五回目の試験

 私は優秀な魔女だ。


「保温魔法。メリム・トゥーリルニオルテ」


 年度試験は既に五回パスしているし。


「補給魔法。メリム・ティニーヤーブ」


 毎月のレポート成績は平均で八十五点。


「成長魔法。メリム・キオパスィー」


 先月のレポートに至っては九十三点で、現在留学中の魔女っ子の中で第二位と言われた時はどれだけ誇らしかったことか。


「捕縛魔法。メリム・ソーギパティー」


 私は優秀な魔女だ。間違いなく優秀な魔女なのだ。


「ふぅ……」


 私は眉間に溜まった汗を拭き、たった今魔法で種から育てたばかりのピーマンの身をむしりとった。真緑の光沢を放つその実に思わずムフフと笑みがこぼれる。


「ムフフ」


 声もこぼれてしまった。けど、それも仕方のないことなんだ。一般的な緑色のピーマンは未成熟な実で、完熟してしまうと実が赤や黄色に染まってしまう。そんじょそこらの魔女なら、きっと成長魔法の加減を忘れて完熟させきってしまうか、或いは実をつける事さえ出来ないのが関の山。しかし私はこの通り、ちょうど綺麗な緑色の時点を見極めた上でピーマンを実らせてやった。


 というのも実はこれ、三十秒以内にピーマンを種から育てよと言う去年の年度試験だったりする。私は最初、その方法に随分と頭を悩まされたものだ。


 ピーマンを種から育てること自体はとても簡単だ。成長魔法をかけてやればいい。でも、三十秒以内に育てるとなると話は大きく変わって来る。そんな短時間に全力で魔法を使ったら、普通の魔女は魔力切れを起こしてしまうから。


 魔法使いには二通りある。女の魔法使いウィッチと、男の魔法使いウィザード。


 私達ウィッチは様々な魔法が使える代わりに出力が低く、例えば切断魔法を使った所で切れるのは野菜が精一杯。頑張れば石ころくらいなら切れるけれど、そんな事をしたら魔力切れを起こして丸一日魔法が使えなくなるし、下手したら気絶さえしかねない。


 対して男の魔法使いであるウィザードは、一人につきたった一種類の魔法しか使えないと聞く。しかしその代わりに魔法に込められる魔力量は絶大で、彼らが切断魔法を使おうものなら岩山だろうがダイヤの鉱山だろうが軽々と一刀両断出来るのだとか。……ま、全部聞いた話でしかないけれど。


 私はウィザードを見た事がない。魔界の中でもウィッチの国とウィザードの国は不仲な事で有名だ。魔界の住人は、この世界の人間に比べて皆莫大な寿命を持っている。それなのにウィザードと一度も会わないまま寿命を全うするウィッチが多いくらいなんだから、私みたいな子供には想像も出来ない程の確執があるんだろうな。知らんけど。


 ピーマンの話に戻そう。ともかく、短時間でピーマンを種から育てる魔法というのは、出力の低いウィッチにはあまりにも分が悪かった。そう言う一点特化の魔法はウィザードの領分なのだから。


 ウィッチはウィザードと違って一つの魔法に使える魔力量は少ない為、ピーマンの実がなるまで成長させるのは難しい。だからここで多くの魔女達は、ウィッチの自分達にそんな魔法は不可能だと挫折する。でも私は違った。ウィッチのやり方、複数の魔法を掛け合わせる方法とこの世界で得た知識で試験を突破してみせた。


 私が放出出来る魔力の量は人並み。普通に魔法を使うだけでは確実に実はならない。だから私はまず、ピーマンの種に予め切れ目を入れて発芽しやすいように細工を施した。後はその種を土に植え、蛇口に繋いだホースと添え木を用意すれば準備は完了だ。私は魔書を取り出し、土に水をかけながら魔法を使った。


 種の発芽に必要なのは水と酸素と温度。私くらいの歳なら小学校の理科の時間に誰でも習っている簡単な事だ。水は準備してあるから、まずは保温魔法で周囲の気温十度だけあげてやる。次に補給魔法で土に養分を供給しながらすぐにありったけの成長魔法を使う。そうしてすくすくと芽を伸ばした苗を捕縛魔法で添え木に括り付ける事で、私はなんとか制限時間ギリギリに緑色のピーマンを実らせてやったのだ。


