ズレた少年
「ん……、あ、くそっ……、死ね、死ねっ。……あー、もうマジムカつくこいつ!」
春の日差しが傾き始める時刻。結局一人で家に帰り、一人でオンラインマリカを楽しむいつも通りの日常を過ごす私。小学二年生のクリスマスの朝に『これで友達と遊んでね、サンタより』と書かれたカードと一緒に枕元に置いてあったSwitchだけど、これがサンタの意図した役割として機能した試しは一度もない。貰った日から今日の今日まで、ずっと私だけの暇つぶしアイテムだ。
私はオンライン対戦で負けた腹いせにコントローラーを投げつけた。壊れたら嫌だから枕目掛けて投げつけてやった。まったく、友達になれたかもしれない転校生を奪われた事もあって、むしゃくしゃが止まらない。
【青少年の犯罪をゲームやアニメのせいにして規制するのは筋違いだと思うけどよぉ。でも子供がポチポチボタン押しながら「死ね死ね」呟く姿見てると、ゲームを規制したくなる親の気持ちもわかっちまうんだわ】
「その親殺そうぜ」
【お前が先に死ねや】
そんな感じにメリムといつもの日常会話を嗜んでいると、鍵のかかった玄関のドアが開く音が響いて来た。
「あ、サチ来た」
ここに住んでいるのは私とサチの二人だけ。まぁペットも家族に含めるのなら、そこにさらにメリムが一匹加わる事になるけど。そんなわけだから玄関の鍵を開けるような人はサチ以外にいないんだけど……。
時計を見てみると時刻はまだ夕方の六時前。サチが仕事から帰ったにしては少し早い。サチは仕事が終わり次第真っ直ぐ家に帰るから、今日は早めのシフトだったのかな。
私は特に深く考えもせず、サチを出迎えるべく部屋を出た。親睦を深める気はなくとも挨拶は基本中の基本だ。サチからそう教わってる。……が。
「ん?」
廊下に出て玄関の方を見てみると、そこにサチの姿はなかった。ただ玄関のドアだけが開きっぱなしのまま、春風に吹かれてギィギィ音を鳴らして揺れている。
「……サチ?」
玄関のドアは開いている。つまり誰かがこの扉の鍵を開けた事に間違いはない。でもなんでドアが開きっぱなし? そもそもサチどこ?
私はドンキで買ったクロックスのサンダルを履き、玄関の外に首を出して周囲を確認してみる。しかしマンションの通路に人らしい人は見当たらなかった。
「……」
鍵でも壊れたのかな? 私は半ば強引にそう納得し、玄関の戸を閉めた。鍵もかけて、念のためにチェーンもかけておく。そして逃げるように自室へ向かったのだが。
「……へ?」
音が聞こえる。ドア越しだけど、私の部屋からポチポチと、カチカチと、ゲームのボタンを押す音。
「メ、メリム……!」
で、でも大丈夫。大丈夫だ。なんせ私にはメリムがいる。魔女だってバレるリスクはあるけれど、いざとなったら私が人間如きに負けるはずがない。誰かはわからないけど、やれるもんならやってみろ不審者。魔法で二度とまともな人生送れない体にしてやる。
メリムを部屋の中に置いて来た事に気がついたのは、それから二秒が経った頃だった。
くそっ、メリムめ。部屋の中に置き忘れられるだなんてお前は本当に役に立たないクソだな。こうなったらもう勇気を出して部屋に突入するしかないか……。ここはマンションだ。部屋に入って大声を出せばきっと誰かが駆けつけてくれる。警察だって呼んでくれるだろう。
頼むぞ警察、こちとら毎度毎度買い物の度に断腸の思いで消費税払ってるんだ。おのれ働く事も出来ない小中学生からも税金をむしりやがって。国民から搾取した税金で生きる国家の犬どもめ、こういう時くらい犬らしく身を呈して主人を守れよな……っ!
