第40話

「おやおや、随分荒れているな」

 不意に声がかけられ、エリザベトは飛び上がりかけた。

 彼女がいる王の間は、王と伴侶しか入れないのだ。

 王子達さえも足を入れることを禁じられている、完全なるプライベート空間。

 なのに誰かがいつの間にか侵入していた。

 無礼者っ!

 反射的にエリザベトは男を睨みつけていた。

 ばしり、と彼女の頬が打たれる。

「いつのまにお前が私にそんな顔を向けて良くなったのだ?」

「クレイヴお兄様」

 エリザベトは頬の赤い手の跡よりも赤くなる。

 自然と尖った目が酔ったようにとろりと溶けた。

 クレイヴはエリザベトの従兄弟だ。

 さらに彼女の最初の男……エリザベトはクレイヴの腕の中で愛撫を受けながら少女時代を過ごした。

 クレイヴ・ラストールは自分の意に従わないと女でも平気で殴る男だ。

 なのに社交界では圧倒的な人気を誇る。

 王家の一族となったからだけではない、貴族らしい優雅さの中からちらちら覗く獣の粗野さが婦人達の心を捕らえて離さない。

「陛下は?」

「お疲れのようです」 

「そうか」

 短く答え、クレイヴは猫科の猛獣の足取りで当然のように王の椅子に座る。

 とんでもない不敬だ。

 本来ならボーダー家ではないが、反逆を疑われ処断されるだろう。

 なのにエリザベトは子供を窘めるように微笑む。

「まあ、クレイヴお兄様たら」

「ふん、流石に王の椅子、良い座り心地だ」

 ぎしぎしと揺れて椅子の感触を確かめるクレイヴに、エリザベトは笑う。

「木材は北のエルス王国、布は東のキタン、宝石はそれこそ大陸中から集めた物ですわ」

「そうか……」

 一瞬で興味を失ったのか、クレイヴはエリザベトと同じ炎を思わせる色の髪を撫でる。

「それで、お前の陛下のお加減はどうなのだ?」

 これはデキウス二世の体調を慮った発言ではない。

 エリザベトの頬が小娘のように染まる。

「……あまり、良くないご様子で……」

「ならば、お前を今夜も閨の無聊を慰めてやろう」

 エリザベトの顔に光が射す。

 二人のこの淫靡なる密会は今に始まったことではない。

 もとよりエリザベトは昔からクレイヴの女だ。

 彼女の夫はエリザベトに興味がない。それはあれだけ貴婦人の間を蜜を求めて跳び回っていたデキウス二世が、妻のエリザベトと床を共にしたのは九年で十数回しかない現実で分かる。

 エリザベトに取っては屈辱と恥辱で憎しみさえ沸く。

 クレイヴはそれを見抜いて再びエリザベトに近づいたのだろう。

 エリザベトは構わない。

 自分を愛さない夫への復讐として、嬉々としてクレイヴに痴態を見せる。

 デキウス二世との結婚式の次の日には、クレイヴに体を開いていた。

 こうなればデキウス二世とエリザベトの息子と王子・九歳のガヘラスと、王女七歳のヘラヴィサは本当にデキウス二世の、王の子なのか。

 真相はもうエリザベトにも分からない。

 ただ二人とも髪の色は燃えさかる火の赤だ。

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