 複数の魔法と科学的な知識を組み合わせて補助すれば、私のような人並みの魔力しか放出出来ない魔女でも大きな魔法を成功させられる。それがウィッチの魔法である。


『大変よくできました。低出力の魔法を複数掛け合わせる、ウィッチのお手本のような魔法だわ。よくこのやり方に気付けたわね』


『別に。このくらい出来て当然だし』


『他にも種に切れ目を入れて発芽しやすくしたり、保温魔法の設定を最も種が発芽しやすい二十〜二十五度に定めたり。これはこの世界で得た知識ね? 科学をロストテクノロジーだと見下さず、しっかり物にしているのも評価してあげる』


『あ、あたり前じゃん。魔法だけの為の留学じゃないし、その世界で学べる物は全部学んでおかないと』


『それに水や添え木を予め用意しておく事で、不必要な魔法の使用を抑えているのもよく考えたものだわ』


『えー……、あ、そ、そう……かな? ま、まぁこれも当然みたいな? 呪文詠唱の時間さえ惜しいのに』


『それに何より、ピーマンの成長を未完熟の状態で止めておいた点にとても関心したわ。この試験を突破した魔女の多くは完熟しきったピーマンを作っていたから。ホリー。あなたはお母さんに似たとても優秀な魔女よ』


『フ……フフ、フヘ……えへへへへへ』


『次からは素直に笑えるように心がけること』


 というのが去年の年度試験での出来事。あの頃は緊張していた事もあってとてもぎこちなかったけれど、今ではこうしてスラスラと立派なピーマンを作れるようになった。これも日々の訓練の成果だ。私は優秀な上に努力も怠らない立派な魔女であり、そしていつかはお母さんみたいな上級の魔女になりたいと思っている。


 私のお母さんは、異世界留学を行った魔女っ子の中でほんの数%しか達成出来ない年度試験の完全合格者だと聞いている。毎月のレポート評価はとても低かったみたいだけど、でもそれはきっと本気を出していなかっただけだと思う。お母さんはとても面倒くさがりな人だから、年度試験にさえ合格して上位階級の地位さえ手に入れればそれでよかったんだろう。


 お母さんの元を離れてからそろそろ五年か。親しい人と離れ離れになる時にありがちなセリフで、どんなに離れていてもこの空は繋がっている、なんてセリフがあるけれど。それは私とお母さんには当てはまらないよなー、とつくづく思う。当たり前の事だけど、私とお母さんは言葉通りの意味で住む世界が違うのだから。


 この世にはいくつもの世界が隣り合わせで存在していて、世界には世界ごとの違いがある。大きく分けるなら魔法を使える世界と魔法を使えない世界、正確に言えば魔法の使い方に気づけた世界と気づけなかった世界だ。


 魔法というのは本来誰もが使えて、どの世界でも使えるもの。その使い方に誰か一人でも気付く事が出来たのなら、その世界の文明は加速度的に発達する。この世界の住人もかつては魔術や呪術への信仰が盛んな時代もあったそうだけれど、科学という道を発見してからは次第に人々から信仰の心は薄れて行き、今ではほとんどの人が魔法の存在を諦めてしまった。だからこの世界の文明レベルは低いとまでは言わないけれど、魔界の文明には遠く及ばないのだ。現にこの世界の住人は異世界や魔物の存在を架空のものとしか思っていないのだから。


 今、私のお母さんがいる世界はそんな世界だ。この世界と魔界を繋ぐのは空ではなく、普段は鎖でがんじがらめにされた鉄扉である事を私は知っている。他でもない私自身が通って来たのだ。


 あの扉をくぐる寸前、ふと振り返ってしまった事で目に入ったお母さんの姿。手を振りながら私を見送るお母さんの姿が、私が最後に見たお母さんの姿だった。


 この世界に来たばかりの頃は毎日が辛くて帰りたくて大変だったっけ。心身共に立派な魔女へと成長している今の私には決してあり得ない事だけど、あの時の私は未熟な子供だったから、お母さんや家が恋しくて泣いちゃうのも仕方のない事だ。そしてこんな風に過去の自分の未熟さを自覚出来るあたり、やっぱり私は立派に成長しているんだなと、ちょっとばかりの満足感が胸を満たした。


