第9話

 ややこしくなっている人間関係故、自然と澄香がエヴリンに語りかける。

「森で食べ物を探しているんですか?」

「はい、バロード様への治療代のために少しでも足しにしようと……」

 エヴリンの横顔が悲しそうに見えたのは橙夜の目の錯覚だろうか。

「……お家に病気の人が?」

 澄香も言葉を選んでいる。

「母なんです……頻繁に頭痛で苦しんで」

 皆無言になった。エヴリンには悪いが、バロードの瀉血と水銀薬は何の効果もない。それどころか患者を死に至らしめる。

 どうやって納得させるの?

 澄香が目で訴えてくるが橙夜にも分からない。再びポロットの薬を使えば……とも思うが、実際の患者を診断しないと、彼も何も出来ないだろう。

「ここです」沈黙を破り、突然エヴリンが止まる。

「え? どこ」橙夜は間抜けに聞き返す。

 まだ森の出口は見えていない。周囲は木と草と藪だ。

「この藪の中を通るんです……ここも、御料林ですから普通の出入り口には御料林官が見張っています」

 エヴリンは魅力的なウインクをする。

「藪の中に道があるんですよ、村の秘密です」

 だがジュリエッタが目に見えて動揺していた。少し前まで橙夜の背に恨み言をぶつけていた彼女だが、分かりやすくあわあわとなる。

「で、でも……その……虫とか……蛇とか……いない? クモもダメ」

 橙夜は頭を抱える、彼女がこれで冒険者だとは信じられない。

「大丈夫ですよ」エヴリンはにっこりと笑う。

「私が最初に行きます、きっとみんな逃げてしまいますよ」

 言い終わると躊躇無く藪に入り込む。

 ため息を一つ吐いて橙夜も続いた。背後からジュリエッタの「あわわ」が聞こえたが幸運を祈るだけだ、

 藪は彼等の身長以上あり、確かにここが裏道なら御料林官とやらの目も届かないだろう。

 思ったよりすぐ抜けた。

 舗装はしてないが、整地はしてある道に一行は出る。

 ジュリエッタには幸運なことに虫やらは出なかったようだ。まだ彼女はかたかた小さく震えているが。

「村はこの先です」

 エヴリンが手を差し出すと、突然近くの繁みから男が現れた。

 手に長剣・ロングソードを持っている。

「お前だな! このゲス野郎!」

「えっ」となってる橙夜に男……まだ橙夜と同年配くらいの少年はロングソードを振り下ろす。

 がきん、と反射的にショートソードを抜いて受け止めたのは、ジュリエッタとの修行の成果だろう。

「な、何だ?」

「テオ! 違うのよっ!」

 狼狽する橙夜と止めようとするエヴリンを無視して、テオとやらは剣を振るう。

 ただ、彼は強くなかった。

 ロングソードとショートソードではリーチの差があるが、その分重さが違う。

 テオは完全にロングソードの重さに引っ張られ、上手く扱えないでいた。

 となると困るのは橙夜だ。

 テオの攻撃を受けつつ考えなければならない。誤解のようだから、彼を傷つけず勝利する。

 横目で確認するとジュリエッタは腕を組んで見ている。彼女はテオの腕を素早く見抜き、橙夜を試しているようだ。

 ロングーソードの一撃を背後に反れてやり過ごし、跳ね起きて間合いから遠ざかる。

 ……よし!

