第7話

 マーゴットは日に日に良くなっていった。

 ポロットの薬も、解熱剤から強壮剤だけになる。彼女自身も液化した食べ物から固形の物を欲しがった。

「なんだか久しぶり、こんなに体が気持ちいいのは」

 マーゴットの顔色は改善された。まだ少し青みがかっているが、最初の頃とは比べ物にならない程輝いている。

 しかし、そうなれば問題が持ち上がる。

「マーゴットを森の小屋に? どうして?」

 橙夜は眉をひそめて聞き返した。どう考えても病人の彼女には街の中のこの家の方がいい。

 ジュリエッタは渋い顔をしている。

「仕方ないの。決められたことだから……」

 珍しく、彼女の声に力はなかった。

「大丈夫よ、お姉ちゃん」歩いて動けるようになったマーゴットは事も無げに答える。

「もう私元気だよ? 頭痛も吐き気も無くなったし、むしろ外に出たい気分」

「…………」マイヤは何も言わない。ただ痛ましそうに見つめているだけだ。

「でも、やっぱりここにいた方が……」澄香は橙夜と同意見らしく、控えめに提案する。

「ダメなのよ……むしろ、今までが特別だったの。私達姉妹には」

「どうして? 何で?」

 橙夜には理解できない。だがどうやらジュリエッタの泣きそうな表情には意味があるのだろう。

 結局、マーゴットはジュリエッタの森の小屋に向かうこととなった。

 彼女らを縛る理由は深刻らしい。

 

 小屋への道中、橙夜達はマーゴットの体調に酷く気に掛けた。

 だが当人は久しぶりの外に興味津々で、リスのようにくるくると動き回っている。

 最後には「まだあまり無理してはダメポロ」とポロットに窘められた。

 数日ぶりの小屋に入った途端、橙夜は息が止まった。

 アイオーンに強く抱きしめられたのだ。

「使い魔でぇ、見てたしぃ、聞いてたよぉ。トウヤ君、ありがとうぅ君のお陰だわぁ」

「ち、違いますよ、アイオーン」

 橙夜は意外に強いエルフの腕力から抜け出すと、ポロット達を指す。

「ポロットが薬師だったのが良かった。彼がいなかったら瀉血とかは止められたかも知れないけれど、ここまでマーゴットちゃんを治せなかった」

「でもぉ、命を賭けてぇ無謀な医療を止めたんでしょお? すごいわぁ」

 タロも同意するように後ろ足で立ち、甘えてくる。

「あ! 犬だ!」

 タロに気付いたマーゴットが駆け寄り、橙夜が何かを言う前にしゃがんで背中を撫でた。 一瞬彼は緊張したが、タロは敵と見なさなかったようで、マーゴットの頬を舐める。

「きゃははは」とマーゴットの笑い声が弾け、皆の緊張は解けた。

「ちょっと」ジュリエッタが橙夜、澄香、ポロットに話しかけてきたのは、しばらくくつろいで疲れを癒やした時だった。

 ……何だろう。

 と橙夜達がジュリエッタの背中を追い外に出ると、彼女は振り向いて急に跪いた。

「え!」と驚く橙夜の前で、彼女は涙をぼろぼろ流した。

「本当に、本当にごめんなさい……あたし、とんでもない事をしたし言ったし、許して何て言いません」

 ジュリエッタはそのまま深々と頭を下げる。

 まるで土下座だ。

 慌てて澄香が彼女の頭を押さえた。

「ちょっと、ジュリエッタ止めて! 私達は怒っていないから」

「そうだポロ。ボクは何とも思っていないポロ。何せその前に助けて貰っているからね」 ポロットに頷き、橙夜もゆっくりとかがんでジュリエッタの肩に手を置く。

「君に罪はないよ、責めるべきは嘘医学だ。ポロットの言うとおり、僕等は皆君に助けられているんだ、せめてこれくらいしないと」

「いいえ」とジュリエッタは首を振ると、懐から指輪を取り出した。

 剣と鷹らしき猛禽の紋章が掘られている。

「それではボーダー家の当主であるジュリエッタ・ボーダーの気が晴れません。どうかあたしに恩返しをさせて下さい」

「ボーダー家?」

 オウム返しにするだけの橙夜に、背後から声がかかる。

「ボーダー家はぁ、少し前までぇここら一帯の領主だったあぁ、一族よぉ」

 振り向くといつの間にかアイオーンがいる。

「ごめんねぇ、ジュリちゃん、でも説明してあげないとぉ」

 アイオーンは橙夜等の疑問を解消してくれた。

 ボーダー家は十年前までこの森とセルナルの街を含む広大な領地を持つ領主だったそうだ。しかしジュリエッタとマーゴットの父が王家に反逆したとして処刑され、領地は奪われ、母や一番上の姉や兄たちも殺され、幼かった姉妹は命だけは助かったが、こんな半端な場所で生活するしかなくなったらしい。ジュリエッタ達の父は名君でありセルナルの街のマイヤを含め、ボーダー家に仕えていた使用人達はまだ彼女達への忠誠を捨てていない。