「……」


 ふと、どこかから母を呼ぶ子供の声が聞こえた気がした。私は重たい腰を上げ、魔法菜園練習場もといマンションのベランダから顔を乗り出して下の様子を見てみる。このマンションは一階がコンビニとなっており、そこから楽しそうに笑みを浮かべた二人の親子が退店するところだった。


 早く行こう、早く行かないと座れるところがなくなっちゃう、と母の手を引く子供。そんな子供に困り顔をしつつも、まんざらでもなさそうな笑顔を浮かべる母。二人は父親と思わしき人物が待つ車の中へと入っていき、車はあっという間に住宅街の外へ駆け抜けていった。


 お花見かな。子供の発言や今の季節、そしてどこからともなく風に流されてやってくる桜の花びらを見て、そんな予想が思い浮かんだ。


 私も昔にやったっけ、お花見。お花見に限らず、この世界の日本という国で行われる季節ものの行事は大抵最低でも一度は経験している。あの人が私に経験させてくれたから。


「わー! 凄いりいちゃん。もうピーマン作れたんだ?」


 噂をすれば何とやら。私は背後の声に反応し、その場で振り返った。真昼であるために室内の灯りはなく、ベランダから差し込む日光だけが、リビングルームからこちらを覗く彼女の顔を照らしてくれる。


「あ」


 その人はリビングルームから身を乗り出し、三十歳を過ぎた女性のものとは思えないとてもみずみずしい手のひらを私の頭へ伸ばした。


「桜の花びら」


 どうやら私の頭に、どこからともなく流れ着いた桜の花びらが乗っていたらしい。


「やっぱりりいちゃんには桜の花が似合うなー」


 リビングルームから身を乗り出した事で、日光はより濃く彼女の体を照らし、その姿をより鮮明な形で私の瞳へ写させた。手のひらだけでなく、どの肌を見ても瑞々しく若々しい。顔付きさえも幼いはずなのに、しかしその仕草や表情の一つ一つが彼女から幼い雰囲気を奪い取る。彼女を少女と見間違う者は恐らくいないだろう。彼女は立派な女性である。そして


「あと一年だね。りいちゃんと居られるのも。どう? これが最後の春だし、お花見とか行ってみない?」


 この世界での私のホームステイ先としてお世話になっている人間の女性である。名は有生 幸(ありせ さち)。


 サチはとても献身的で友好的な人物だ。人の性格なんて千差万別だけれど、サチの事を嫌いと思える人物に善人はいないと私は胸を張って言い切れる。


 私は人に頼るという行為があまり得意とは言えない。サチはそんな私の性格を理解しているのか、私が困り事に遭遇するたびに自分の方から声をかけてくれる。彼女が私の保護者でなければ、私はこの世界で買い物の仕方もわからないまま留学を終えてしまったのではないかと思うほどだ。私はそんなサチに何度も救われているし、星の数でも足りないくらいの感謝をしている。……でも。


「いえ。結構です」


 私は彼女と関係を深めるつもりはない。深めてはいけないんだ。私はベランダスリッパを脱ぎ、サチに一礼だけしてその隣を横切った。そしてそのまま私の自室へと足を運んだ。


『お母さんは』


『ん?』


『お母さんは楽しかった? 留学』


 意味もなく自室のベッドに横たわる私の脳裏をよぎったのは、今ではすっかり色褪せかけてしまった母とのそんな記憶。この世に生を受けて九年。そのうち魔界で過ごしたのが四年で、この世界で過ごした年月は五年なのだから、私は既に故郷にいた頃よりも長い時間をこの世界で過ごしている。そりゃあ魔界での思い出も色褪せるのも仕方がない。


