桜に囲まれた魔女の朝

 有生家の朝はうっすらと焦げたパンとバターの匂い、そして視界一面に広がる桜色の風景から始まる。その日もいつもと同じように、朝食の匂いに胃が刺激され、私は深い眠りから目を覚ました。視界に飛び込む酷く散らかった部屋の風景。サチの趣味である桜の花があしらわれた服の数々があちこちに脱ぎ散らかっている。そろそろ洗濯機に入れないと、また急に着る服が見つからなくて慌てる朝を迎えかねない。


 ベッドから上体を起こし、桜が散った季節にしては若干低めの気温に身震いする。というのも私の部屋があるのはマンションの西側だ。午後になるまでこの部屋に日光が差し込むことはない。とは言え暖房器具をつけるような季節でもないため、私の体温で温まった布団が一番の暖房器具だ。布団に残る温かさが心地よく、私を二度寝の誘惑へ貶めようとする。まぁそんな事はしないけど。事情があって休んだ事もあったけど、それ以外は五年間無遅刻無欠席なんだ、なめるな。


 私はスリッパを履き、いつものように朝食の用意を終えているであろうサチが待つリビングへと足を運んだ。


「あ、おはようりいちゃん」


 ベランダへ繋がる窓から程よい眩しさの朝日が差し込むリビングルーム。真ん中のテーブルには既に朝食が並べられていて、サチは私が来るまで何も口にせずに席に腰を下ろしていた。


「おはようございます」


 必要以上の馴れ合いをするつもりはないけれど、挨拶だけは欠かさない。これは馴れ合いどうのではなく礼儀なのだから当然だ。私もサチの向かいの席に腰を下ろし、いただきますと声を合わせた。


 タマゴサンドとBLTサンドが一枚ずつと、ヨーグルトが一杯。サチは元々白米派らしいけれど、箸やお米の文化に慣れない私に気を遣ってか、朝食のメニューはほとんどが洋食である。もう日本での生活も五年目だし、流石に箸の扱いには慣れているんだけどな。お米も好きだしお味噌汁も好物で……まぁ納豆みたいな発酵食品には未だに慣れないけどそれ以外はおおよそ問題ない。だからもう気を遣って洋食ばかり用意しなくてもいいのにサチと来たら『いいの。私もなんか洋食が好きになっちゃったみたい』とか言うものだから、こうして今も朝食のほとんどは洋食だ。


「ん……」


「どうしたの? りいちゃん」


 ふと、まぶたに痙攣が起きて目を擦る私をサチが心配する。


「いえ……。なんか目がぴくぴくって」


「あー、それって疲れてたり寝不足だったりでストレスが溜まってると起きるみたいだね」


「そうなんですか」


 疲れ、寝不足、ストレスか。思い当たる節があり過ぎる。


「そういえばもう年度試験の時期だよね。もしかしてそのお勉強で夜更かししてる?」


「……」 


「あ、図星だ。あんま無理しちゃダメだよ?」 


「別に無理なんて……」


「心配しなくても大丈夫だよ。りいちゃんは優秀だもん」


「……」


「毎日魔法の勉強を欠かせないし、小学校の勉強だって頑張ってるし」


「……」


「今回の試験も楽勝で通過だよね!」


 なんでだろう。サンドイッチの味がしない。


「りいちゃん?」


「い、いえ」


 期待の眼差しが痛い。この場に居辛さを感じ、私は流し込むようにサンドイッチを頬張った。


「りいちゃん! ご飯はちゃんと噛んで」


「はいじょうぶれす!」


 サチの制止を聞き入れず、最後にヨーグルトを一気飲みしてサンドイッチを胃の中へと流し込み、私は逃げるように自分の部屋へと駆け込んだ。でもすぐにリビングへ戻り


「あの、ごちそうさまでした」


 言い忘れた挨拶を告げてもう一度自分の部屋へ駆け込んだ。


「はぁ……」


 部屋のドアを閉めて、大きなため息を一つ。まったく、本当にサチには参ってしまう。普通、こんな無愛想な態度を続けたらどんな聖人だって呆れてしまうはずだ。なのにサチは私に呆れる素振りも嫌う素振りもなく、どんなに拒んでも私との距離を詰めようとしてくる。私の気も知らないで。どんなに仲良くなったって結局最後は別れないといけないのに……。


 私と一緒に暮らせる時間は長くてあと一年。だけど下手したらあと一週間だ。机の上に出しっ放しの試験案内を見て、私はもう一度深いため息をついた。


『人間の友達作り。期限は一ヶ月』


 試験案内が届いてから早三週間。結局ゴールデンウィークという最大の友達ゲットチャンスも無駄に過ごしてしまった。


 あぁ……もう。なんていうか。ほんと、なんていうかマジで……。


 何? 本当に何なんだよこの試験は。魔女の試験なのに魔法も何もあったもんじゃない。バカか? 誰だこんな試験考えたやつ。うんちかよ。くたばれサイコパスうんちが。


 その時。ゴトン、と。私が身に纏うワンピースタイプのパジャマのスカートの中から重い物が床へこぼれ落ちた。私は怒りに任せてそれをスリッパで踏みつける。


「メリム! その出方やめろって言ってんだろ! うんちかてめえは!」


 魔獣の皮で作られた表紙の本。私の魔書、もといその中で生きる精霊メリム。私が扱う魔力の源。


 精霊。それは世界のどこにでも存在する生きた魔力の塊だ。魔法を使える世界と魔法を使えない世界の違い、それはその世界の知的生命体が精霊の存在を確認出来たかどうかだと、昔魔界で教えられたっけ。