「お父様は、反逆何かしていない」ジュリエッタの涙が悔し涙に変わっている。

「でも、今はあなた達への償いが先」

「だからそれは」澄香が困ったように手を振るが、橙夜はジュリエッタの瞳の強さを見ながら口を開いた。

「じゃあ、僕達を手伝ってくれ、赤い髪のエルフ、エレクトラを探して僕達が元の世界に変えるのを手伝ってくれ……何年かかってもいいから」

「勿論! その願いボーダー家の名と血に掛け、必ず叶えます」

「あともう一つ」橙夜がつけ加えると、澄香が「橙夜君」と声を潜める。弱味を突いていると思ったのだろう。

 だが……。

「ポロットとリノットを一緒に住まわせて欲しい。彼等が嫌だというなら別だけど、マーゴットが心配だし」

 ジュリエッタの顔に赤みが戻った。

「え、いいポロ? 実は死の冬の前に何とか家を改造しようと考えていたポロ。でもここに住めるなら問題ないポロね」

 ジュリエッタはハーフリングのポロットに丁寧にもう一度頭を垂れる。

「ポロット殿、どうか我が妹の医師としてあの子の傍らにいて下さい」

「わぁ」ぱちぱちとアイオーンが手を叩く。

「これでぇ、あの小屋も賑やかになるわねぇ」

 橙夜はジュリエッタの手を取り彼女を立たせた。ようやく心から信用された、と感じながら。


「とおー!」

 ジュリエッタの剣が橙夜の鼻先をかすめる。思わず腰を引いた彼に、今度は横薙ぎの一撃が迫る。

「わあっ」ついに橙夜は無様に草むらに倒れる。

「立ちなさい!」レイピアの切っ先を橙夜の喉元に向け、ジュリエッタは命じた。

「こんな程度では全くダメよ」

 足利橙夜達とジュリエッタが本当の意味で仲間になった次の日から、過酷な剣の訓練が始まった。

 どうして? と問うと。

「勘違いしないでね、あんたの為じゃないわ。ただ赤い髪のエルフと出会った時に戦いになると思うから戦力にしたいの」ともうツンデレか何か分からない台詞が帰ってきた。

 それから一五日、毎日ジュリエッタと橙夜はこうして真剣同士で訓練している。

「お姉ちゃんつよーい」

 橙夜が荒い息を吐いていてると、傍らから拍手が起こりジュリエッタの眉尻が跳ね上がる。

「マーゴット、何しているの? 家に帰って寝てなさい」

 タロを連れて座って観戦していたマーゴットは頬を膨らませる。

「えー! だってポロットが少し体を動かせ、って言ってたもの」

 ポロットはあれからマーゴットと寝食を共にして、そもそもの彼女が病気がちである理由を見抜いた。

「マーゴットには体力がないポロ」だ。

 だからタロを護衛にして彼女は少しずつ散歩や体操を始めた。

 ポロットとリノットは意外にも狩りの名手であり、森で鳥やウサギ、食べられる茸や草花を採取して食事も、生きるためのから、旨さを味わう、まで改善させた。

 結果、マーゴットの健康状態は劇的に改善され、今では他の子供と変わらない明るい顔色を取り戻していた。何より肉料理がよかった、とポロットは解説する。

 この世界の大半の人々は貧しくて肉を食べられないが、ウサギやら鳥やらを簡単に捕まえられる二人のハーフリングと、そもそも家が森の中との立地が毎日の肉料理の贅沢になり、マーゴットの肉体に活力を与えていた。

 となると問題が生まれる。

 ジュリエッタはマーゴットを病人として家で寝かせておきたいのだろうが、マーゴットは外に出たがった。

 ……そうだろうなあ。 

 と橙夜も思う。

 何せこのテレビやインターネット等娯楽のない世界で家に居続けるのは苦痛だ。特に体に力が戻った一一歳の少女にとって昼尚暗い小屋は暇で暇でしょうがないのだろう。

「体を動かしたら汗を拭いて安静でしょ? 帰りなさい」

 ジュリエッタが語気を強めると、

「やだよー」とマーゴットは舌をひらひらさせた。

「……むう」ジュリエッタの顔が怖くなっている。

 どうもここら辺ジュリエッタは勘違いをしていたようだ。マーゴットはほとんど物心ついた頃から体が弱かった。つまりその頃から栄養状況が良くなかったのだが、それによってジュリエッタは妹がか弱く大人しい乙女だと思いこんでいたようだ。