 橙夜は決心した。折良くテオが剣にふらつきながらも真正面から斬りつけようと剣を大振りした。

 その瞬間、橙夜はショートソードを半回転させ、刃ではなく血溝の掘られた表面でテオの頭をぶった叩いた。

「ぐう」との呻きを残し、テオは仰向けに倒れる。

「テオ!」エヴリンが慌てて彼に近寄るが、たんこぶくらいの傷しかないだろう。

「まあまあね」ジュリエッタは唇を綻ばせて、橙夜を褒める。

「ありがとう、いたっ」彼はいつの間にか肘をすりむいていた。戦いはいつどんな傷を受けるか分からない。

「治癒しましょうか」と澄香が進み出るが、ジュリエッタは彼の腕を調べて首を振る。

「この程度に奇跡は必要ないわ」そしてぺろっと傷をなめた。橙夜の背筋に電気が走る。

「あらぁ、ジュリちゃん大胆」アイオーンが嬉しそうにはやし立てるが、ポロットは眉をひそめた。

「それはダメポロ。汚いポロ」

「ちょっと、何? あたしの唾は汚い? ちゃんとミントの歯は噛んでいるわよ!」

「あたたた」とジュリエッタとポロットが言い合っている間に、打たれた頭を押さえているテオに、エヴリンが非難を混ぜた説明をした。

「バカ! 大勘違いして。この人達は偶然森の中であった人。バロード様の治療を受けに来た人達よ」

「え!」テオが目を大きくする。

 彼はがばっと起き、そのまま半泣きで頭を下げた。

「申し訳ありません! 完全に俺の間違いでした迷惑を掛けて、何て謝っていいか」

「本当よ、いきなり斬りかかるなんて、トウヤやあたしじゃなかったら大変なことになっていたわ」

 論争の末ポロットをぶん殴って黙らせたジュリエッタが厳しく責める。

「済みません」

 肩を落とすテオに橙夜は何故か好感が持てた。彼の人懐っこそうな小さな目と下がり気味の眉が悪人には見えない。

「まあまあジュリエッタ。怪我人は出なかったんだし、それに彼は最初から僕を狙っていたようだから」

「そうなんです! その人がどこかあいつに似ていて」

「テオ!」エヴリンが顔を真っ赤にして咎めた。

「いや、その、あの」テオは下を向き、己の失態を恥じている。

「ほら、だからもういいだろ?」

 橙夜はテオの肩を叩く。

「彼も反省しているし」

「ま、襲われた当人がそう言うならね」

 ジュリエッタが肩をすくめ。場がようやく収まる。

 エヴリンは丁寧に謝罪すると、リリルの村への案内を再開した。

「アイオーン、ちょっと」橙夜は出番の全くないエルフに囁く。

「なぁに?」

「気になることがあるんだ、少しエヴリンと話して気を逸らして」

「はぁぃ」

 アイオーンは早足で彼女に近づくと、「最近のぉ男の子はぁ……」と少し寒気を覚える話題でエヴリンと盛り上がる。

 橙夜は頭を垂れ最後尾についているテオに囁いた。

「どうして僕を襲ったんだい? バロードに関係あること?」

 テオの目に光と怒りが蘇り、きっと頭を上げる。

「ああ、高名な錬金術師か医者か何か知らないが、あいつは、バロードは最低だ!」

 テオの声が怒りにうねり、橙夜は頷いた。

 彼にも分かった。先程の攻撃には明らかに殺気と憎しみがあった。テオは本気で橙夜を殺そうとしていた。

「何があったの?」

 ジュリエッタも先頭のエヴリンを慮って声を潜める。

「それが……」テオはしばらく震えた。怒りにだろう。

「バロードの奴はそもそも医療に貧乏人からも多額の金を要求する。だけど今回はそれだけじゃないんだ」

 テオはあまりに激しい感情故にか、口調は逆に平坦になっていた。

「……エヴリンを、あいつ等はエヴリンを抱かせろって言い出したんだ!」

「え!」黙って耳を傾けていた澄香が息を飲む。

「バロードじゃなく、その使いの連中だけど、エヴリンが気に入ったらしく、金がないなら彼女を一晩自由にさせろって、そうすればバロードを紹介するって言い出した」

「…………」あまりのことに橙夜は言葉を失う。

 テオの表情が歪む。

「俺とエヴリンは将来を誓い合った仲だ。でも彼女は母親の病気を治したい」

「そうか……」橙夜は喉の詰まる感覚と共に納得した。

 エヴリンがどうして御料林で一人食べ物を探していたか、テオがどうして憎悪で慣れない剣を持ち出したか、全てが繋がる。

「バロードってそんな奴なのか……」

 橙夜は呟いていた。

「酷いね、それは酷すぎるよ」澄香を眉間に深い皺を刻んでいる。

「元々、この世界に来て私が最初に思ったことだけど、この世界は弱者を蔑ろにしすぎるよ」

 物静かな澄香だが、その分腹にため込んだ憤りは大きいのだろう。