私は勇気を振り絞り、自室のドアを開けた。
「……」
そこには人っ子一人存在していなかった。乱雑に床に置き捨てられたコントローラー、付けっ放しのゲーム、机の上には六年生の教科書が積まれているし、机の側面にはランドセルだってかかっている。部屋を出る前と寸分違わぬ光景。
「気の……せい?」
私は胸を撫で下ろし、張りつめた糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちた。なんだよ、気のせいかよ。ビビらせやがって。私は気を取り直し、ゲームでも再開しようと床のコントローラーに手を伸ばし。
「……」
そして思い出した。自分は床にコントローラーを置いてなんかいないと。オンライン対戦に負けてむしゃくしゃして投げ捨てたじゃないかと。壊れないように、枕目掛けて投げ捨てたじゃないかと。
視界の中には誰もいない。当然だ。ここはサチの家の私の部屋。私以外の誰がいると言うんだ。だから大丈夫なんだ。例え振り返ったところで、そこに私以外の誰かがいるはずはないんだ。私は自身に暗示でもかけるようにそう言い聞かせ、そしてゆっくりと背後を振り向いた。
「……」
「……あっははっ」
いた。人いた。どうやら人は恐怖をも超越した未開の領域に到達した時、悲鳴ではなく笑い声が漏れるらしい。そりゃそうだ。恐怖というのは一種の生存本能。この敵には勝てないから逃げろと言う本能による指令。それは肉食動物に捕まる前だからこそ意味をなす感情であり、捕まってしまった後では無用の産物。肉食動物に捕まった草食動物は、せめて楽に死ねるようにと脳が恐怖を拒むようだ。まぁ、ようするに。私は振り向いた瞬間そいつに捕まったわけだ。転校生、佐藤タロウに。
私はタロウに押し倒されていた。タロウは私の両手首を凄まじい怪力を秘めた右手一つで鷲掴みにし、抵抗する術を奪っている。おまけに私の腹に馬乗りになっているわけだから、抵抗のしようが全くと言っていいほどない。
「へっ……、は、ははっ……、な、なんだよ転校生。お前、何でいんの……?」
抵抗を放棄し、怒りでも恐怖でもなく笑いしか浮かばないイかれた私の脳だけれど、それでもまだ疑問を持つだけの余裕はあったようだ。私は彼に問いかける。
「仲良くなりに来た」
あいも変わらず機械的な返答をするタロウ。仲良くなりに来た、か。意味はわからないが、こいつの目的はとりあえずわかった。しかし、それでも意味がわからない。百歩譲って仲良くなりたい相手の家に無断で入り込むのは良いとしよう。千歩譲ってその相手に馬乗りになりながら拘束するのも良いとしよう。……でも。
「そのハサミ、何?」
左手に携えた工作用ハサミの意味だけはマジでわからない。一万歩譲っても、一億歩譲っても、一兆歩譲っても、仲良くなりたい相手にハサミを向ける意味がまったくもって理解出来ない。
「お父さんが言っていた。『仲良くなる上で挨拶は基本中の基本。相手の目を見てしっかり挨拶をするように』。僕は今から君の目を見て挨拶をする」
「あい……さつ?」
「お父さんが言っていた。『消極的な子は視線を合わせられない子が多いから気をつけなさい』。君は今日、僕以外のクラスメイトと話をしていなかった。君は消極的な子だと僕は推測する」
「消極……的? 私が……?」
「僕は君の目を見て挨拶をしたい。でも君は消極的な子だから視線を合わせてはいけない。今から僕はこのジレンマを脱却する」
「脱却って……?」
「君から視力を奪えば、君の目を見ても視線を合わせた事にはならない」
「そ、そっかー……。は、はははっ……あははははは」
ハサミの意味、理解したくなったなぁ。タロウは左手を大きく振り上げた。そして私の両目幅と同じ間隔になるようハサミを開き、私の瞳目掛けて一直線に。振り下ろす寸前だった。
「お父さんが言っていた」
タロウの手が止まったのだ。タロウは私の両手首を離し、腰を上げて私の上からもどいてくれる。何故急に彼はこんな行動を取り出したのか。理由は一つしか思い浮かばない。
「『泣いている子がいたら慰めてあげなさい』」