 だがこうして元気になると、とんだ跳ねっ返りだった。

「私達はこれからまだ剣の稽古があるの、あんたは邪魔なの」

「どうしてー? 見ているだけだよー。それともなにー私お邪魔? トーヤと二人きりになりたいのー?」

 ここでジュリエッタの目つきが変わったから、素早く橙夜が入る。

「お昼ご飯何かな? マーゴット見てきて」

「お昼?」マーゴットの目がびかっと輝く。

「行ってくる! タロいこ」

「わん」とタロが駆け出すマーゴットに着いていく。

「全く」ぶつぶつジュリエッタが零す。

「手がつけられないわ、前は静かで大人しかったのに」

 ……それは体調が悪かったからだよ。

 とは指摘できない橙夜は、「困ったもんだねー」と適当に相づちを打つ。

「さて、剣の訓練よ」

 橙夜はげんなりする。恐らくジュリエッタは一連の出来事故に少し心が荒れただろう。

 ……また生傷が出来るのか。

 実際、切り傷だらけになりながら訓練を終えた橙夜と無傷のジュリエッタは、違う場所で精神集中の訓練をしていたアイオーンと澄香と落ち合った。

 どうやらプリーストの奇跡とやらは魔法の部類に入る……どう考えても魔法だとは口に出来ない……ようで、ウィザードであるアイオーンの練習と重なるところがあるのだ。

 ただ古代魔法帝国の崩壊から魔道は禁忌であり、それを使う者は異端として国によっては命を狙われる。その点についても魔道の知識を残すエルフと人間の禍根となっているらしい。

「澄香ちゃんどうだった」橙夜はいつからか「蒲生さん」ではなく「澄香ちゃん」と呼ぶようになった。澄香ははにかむと、「順調、辺りを光で照らせるようになった」と答えて、手で触って橙夜の傷を調べる。

「大丈夫だよ、ジュリエッタは剣の腕だけは一流だから、深い傷はないよ」

 背後で言葉が地を這った。

「……剣の腕だけは? 他は違うってこと?」

 小屋に返るまで、橙夜はジュリエッタへのお世辞に苦心した。

 

「お帰りポロ」「お帰りリノ」

 扉を開けた瞬間、ポロットとリノットの溌剌とした挨拶と同時に、胃を刺激する匂いを嗅いだ。

「お昼はウサギのスープだって!」

 すでにテーブルに着いているマーゴットが、スプーンを手に満面の笑みを浮かべている。「ちょっとマーゴット!」

 ジュリエッタが叱る。

「お行儀が悪いでしょ? せめてスプーンは置きなさい」

「全く煩いんだから、お姉ちゃんは……きっとお嫁に行けないね」

「なんですってー!」

 姉妹がまたやり合い出す中、アイオーンはため息を吐く。

「ウサギかぁー」

 エルフは肉を食べないのだ。

「安心するリノ」リノットが振り返る。

「ちゃんと野菜スープもあるリノ」

「わぁ、使える二人ぃ」

 アイオーンの嬉々とした感想に完全に同感だ。

 マーゴットの医師として小屋に住むことになったハーフリング兄妹は、実に器用だった。 前にも述べたが各種食材の収集に色んな料理の知識もあり、今では欠かせない存在となっている。

 薬師としての腕も確かで、何かにあたり現代日本人たる橙夜と澄香が嘔吐と下痢で大変になったときも、薬草と適切な処理で一晩で完治させた。

 ただそれについて澄香は思うところがあったらしい。

 何せ男子である橙夜の前で嘔吐と下痢だ。変な表現だが、少し諦めちゃったみたいだ。

 深夜の用足しには無理に外に行かなくなり、木桶でするようになったのはそれからだ。

 当然、橙夜とポロットの視界から完全に消えてからだが。

 大都市であるセルナルで共同トイレに行ったのも心境の変化に関与しているだろう。そこは現代日本のトイレとは衛生状況も含め何もかも違っていた。ただ壺の上に穴の開いた板があり、そこに上ってする。拭くものは便利道具干し草。正直、年頃の美少女のジュリエッタや美貌の妖精・アイオーンも時々ある種の臭いを纏っている。乙女である澄香も折れたのだろう。

「出来たポロ」とテーブルに大鍋が置かれる。

 贅沢にもウサギが丸々二羽入ったスープだ。

「わあ!」とマーゴットが身を乗り出し、その不作法さにジュリエッタが舌打ちする。

 ……舌打ちも作法としてどうかな? 

 ジュリエッタにはとても聞けない。


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