 精霊は世界のどこにでもいる。目に見えないだけで、この狭い部屋の中だけでも数万を超える数の精霊がふわふわと大気中を漂っているらしい。


 精霊は普通の人には見る事が出来ない。声も聞こえないし臭いもしない、触る事だって出来ない。その存在を確認出来るのは数億人に一人の割合で生まれてくる極度に敏感な第六感、いわゆる霊感を持つ者だけだ。


 また、精霊の存在を確認出来た所でその人物がただの一般人だと意味がない。自分には精霊が見えると周りに伝えた所で、周りはその人の事を奇人変人としか思わないからだ。自分の言葉を問答無用で大衆に信じさせるだけの権力者が精霊を認知する事で、初めて魔法の文明は発達する。だから多くの世界では魔法の文明が発達していないのだ。そして異世界留学の本質はこの精霊の強化にあると言っても過言じゃない。


 いくら精霊が無数に存在すると言ってもその数は有限だ。精霊の存在を認知されたが最後、その世界の精霊はあっという間に魔法の道具として消耗されていき、そしていつかは枯渇する。私が元いた魔界がまさにそうだった。


 だから魔界では新しく生まれた子供に一体だけ精霊を与え、子供は魔法が認知されていない世界で自分の精霊を強くしていく。


 強い精霊は自分より弱い精霊に触れただけで相手を捕食し自分の力へと還元するそうだ。魔女一人が使う一生分の魔力を蓄えるまでにかかる期間はおよそ四年。そのため年度試験も最初のうちは魔力を蓄える為に、誰でも突破出来るようなとても簡単なものとなっている。それで年度試験を甘く見て修行を怠った魔女っ子達の前に突然現れるのが、去年のピーマン作りのような難題なのだろう。最後まで油断せずに修行を怠らなかった者だけがその試験を突破出来るのだ。


 話が少し逸れたけど、要するにこうして一生分の魔力を精霊に蓄えてやる事がこの異世界留学の本質だ。魔法使いはそんな魔力の塊である精霊を魔書という依り代に閉じ込める事で、霊感を持たない者でもその姿を視認し、触れ合い、そして使役する事を可能としている。だからこうして


【何がうんちだ、友達もいないうんち以下がよぉ(ボソッ)】


 ページに文字を浮かばせる事で私と意思疎通する事も出来る。


「ボソッ、じゃねえよ! それで聴こえてないつもりかよ! 文字に出てんだよ!」


 まぁ、私にとってはこの世で一番いらない機能と言っても過言じゃないんだけど……。


 この魔書は普段私の中に収納されている。私の皮膚に触れれば私の中に入れるし、出てくる時も私の皮膚の好きな部位から出てくる事が出来る。で、このクソメリムが自発的に姿を現す時は、こうしてちょいちょい私のお尻や太ももから出て来てスカートの中から落ちてくるんだからたまったもんじゃない。


【俺に当たってる場合じゃねえだろ、そんな暇あんなら友達の作り方でも考えろ】


「うるせえなぁ……」


 一通り踏みつけた所で、私はメリムをベットに放り投げた。メリムがクソなのはともかくとして、こいつの言う事は間違っていない。なんせこの試験に合格しないと私は魔界に強制送還させられてしまうんだし……。にしても。


「ほんと意味わかんねえよ。これ魔女の試験じゃねえのかよ? 魔法要素ゼロじゃん。この試験考えたやつ頭おかしい。ヤクザかよ」


 そんな魔女の試験が、こんな魔法と無関係な内容ってなるとなぁ……。大体この五年間はずっと魔法の試験だったのに、なんだって急にこんなヘンテコな試験になるわけ?


【魔法使って攻略しろって事じゃね?】


「え? どう言うこと?」


【だから魔法で洗脳して友達を作るって事】


「……」


 なるほど。記憶の改ざんか。確かに卒業試験にも繋がる大切な魔法である事に違いはない。……いや、でも。


「無理じゃね? 魔法をかける時に私が魔女だってバレちゃう」


【洗脳して友達化した後にその時の記憶を魔法で消すとかどうよ?】


「あー、なるほど……。んー、でもそれ結構危険な賭けじゃね? それだと一時的に魔女だってバレるわけじゃん? もしかしたらその瞬間失格になって魔界に強制送還される可能性とかあるし」