私は泣いてしまったのだ。感動系の映画やドラマを見たときのような静かな泣き方ではなく、純粋な恐怖による泣き方。小学校低学年までが許される、辺りの視線を気にしない大号泣。
「よしよし。いい子いい子。何があったの?」
「てめえのせいだろ殺すぞクソガキがよぉ⁉︎」
私を抱きしめながら後頭部を撫でるタロウの鼻先目掛けて、私は渾身の頭突きをかましてやった。
「お前何でまだいんだよ。帰れよ」
洗面所へ行き涙でボロボロになった顔を洗って部屋に戻ると、そいつはとても行儀正しく正座をしたまま私の帰りを待っていた。ちくしょう、まだ涙声が微かに残ってる。恥ずかしいったらありゃしない。
「帰らない」
「いや帰れよ! お前の顔なんか見たくもないっての! こちとら泣き顔見られて死にたい気分なのに」
「お父さんが言っていた。『困っている子がいたら助けてあげなさい』。僕は今から君を殺す」
「言葉の綾だ馬鹿野郎! 人んちで何する気だ⁉︎」
「わかった。外で殺す」
「そこじゃねえよ!」
再び工作バサミを手に取り構えたタロウ目掛けてタオルを叩きつけてやった。私の顔を拭いた分、少し水分を吸っただけあって鞭のような鋭い音を叩き出すも、タロウは効いていないとでも言わんばかりに無表情だった。
「お前なんなんだよマジで……。ダイチと帰ったんじゃねえのかよ」
「帰った。ダイチくんと帰った後にここに来た」
「はぁ?」
「ダイチくんは帰りの会が終わってすぐに僕と帰りたがっていた。対して君は後で遊ぼうって僕に言った。だから先にダイチくんと帰って、君と遊びに来た。僕と遊ぼう。友達になろう」
「……」
友達。それは今の私にとって喉から手が出るほど欲しいものだ。けれど。
「ふざけんな! お前なんかと友達になるくらいならうんこ食うわ! わかったらとっとと出てけアホ太郎! とっとこアホ太郎がよぉ」
私は嘘偽りのない、この上ないど直球な言葉でタロウを拒絶した。こいつとの付き合いなんてほんの数分しかないけれど、その数分間で十分過ぎるほどこいつのサイコパスっぷりを実感した身だ。こいつに遠回しな表現は通用しない。きっぱり言わないとダメだとわかったから。
「わかった」
ようやく私の気持ちが伝わったようで、タロウは重い腰を上げてそそくさとこの家を出て行った。
一分後。
「採って来た」
うんちを片手に戻って来たけど。私は悲鳴をあげて距離を取る。
「おめえ何うんちなんか持って来てんだよぶっ殺すぞぉ⁉︎」
「君がうんちを食べるって言った」
「死ね馬鹿! ゴミカスうんち! 来んな、そんな汚いもん素手で掴んでんじゃねえよ!」
「箸で掴めばいいの?」
「よくねえよ⁉︎ おい待て、てめえなに台所向かってんだこのタコ!」
次に奴が取るであろう最悪の行動がいとも容易く予想出来たため、私はタロウを玄関の方へと何度も蹴り付けた。
「帰れ! 帰れ! 帰れ! 今すぐ帰れ! 誰がお前なんかと友達になるか! 二度と私に関わるなバーカ! ごみくずウジ虫!」
ついに私はタロウを玄関の外まで蹴りで追いやる事に成功し、叩きつけるように扉を閉ざしてやったのだった。
ふぅ、と。額に滲んだ冷や汗やら脂汗やらとにかく色々な思いの混ざった汗を拭き取り自室へ戻った。ついさっきまで生のうんちがあっただけに、まだ臭いが残っているかのような錯覚まで感じてしまった。もしかしたら錯覚じゃないのかもしれないけど……。
【いいのかよ。友達作れる絶好のチャンスだったのに】
タロウがいなくなった事で、ようやく魔書としてページに文字を浮かび上がらせたメリム。
「当たり前だ! 私の両目を突き刺そうとするやつと友達になるとか冗談じゃない。命あっての試験合格だっての。試験に合格した所で後一年あいつと同じクラスだぞ? 殺されるわ!」
【じゃあ試験諦めんの?】
「それは……」
少し考えた後、小さくため息をついた。いや、私の判断は間違ってなんかいない筈だ。あんなのが身近にいたら命がいくつあっても足りないよ。あいつ絶対サイコパスだって。今に見てろ、今月中にクラスメイトの半数は奴に殺されるはずだから。……待てよ?