「人の弱みにつけ込んでお金や、その人の大切な物を要求する。卑怯すぎるよ」

 澄香は感情のまま、続けた。

「そりゃあ、神様に見捨てられる訳だわ」

「言い過ぎよ、スミカ」ジュリエッタが咎めた。

「あなた方異世界から来た人達には異常に見えるけど、このアースノアは大概そんな感じなの。でも殆どの人は真面目で優しい人達だからそんな事は言わないであげて」

 澄香の頬が真っ赤になる。

「ごめんなさい、言い過ぎました」

「ううん」とジュリエッタは白い歯を見せた。

「あなたの怒りはもっとも、だからバロード一味は何とかしないとね」

 会話している内に、建物群が見えてくる。

 リリルの村だ。

「タロ、お前は外で待っていろ」 

 タロはただの犬ではない。シャドードッグと呼ばれる魔犬だ。村の人で知っている者がいたら大混乱になる。だから橙夜は命じた。

 ジュリエッタの妹とは違い、大人しくタロは村の木の柵の影に座る。

「皆さんどうぞ」エヴリンが笑顔で振り向く。

「ここがリリルの村、私とテオが育った村です」

「へー」ポロットが物珍しそうに見回す。ハーフリングはあまり人間の生活を知らないようだ。

 リリルの村……橙夜はこの世界に来て初めて『村』に来たが、感想はとても口に出来なかった。

 村の大半を占める畑には大麦が実り、収穫を待っている。村の所々にある家は、木製の建物にわら葺き屋根で村の中には道があるようだが、それ以外は雑草が生えている。それだけはまあまあ立派な石造りの教会が建っているが、とてもこの村に住みたいとは思えなかった。 

 一つには臭いだ。この世界はどこもそうなのだが、胸が悪くなるような……はっきりと表現してしまうなら、家畜やらの糞尿の臭いが鼻を突き刺した。

 豚や鶏が鳴き、水車が回り、鍛冶屋が鉄を打つ音にも慣れそうにない。

 澄香は表情を変えないが、それは彼女が慣れた訳ではなく、礼儀を心得ているからだろう。

「こないだも思ったんだけど、随分無防備よね」

 ジュリエッタが目をつけたのは違うところだ。確かに高い市壁のあったセルナルの街に比べると、この村は何も防備をしていないに等しい。

 あるのは人の腰くらいまでしかない木の柵ぐらいだ。

「ああ、この辺には魔物や混沌の勢力はほとんどやって来ませんので」

 テオが答える。

「時々はぐれゴブリンが出ますが、それは何とでもなるから」

 彼は自慢のロングソードの柄を触った。

 彼等の来訪を目にした村人達がちらほらやって来る。さすがに目に警戒心を光らせているが、それ程敵意はないようだ。

 ただエルフのアイオーンとハーフリングのポロットへの視線は厳しい。

「テオ、エヴリン、この人達は何だね?」

 白い髭の老人の問いに、エヴリンは厳かに答える。

「村長、この方達はバロード様がいらっしゃるのを聞きつけていらした方達です」

「そうか」と村長は鷹揚に頷く。

「どうやらあんた方も困っているようだから今回は許すが、本来はよそ者を村には入れんのだぞ」

「ありがとうポロ」

 苛ついた風のジュリエッタが余計な問題を起こす前に、ポロットがお礼を言ってくれた。 それで解放され、橙夜の一行はしばしのんびりと村の見学をする。

 村はずれに共同トイレの小屋があるが、正体を知っている澄香はむっつりするだけだ。「ところで、あなた方は冒険者なのか?」

 彼等に着いてきているテオが訊ねる。

「…………」橙夜は困った。異世界人なんて答えても信じないだろう。

「そうよ」代わりにジュリエッタがどうしてか胸を張る。

「私達は冒険者。ほらこれがギルドの記章」

 ジュリエッタは革鎧の懐から布のような何かを出しテオに見せた。

「そうかー」と彼の瞳が空に向かう。何かを考えているようだ。

「……ならさ、俺に剣を教えてくれないか? あんた戦士だろ?」

「あんまりお勧めできないわね」ジュリエッタは物憂げだ。

「君ぃ、冒険者ぁ、知っているぅ?」

 テオはそう言うアイオーンに向き直る。

「言いたいことは分かるよ、分かるつもりだ。冒険者は底辺の職だ」

「本当に分かっている?」ジュリエッタは真っ直ぐ彼を見つめる。

「いい、冒険者なんてごろつきと同じよ……違うわね、ごろつきがしょうがなく冒険者をやっているの。甘い一攫千金なんてまずないわ、あるのはゴブリンやオークとの命がけの戦い。それ以上の魔物は人間では辛いからね、それで命がけで働いても大した実入りにはならない。少なくとも命を賭けるだけの冒険なんて無いわ。あなたはこの村で育ったんなら鍛冶屋かパン屋の徒弟になればいいのよ」