 と、なるとだ。


「本当に人間の友達を作らなきゃダメなのかよ……」


【詰んだな】


「うるさい」


【別に俺声出してねえし】


「それでもうるせえの!」


 私は大きなため息をついた。何にせよ家の中で落ち込んでいてもしょうがない。そろそろ家を出ないと遅刻する時間だし、ゴールデンウィーク明けの学校に持ってく荷物の確認でもしないと。


 私はさっさとパジャマを脱ぎ捨ててタンスの中から適当な服を取り出す。掴み取った服は上下共に珍しく花の装飾がされてない無地のもの。サチから買って貰った服は大体サチの趣味が散見していて、桜を基調とした花柄だったりピンク色の女子女子したものばかりなのだ。私は急いで服を着替え、最後に水をつけても直らなかった寝癖をヘアピンで無理矢理押さえ込んだ。


 ふと思い出す。そういえばこの桜のヘアピンがサチから貰った最初のプレゼントだったなーと。なんだったっけ……。確か魔法の修行に花が必要で、でもこの世界の花に関する知識がなさすぎたから、それで図鑑を買いに本屋に連れて行ってもらったんだよな。その帰りにたまたま露店でこれが売られていてサチに買って貰ったんだ。


『りいちゃん、桜の花言葉って知ってる? 精神の美とか、優美な女性とかがあるの。りいちゃんにぴったりだって思わない?』


 桜の花言葉は知らなかったけど、それ絶対さっきの本屋でサチが立ち読みしていた『花言葉で学ぶ贈り花選び』で仕入れた知識だよなーって思った。ま、サチの言う通り精神美も優美な女性も私を象徴する言葉に相応しいし悪い気はしないんだけどな。


 着替えが済んだら次は持ち物チェック。私は通学用リュックを開いて中を覗いた。教科書に筆記道具よし、連絡帳よし、リコーダーよし、絵の具セットよし。習字セットの入ったエコバックもあるし、あとは……そうだ。うわぐつと体育館シューズ。


 と、その時。コンコンと部屋の扉を優しく叩く音が鳴る。


「りいちゃん。はい、これ。うわぐつと体育館シューズ」


 そう言いながらうわぐつと体育館シューズの入ったエコバックを手渡すサチ。タイミングの良いことこの上ない。


「ありがとうございます」


 サチは本当に抜け目がない。非の打ち所が全くないとまでは言わないけれど、それでも大分しっかりした部類の人である事に違いはない。正直な話、私の無遅刻無欠席記録も忘れ物の回数ゼロの記録も、サチのサポートがあったからこそ達成出来ている部分も結構あるよな……。


 たまに思う。サチはなんてもったいない事をしているんだろうって。ただでさえ私達魔女とは比較にならない程寿命の短い人間だ。そんな短い人生の中で五年もの際月を私なんかの為に費やすなんて。


 サチくらいの年齢だったら、本当なら優しい旦那さんと巡り合って結婚しててもおかしくはないんだ。


 ……。


 本当ならな。


「それと、これ」


「え? ……あぁ」


 うわぐつと体育館シューズに続いて手渡されたのは、毎年この時期になるとサチが有名な神社から買ってくる学業成就のお守りだった。デザインはもちろんサチの好きな桜柄。


「今年の試験に合格すれば最後の一年も一緒に暮らせるもんね。頑張ってね? りいちゃん」


「……どうもです」


 私はほとんど気乗り出来ないままその御守りを受け取った。サチの期待の一つ一つが胸に刺さって穴が空いてしまいそうだった。


「ん? どうかした? りいちゃん」


 どうやら私の思ってる以上にこの浮かない感情は表情となって現れていたようで、サチが心配そうに顔を覗いてくる。


「具合悪いの? 学校行きたくない?」


「そ、そんな事はないです。めちゃくちゃ元気です! 学校だって休むわけにはいきません。私が行かないと友達も寂しがりますし」


「そう? まぁそうだよね。りいちゃんクラスの人気者だもんね」


「はい」


「学年全員と友達のバリバリの陽キャだもんね」


「は、……はい」


「お片付けもちゃんとしてね」


「え……」


 私は酷く散らかりきった部屋を一瞥しながら。


「あ、はい。わかってます……そのうち、ちゃんと」


 と生返事をした。


 ほんと、サチに心配はかけられないや。何度素っ気なく接しても、いつも私の事を一番に考えて行動してくれる人だ。学校でぼっちやってるとか知られるわけにはいかないし、今回の年度試験に落ちるかもしれないだなんて口が裂けても言えない。必死に隠し続けて来たんだ。試験に合格するにせよ落ちるにせよ、もう少しだけ隠し通してみせるさ。


 サチが部屋を去った所でため息をつく。私の魔書はそんな主人を慰めるでも励ますでもなく。


【これで最後かもしんないんだぜ? 最後くらい素直に甘えてやれよ、昔みてえに。向こうも喜ぶぜ?】


「うるさい。寂しくもないし最後でもない。勝手に終わった事にすんな」


【ってことは?】


「……っち。作ればいいんだろ? 友達……」


 そんな無駄口を叩く魔書をパタリと閉じて体内に収納した。


「……どうせ最後は全部忘れるのに」

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