73 扇で距離を取る方法の指南

「それは貴女、たぶん普通の殿方が近寄ってくるのが生理的に嫌なんじゃない?」


 無事帰還した寮で、さっそくヘリテージュに尋ねると、彼女はばっさりとこう言った。


「そう見える?」

「適切な距離ってのがあるんだけどね。一応婚約者同士ってのは。まあだから、貴女ともかく伯爵令嬢なんだから、適切な距離と言い張れば大丈夫よ」

「何か最近その距離感を縮めようとしてきて困っているの」

「そういう時に」


 ヘリテージュは扇を出した。


「これを上手く使うのよ」


 彼女はまたこの扇を実に自在に扱う。

 手首の動きもしなやかだ。


「それで遮られたら、向こうは手出しはしてこないわね。下手にそれ以上のことをして来ようとしたら、向こうのご両親にさりげなく、本当にさりげなーく、それはマナーがなっていない、ということを示せばいいわ。デルデス伯爵夫妻なら、その辺りは大丈夫。血筋の良い方々が少し帝都から離れた場所でのんびり暮らしていることで、貴族の昔ながらの良いところを残してらっしゃるの。だから余計に息子が下手なことをすれば」


 くすくす、とヘリテージュは笑う。


「でも私は、クライドさんにはアンジーに捕まって欲しいのだけど」

「向こうで相変わらず、垣根越しに第四の男子生徒と軽口叩いている様ね」


 相変わらずその辺りの情報は速い。


「せっかくだから、貴女の妹にはしっかり働いてもらわなくてはね」


 そう言うヘリテージュの視線は真剣なものになり――卒業するまでに、私は彼女に上手く相手を誘導する方法を学んだ。

 彼女も婚約者との結婚が近いということで、今のうちに何としても! とばかりに私に自分の知識を叩き込もうとしていた。

 全くもって友達とはありがたい。



 そして久しぶりにヒドゥンさんへの手紙に、私は日常報告以外の内容を少し多く付け加えた。

 手紙だけの関係というのは案外普段の仲間にすら話せないことも伝えられる。

 無論相手がそれを誰かしらに見せない、という保証は無いのだが。

 それでも向こうからの手紙の様子から、私は彼がこの個人的な気持ちのもやもやを別の視点で判断してくれる様な気がしていた。

 その程度の信頼関係はあると確信していた。


「要するに私は怖いのです」


 一年で距離を縮めてこようとする「婚約者」。

 ヘリテージュが言った「生理的な恐怖」。

 ヒドゥンさんなら理解してくれる様な気がしていた。

 彼には私の家での立ち位置だの、アンジーの起こした騒ぎだの、父のことだの、結構伝えていた。

 向こうは向こうで実家でどう扱われていたか、家庭教師だけではなかったのだと、あの女より女に化けることができる彼はちょいちょい記してきた。

 ある程度のところで成長が止まってしまった彼に対し、両親は「生まれてこなければ良かった」等の罵詈雑言を浴びせてきただの。

 家庭教師が男女問わず、あまりに彼を性的な目で見ることが多かったので、第五に入る前に家を出て基礎教育の学校の寮に入っていただの。

 そこでも上級生に目をつけられたので、小回りの利くのを生かして護身術を覚えただの。

 身体は別に大したことじゃない、とか。

 気持ちの入っていない相手の物になんて死んでもならない、とか。

 ……結構並べてみると過激なことを彼は私に書き記していた。

 言葉は相変わらず宙に浮く程軽かったけど、その裏が透けてみえた時、私は同類が居たな、という気になったものだった。

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