第32話
いつの間にかロープの魔法から逃れていたダークエルフのアグライアーが、短剣を持ったまま硬直した橙夜を蹴り、彼がよろめいた隙にもはやぐったりした亮平を抱えて、扉か飛び出した。
全てがまるで幻のような早さだった。
唖然と彼女達が出て行った扉を見つめる橙夜だが、ジュリエッタが激しく肩を叩く。
「ぼけっとしてない! 屋敷が大騒ぎになるわ」
「大丈夫さ」ルセフはが親指を立てる。
「あんた等のやりたいことは分かる。オレも罪のない人を殺すのは嫌だった。だからオレ達が誤魔化すさ、全てリョウヘイの仕業だって」
無表情ではなくなったアーレントも硬めの微笑をして、ルセフと上階へと駆け出した。
「なら、続けるわ」ジュリエッタはレイピアを抜いた。
「ひいっ」と傍観しているだけだったバロードが鉄鍋まで下がる。
「わ、私に何をするつもりだ? 私は錬金術師バロード、この国の王族にさえ認められた者だ! ぶ、無礼だぞ」
「あんたは、効きもしない水銀やら瀉血やらで沢山の人を苦しめた。その罪は大きいわ」
「これを見ろ! これはこの国、エルドリア王国の王妃たるエリザベト様からの許可証だ!」
バロードは革の前掛けの下から羊皮紙を取り出し、ジュリエッタの前で広げた。
「エリザベトですって!」ジュリエッタは驚きにか動きを止めた。
「そうだ! これはエリザベト様に認められた医学、それに逆らうと言うことは国家に反逆すると同じだ」
が、ジュリエッタは冷ややかに笑った。
「それを聞いたらやっぱりあんたを許せなくなったわ……我がボーダー家の仇、エリザベト」
「な、ボーダー?」
「ところでぇ、気になっていたんだけどぉ、その鉄鍋ぇ。中は水銀?」
アイオーンが鼻の眼鏡を直しながら突如バロードに訊ねた。
「そ、そうだ! これこそ万能の液体。神の医療薬。英雄的治療!」
「違うわ! 水銀は……」
「スミカちゃん」とアイオーンがにこやかに澄香を止める。
「水銀はぁ……辰砂を熱することで精製される、不思議なんだけど、何故あなたはそんなに重装備なの? 万能の薬でしょ?」
アイオーンが突如凛とした姿になる。鼻の眼鏡も取った。
橙夜も言われて異様に思えた。確かにバロードは皮のマスク、皮の前掛け、皮の手袋と妙に重装備だし、竈の火に掛けている鉄鍋にも蓋がしっかりと閉められている。
「あなた知っていたでしょ? 水銀が毒だって」
アイオーンの目が鋭くなる。
「う、これは……私は……王家から……病の……者を……」
バロードが狼狽してごにょごにょ抗弁している。
「なら飲んでみろ」橙夜は戸棚にある水銀が入った瓶を手に取る。
「薬なら飲んでみろ」
バロードにそれを近づけるが、彼は忌まわしいかのように顔を背けた。
「……騙されるバカが悪いのだ! 私は……王家から」
「なんですって!」ジュリエッタの声が怒りに跳ね。彼女はレイピアで今にも襲いかかりそうだ。
橙夜はその前に亮平の残したロングソードを拾うと、まだ言い訳をするバロードへと近づいた。
「トウヤ! それはあたしが……」
「いいんだジュリエッタ、そこにいてくれ」
足利橙夜の剣はバロードの胸部に向けられる。
「やめろ! 私を殺すと大変な事になるぞ! 貴様達は罪に問われ一族郎党処刑だ!」
「錬金術師バロード、お前は水銀が毒と知りながら病気に苦しむ人達に与えていた。さらに医療代として略奪までした。お前の人を人と見ない冷酷さと卑劣さに傷つき、命さえ奪われた民へのせめてもの償いを……受けろ」
橙夜の剣がバロードの胸に深々と埋め込まれる。
「がぁぁ!」鮮血をまき散らかしながら、バロードは前のめりに倒れた。
はあはあぜえぜえと引きつる肺に耐えながら、橙夜はつけ加える。
「あの世までお前が騙した人達に詫びに行くんだ!」
それは後に『エルドリアの解放王』と呼ばれる男が発した最初の命令となった。
「……トウヤ」ジュリエッタが肩をふるわせる彼を心配したのかそっと背中を抱く。
「大丈夫」橙夜はやせ我慢して笑って見せた。
「さあ、脱出しよう。ルセフ達にも限界がある」
「ええ」仲間達は彼の言葉に頷いた。
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