 ……でも。どんなに色褪せてしまっても、お母さんと一緒に過ごした日々を忘れてしまうことはなかった。


『えぇ。とっても楽しかったわ。色んな物を見れて、色んな物に触れられて、色んな人にも出会えて。……そして、好きな人とかも出来たりして』


 私のお母さんは笑うのが好きな素敵な人。周りからは変わり者だって言われているけれど、それでも私のたった一人の大切な家族。……いやまぁ正直に言うと良い歳して悪戯ばっかして笑い転げるようなダメな大人ではあるんだけど。でも、そんな笑ってばかりのお母さんだからこそ彼女が稀に悲しそうな顔をした時は、忘れようにも忘れられない。


『ホリー。あなたもきっと、向こうの世界で好きな人や大切な人が出来ると思うの。でも、そんなあなたに何てアドバイスをしたらいいのか、私にはわからない。大切な人が出来るのはとても素敵な事だと思うけれど、でも絶対に別れなければいけない人と親しくなればきっとあなたは傷つくわ』


 お母さんは悲しそうな目でそう言った。お母さんの言う通り、この留学で親しい相手を作る事は魔女にとってはデメリットでしかない。だってどれだけ大切な人が出来てたとしても、どれだけ好きな人が出来たとしても、私達魔女はいずれその人と別れなければいけないから。そしてその別れは例外なく永遠の別れになるのだから。


 自分の正体を隠しながら過ごすのが異世界留学中の魔女っ子の掟だけれど、そんな私達にも一度だけ人の前で魔法を行使しなければいけない日がある。それが卒業試験だ。異世界留学最終日に、この世界で触れ合った全ての人々から自分の記憶を躊躇せずに消し去る事。年度試験の内容は試験日当日まで伏せられるが、最後の試験内容に限ってはいつの時代も変わらないらしい。私たちはいずれ、この世界で自分が生きていた痕跡を跡形もなく消し去らなければいけない。そしてそれは、私が魔女である事を知るサチだって対象の範囲内だ。


 ……。


 無事五回の年度試験を突破した魔女でも、この最後の卒業試験につまづく魔女はとても多いのだと聞く。記憶を消す事は簡単なのかもしれないけれど、躊躇なく消すとなると話は別だ。いくら親しい相手を作らずに生きて来ようと、それでも私達は親から引き離された孤独な子供に過ぎない。どうしても忘れられたくない相手の一人や二人、出来てしまうものだ。


 だから私はこの世界で親しい人を作らずに生きて来たつもりだ。これからだって誰かと親しくなる気はない。私一人で立派な魔女になってみせるんだ。この五年間、ずっとそうして生きてきた。私は自分が傷つかない道を、誰とも親しくならない道を今まで通り突き進むだけだ。


 ……なんて息巻いては見たけれど、いざ当日になって躊躇なくサチから記憶を消せるかと言われたら、正直自信ないや。でも、こんな生活を五年もやり遂げて来たんだよな……。留学の期間は後一年。まだまだ先は長いけど、あと一年で私は……。


 ファサ、と。ベッドの上で仰向けに転がる私の顔に、どこからともなく現れた一枚の紙が落ちて来た。突然の事に一瞬体を震わせてしまったものの、しかしそれは今までに何度も経験している出来事。時期的にそろそろ来る頃だと思っていた。私は顔を覆う紙に手を伸ばし、その内容を確認する。


 異世界留学五回目となる年度試験の案内用紙。これを突破すれば異世界留学最後の一年の滞在許可証が発行され、来年のこの時期に実施させる最後の年度試験、いわば卒業試験への受験が認可される。でも、このテストに落ちたら私の留学はここで終わりだ。ゴールデンウィーク前には魔界へ連れ戻される事になるだろう。


 お母さんは全六回の試験を合格した。ここで落ちたら私はお母さんとは別階級の魔女となり、お母さんとは別の居住区で暮らさなければならない。会えなくなるわけじゃないけれど、会える時間は確実に減ってしまう。だから絶対に合格して……。と。


「……え」


 意気込む私の肩から、ガクッと力が抜けていくのを感じた。私は案内用紙の内容をもう一度一から読み直す。読み間違いであれ、もしくは書き間違いであれ。そう願いながら一言一句漏らさず、慎重に読み直した。……が、何度読み直してもそこに記された内容は初読の時と変わらない。だから私は。


「人間の友達作り……? 期限は一ヶ月?」


 この試験作ったやつをぶち殺したいと思った。

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