 テオは不服そうだ。

「でも、強ければ大事な人も守れるだろ」

 橙夜は彼の本心が分かった。彼はエヴリンを守りたいのだ。

「じゃあさ、冒険者にならずに強くなったら?」

「え?」テオが怪訝な顔で橙夜に振り向く。

「このジュリエッタはこう見えて剣の扱いは大したものなんだ。僕も習っている、だから少し教えて貰えばいい」

「ちょっと!」ジュリエッタは狼狽する。

「いきなり何? あたしに剣を教えろって? 勝手に決めないでよ、それでなくともあんた一人で手一杯なんだから」

「頼むよ」橙夜はもう彼女を知っていた。

「強いジュリエッタなら、テオがエヴリンを守れるくらいに出来ると思うんだ。もしこの村が襲われたときの戦力になるし。こういうのはやっぱりジュリエッタじゃないと」

「そ、そうかしら」彼女は頬に手を当てる。

「お願いします。俺は強くなりたい」

 テオの後頭部を見たジュリエッタは決断してくれた。

「分かったわ! でも言っておくけど時間がかかるからね! 剣なんて一朝一夕でモノにはならないんだから」

「ありがとう」テオの瞳が輝く。

「僕からもありがとう、ジュリエッタ」

「か、勘違いしないでねトウヤ! あなたの為じゃないんだからね!」

 橙夜は名ツンデレにほっこりする。

 と、エヴリンが何やら手を振っていた。

「何かしらぁ」アイオーンが首を傾げるが、とにかく一行は足を向けた。

「皆さん、折角いらしたんですから私の家に寄って下さい……何もないですけど」

 エヴリンの誘いに、橙夜達は乗った。一つにはバロードの来訪について詳しく知りたかったからだ。

 彼女の家は、ほぼ木で出来ていて奥にベッドがあるのだろう天蓋。真ん中にテーブルと椅子、片側に暖炉と何もないに等しい標準的な村の家屋だ。

「はい、どうぞ」と剥かれた果物が出てきて、皆驚いた。

 彼女が森で密かに集めていた果物なのだ。御料林官の目を逃れ、バロードへの治療代にすると言っていた。

「これ、いいの?」

 エヴリンはジュリエッタに問いににっこりとする。

「いいんです、どうせこの程度ではどうしようもありませんし、だから遠慮なさらずどうぞ」

 明るく勧められたが橙夜は手が出ない。何せエヴリンの貞操がかかっている。

「ところででボロ、病気のお母さんはどこポロ」

「寝ています」彼女の視線が天蓋へと向かう。

「ちょっと失礼ポロ」

 ポロットは何の躊躇もなく天蓋の中に入る。あまりの自然さに誰も止められなかった。「な、なんですか、あなた?」

 エヴリンの母親らしい声が上がった。

「頭痛、と聞いたポロが、他に何かないポロ?」

「ちょっと時間を頂戴」

 慌てて腰を上げるエヴリンの腕をジュリエッタが掴む。

「うちのハーフリングもちょっとしたモノなのよ、少し診させて」

「ほんほん成る程ポロ」ポロットはエヴリンの母親から症状を聞き出したようだ。

「分かったポロ。あなたの頭痛は寝不足と疲労から来るポロ。ノカンゾウとヤマグワから作った薬を出すポロ」

 しかし、エヴリンの母親はお気に召さなかったようだ。

「エヴリン、この人は何?」

 と疲れた顔の女性が天蓋から顔を出す。

「私のお客様です……あの、有り難いんですけど薬草なんて効きませんから、母さんはバロード様にお願いしようと思ってますし」

「あんなのインチキポロ! むしろ体調は悪くなるポロ」

 ポロットは言ってしまった。一気にエヴリン家の雰囲気は悪くなる。

「何て事を言うんですか! バロード様の医学は正式に学者様や王様も認めているのです」「聞いてエヴリン。あたしも最初そう思った。何せ修道院の薬草療法は効かない事で有名だから、でもこのハーフリングは違うのよ、私の妹も……」

「帰って下さい!」エヴリンはジュリエッタを遮った。

「私はお母さんを治したいのに、そんなインチキを勧めるのなら私の家から出て行って!」

「インチキ……ポロ」ポロットは傷ついたように俯いた。

「でも、瀉血と水銀薬は毒なんです」澄香が口を開くと同時に、テオが扉を開けた。

「やって来たぞ! バロードの手下共が」

 結局、ポロットの薬をエヴリンの母は拒否した。

 橙夜達が外に出ると、数人の兵士風の男と、白いローブの全体的に小作りの顔の可愛らしい少女、筋骨隆々で赤銅色の肌の背の高い女と……そして見知った者がいた。

 川中亮平の姿があったのだ。

 

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