「そうだ! あいつとダイチを仲良くさせようぜ。で、ダイチを殺してもらえば余ったダイチの友達、何人か私が貰えるんじゃね?」
【死ね馬鹿】
メリムをぶっ叩いた。
「じゃあどうすりゃいいんだよぉ⁉︎ そこら辺のガキ誘拐して友達にしてやろうか? あ? 今の私なら本気でやりかねねえからな? 冗談も休み休み言えよゴラ⁉︎」
私はベッドにダイブし、枕に顔を埋める。行き場のない鬱憤だけが募り募って、それらはやがて虚しさに変換される。
「……試験に落ちて強制送還になってもさ。頑張り次第では上位の魔女になれる事もあるんだよな?」
少しでも不安を和らげようと、そんなもう一つの可能性を口にしてみるが。
【可能性は限りなくゼロに近いみたいだけどな】
結局不安は和らぎはしない。
【諦めんの?】
「…………」
その時。スマホが鳴って、一通のメッセージが届いたことを私に知らせた。見てみるとサチからメッセージが来ている。まぁメッセージなんてサチからしか来ないんだけどさ。LINEを開くと、ケーキ屋の画像を添えた上で
『りいちゃん、今日ケーキが20%オフなんだって! 何食べたい?』
と、スタンプや絵文字でカラフルに装飾されたメッセージが届いていた。
「ケーキ! マジか⁉︎ イェー!」
不安はいとも容易く消し飛んだ。私は思わず跳び上がってしまったものの、すぐに我に帰る。サチもサチで油断のならない奴だよほんと。どんなに避けても何度拒んでも私との距離を詰めようとしてくるし。
『いえ、お構いなく』
まぁこんな事書いたって無駄なんだけどさ。
『遠慮しないで! 私も食べたいだけだから』『進級祝いに、年度試験の景気付け、あと最後の一年もよろしくお願いしますパーティもしたいし』『どうしてもいらないって言うなら勝手に全部買っちゃうよ?』
「……」
だからこそ胸が痛くなるってものだ。嫌いな人を避けるのは簡単だ。でも、どれだけ素っ気なく接しても私の事を好きでいてくれるサチの事は嫌いになれない。嫌いになれない相手を避ける事はあまりに難しい。
「……はぁ」
好きなケーキが食べられると言うのに、私の口から漏れたのは深いため息だった。
【試験落ちたって知ったらサチの奴は死ぬほど悲しむだろうな】
「……」
【死ぬ程泣くだろうな】
「……」
【マジで諦めんの?】
「……あーーーーもう! わかったよ! 友達になればいいんだろ⁉︎」
枕を投げ捨て、気合いを入れるべく両手で頬を叩く。
いいよ、わかったよ、やってやるよ。五年間一人で頑張り続けて来たんだ、ここで諦めてたまるもんか。
「クソ野郎め。こんな試験作った魔女もタロウもみんなみんなクソ野郎だ。クソ野郎なんかにはぜってえ負けねえからな……!」
ちなみにサチにLINEの返信するのは忘れた。サチは宣言通り全部のケーキを買ってきた。
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