若干の静かさを取り戻した教室。教室に近づく担任の足音がより聞こえやすくなったけど、気のせいかな。足音が二つ聞こえるような気がするような。


 そしてふと気がつく。私の左側に席があると。ゴールデンウィーク前までは何もなかったのに、何で机が置かれているんだろう。


「……」


 心臓が高鳴るのを感じた。まるで先生が希望を連れてやって来るような、そんな感覚。


「はーい。皆さん、席についてくださいねー」


 教室の扉が開き、このクラスの担任なのである理科の先生が入って来た。私の予想通り、その後ろに見知らぬ一人の少年を引き連れてだ。


「はーい、みんな静かに! ホームルームを始める前に、みんなの新しいお友達を紹介します。それじゃあ自己紹介、お願いね」


 理科の先生に促されるまま、見知らぬ少年は自分の名を名乗る。


「佐藤です」


 それだけ言って少年は沈黙する。


「あー……、下の名前もお願い出来る?」


「太郎です」


 表情が引き攣り気味の先生をよそに、少年はまたしてもそれだけ言って沈黙した。


 なんて生気のない声なんだろう。いや、声というか存在そのものに生気を感じ取れない。例えば単純に直立するにしても、人の体は微かに揺れてしまうものだ。しかしあの少年はまるで無機物のように微動だにしないまま立っていた。目は飾り物のように虚ろだし、話す事も必要最低限というか機械的と言うか……。名前にしたって偽名を疑うレベルの名前だ。タロウって。今時タロウって。キラキラネームより酷えぞ。仮に私に息子が出来たとして、その息子に名前をつけるとして。どんなに酷いキラキラネームでもポチくらいで思い止まるの思うんだけどな。


「えっと……他には?」


「よろしくお願いします」


「それだけ?」


「よろしくお願いします」


 先生めっちゃ苦笑いだった。


「えっと……この通りとても静かないい子です。みなさん、どうか仲良くしてあげてくださいね。じゃあ佐藤くん、あっちに席があるから座ってくださーい」


 タロウと名乗る少年はコクリと頷き、モデルのような綺麗な歩き方と言うか、規則的過ぎて逆に不自然に整った歩き方でやってきて私の隣の席に腰を下ろした。


「……」


 それを見て私は、心の中でこれでもかと言わんばかりのガッツポーズを取ってみせた。


 やった。やったぞ。このタイミングで転校生を用意してくれるだなんて、神は私を見放していなかった。


 小学校六年生。私がこの世界の学校に通うようになって六年目だ。既に人間関係は構成されているし、今更どこかのグループに入れるような気はしない。なんならこんなクソみてえな年度試験でもなかったら入りたいとさえ思わなかった。


 けど転校生なら。まだこの学校で人間関係を作れていない転校生ならイケる。いや、いかなきゃいけない。このチャンス、死んでも逃してなるものか。


「な……っ!」


 そう、思っていたのだけど。タロウの方を見てみると、タロウの前の席のやつが今まさに振り向こうとしているじゃないか。タロウの前に座る少年、金城 大地(きんじょう だいち)。こいつの事はよく知っている。ぼっち過ぎてクラスメイトの名前なんてほとんど覚えていないけど、目立つ奴の名前は否が応でも覚えてしまうからだ。


 ダイチ、お前は恐ろしい男だよ。小六にして百七十は超えている身長も去る事ながら、風の噂じゃ一年生の入学式にガチで友達百人作ってみせた陽キャの中の陽キャだそうじゃないか。


 私に友達が出来ない理由。それは自分の正体がバレるリスクを極力減らす為であるし、いずれ記憶を消す相手と思い出を作る必然性を感じていないというのが理由の一つだ。けど、お前の存在も理由の一つである事に違いはない。お前が百人も友達を作るから私の分がいなくなってんだよこのボケナスがよぉ……!


 それなのにお前はまだ友達を得ようとしているのか? 私から友達を奪おうと言うのか? 私より先にタロウに声をかけて友達になろうと言うのか? ……させるか。それは私の獲物だ。


 先手必勝。まさにその一言に尽きた。タロウをダイチに取られないように私が取った行動はとても簡単なものだ。ダイチより先にタロウに手を伸ばしたのである。タロウの胸ぐらを掴み、ダイチの魔の手から遠ざけるべく私の方へと引き寄せ、そして。


「おい転校生。後で私と遊べよ」


 相手の顔をしっかり見て、遊ぶ約束を取り付けてやったのだ。


「有生さん! 佐藤くんが大人しい子なのは見てわかるでしょ⁉︎ それなのにいきなりあんな脅すような真似をして……!」


「え……ち、ちが……私仲良くしたくて…………その、あの……す、すみません」


 なのに何で私は廊下に連行されて説教を食らっているのだろう。


 こっぴどく叱られた後、戻って謝りなさいと促され教室へ戻る。くそ、あのゴミカス教師め。もし一人前の魔女になれた暁には、四十代になるまで結婚相手と巡り会えない呪いをあんちくしょうにかけてやると心に誓った。


 教室に入るとクラスメイト一同からの冷たい視線が一斉に降りかかった。私は気にせず自分の席へ戻るものの。


(佐藤、あいつの言う事なんて聞かないでいいからな)(有生ちゃん、遊びに誘っても友達なんかいらないって言っていつも断るし)【ほんとそれな。しかもあいつすぐ手が出るし】


「……」


 クラスメイトのヒソヒソ話がビンビン耳に入って来るなぁ。私は自分の席に腰を下ろし、ついでに開きっぱなしのまま不快な文字を浮かばせるメリルをぶっ叩いた。


 言いたいなら勝手に言わせておけばいいさ。説教こそ受けたものの、私の先手必勝は間違いなく決まったんだ。こいつらがどれだけタロウと仲良く話していようが、私がこのクラスの誰よりも早く遊ぶ約束を取り付けた事に変わりはない。せいぜい今のうちに仲良しごっこしておくんだな。なんせそいつと帰るのは私なんだから。そして私の家に寄らせて、一緒にマリカでもやってもらうんだからな……!


「あれ?」


 なのに何故だろう。帰りの会も終わったのに。


「佐藤! 一緒に帰ろうぜ!」


 何故奴はダイチと一緒に帰っているんだろう。後で遊ぶって約束したのに。 


「メリム」


【何だ?】


「一緒にマリカやろ」


【出来るかうんち】


「あ? お前のがうんち」


【お前だバカ。死ね】


「お前が死ね」


【は? 死ね】


「死ねカス」


【クズ】 


「ゴミ」


【うんち】


「ゴミうんち」


【ゴミクズうんち】


「うんちきカス野郎」

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