第6話 自由人と少女、そして──

 スラムの世界は弱肉強食。

 強者が支配し、弱者は利用される。それがスラムの絶対のルール。

 大人でも弱ければ利用され、使いつぶされ、死んでいく。

 そして、それは子供も同じ。むしろ、大人よりも非力な分、殆どの子供がそのような運命をたどる。


 ──だからこそ、彼女は特別だった。


 類い稀なる身体能力に戦闘技術。そして魔法技術。どれをとっても同年代の子どもは言わずもがな、大人すらも遥かに凌駕するほどの力量を持っていた。

 だからこそ、彼女はスラムにおいて負けなしで、誰からも恐れられた。

 あの日、ある少女に出会うまでは。


「初めまして、お嬢さん。少し、いいかな?」


 彼女の目の前に、狂気を満遍なく含んだ笑みを浮かべた少女がいる。


 それが、彼女たちの出会いだった。



「……動かないで」


 一瞬にしてボクの背後を取った彼女は、一切の感情を含まない顔で問うてくる。

 ただ、それでもこちらに対して一切警戒を解かない。それどころか指一本でも動かそうものなら、一瞬で命を刈り取る、そんな意志を感じる。


 ……まさか話しかけたと同時に一瞬で背後を取られるなんて思わなかったな。しかも今の動き、

 ここまで危機的な状況……この世界に来てから初めてだなぁ。


「……すごく速いね。魔法が発動する感じはしなかったんだけど」


「……それは、魔法を使ってないからね」


 マジかよ、まさかの素の身体能力ですか。

 しかも口ぶりからして魔法が使える……つまりまだ上があるってこと。

 これは、しんどいってレベルじゃないなぁ。


「それにしても、初対面の相手にいきなりナイフを宛がうなんて失礼じゃないかな?」


「……ここはスラム。力がすべて。だから、礼儀だとか失礼だとかそんなものは必要ない」


 さすがアウトローのスラム住人、女の子でも普通に染まるんだね。


 それにしてもこの状況、どうしようか。

 この身体能力でここまで接近されては現状を打破するのはかなり難しい。


 ボクを遥かに凌駕する身体能力。

 さすがにボクの能力がぶち抜かれることはないだろうけど、それでも苦戦はするだろう。


 ……あぁ、危機的状況なのに愉しくなってきた。


 ボクと彼女、どちらの実力が上か。

 そして、そんな彼女をぐちゃぐちゃに蹂躙したとき、どれだけの愉悦が得られるのか。

 今すぐ……試したい。


 それに、ボクは背後を取られるのはあんまり好きじゃない。

 はぁぁ、とボクは一息つく。


 ──瞬間、で中級の身体強化魔法を発動し、背後に錫杖を振り抜く。


 錫杖が空を切る感触が手に伝わる。今のを避けるのかぁ。

 背後から気配を感じたため、振り向きざまに錫杖で防御する。

 が、彼女の攻撃が直撃すると同時にボクは後方に吹き飛ばされる。


 うそでしょ? こっちは念のため中級の魔法で身体を強化しているんだよ? 相手は素の身体能力よ、おかしくない?


「──遅い」


「──ッ⁉」


 体勢を立て直し追撃に備えようとしたその刹那、懐から声が聞こえた。ヤバい‼

 首元に振るわれるナイフをギリギリで避ける。


 ──瞬間、彼女の蹴りが腹部に突き刺さり、強い衝撃が全身に伝わる。


 先程よりも強く吹き飛ばされ、ボクは壁に思い切り叩きつけられた。

 ……まさかボクの身体をこうも簡単に吹き飛ばすとは。


 ボクの能力上ダメージは一切通っていない。ボクの能力は、防御に関して絶対的な力を持っている。

 それこそ、核ミサイルを撃ち込まれようが、超新星爆発が起ころうが、ボクの肉体は無傷で済む。

 それどころか、その時に起こる衝撃すらも一切感じることなく、余裕で耐える。


 だからこそ、ボクに衝撃を与えた彼女の一撃が異常なのだ。


 ……そういう能力を持っているのか、はたまた

 どちらにせよ、厄介であることに変わりはない。


「……凄いね。わたしの攻撃が当たったのに無事なんて。普通の人だったら今ので終わってた」


「それはこっちのセリフだよ。まさかボクを相手にここまで立ち回るなんてね……」


「確かに、あなたの身体能力は脅威。でも、戦闘技術がそれに伴ってない。だから、あなたはわたしに勝てない──」


 交わされる応酬。そして一瞬にして距離を詰めてくる彼女。

 迫りくるナイフによる追撃。それらを辛うじて躱し、逸らしながら考える。


 ……彼女の言う通り、ボクは戦闘技術がそれほど高い訳じゃない。能力にものを言わせた戦闘スタイル。

 それでも、能力が強すぎたため、苦戦はしてこなかった。


 だからこそ、現在進行形で追い詰められている。


 心の中が黒く、どろどろとした感情で埋め尽くされていく。

 あぁ……愉しい。愉しい愉しい愉しい愉しい愉しい愉しい‼‼


湧き上がるのはどす黒い愉悦の感情。


危機的状況、この世界に来て初めての敗北の予感‼

ここまでボクが追い詰められたのは、冬君たちとやり合った時以来だ‼


……駄目だな、思わず浮かんでしまう笑みを止められない。

でも、目の前の愉悦の塊を見ていると、どうしても沸き上がってしまう。


ボクにとって全てを愉しむこと、それこそが生きがい。

 だからこそ、彼女をぐじゃぐじゃに、圧倒的に、そして絶望的なまでに勝利して……ぶっ壊す‼ それだけだ‼


 「──ッ⁉」


 ボクから漂う不穏な雰囲気を感じ取ったのか、すぐに彼女は後退した。


 気配を察知する能力も高い、そして、それに対する警戒も一切崩れない。

 認めよう。能力以外でボクは彼女よりも劣っている。

 その能力も彼女がその気になればぶち抜かれるかもしれない。


 故に、能力で勝負する。

 彼女より、ボクの方が上だと証明するために。

 ボクの絶対的な能力で、彼女をぶっ壊す‼


『──◻️◻️◻️◻️──接続、 を一時的に最優先対象に変更──』


 能力を開放する。

 自身の存在が変わっていくのを感じる。

 正直、この力を使うのは憚られた。

 この力を使えば、どんな存在も、ボクに敵わなくなる。愉しめなくなる。

 だから、この力はいざという時の切り札。


 だけど──。


「君は……ボクを愉しませてくれるよね?」


「……知らない」


 少女はそう呟いた──その瞬間、姿が掻き消えた。

 人間の身体能力の限界を、遥かに凌駕した速度。

 今回は初動すらもとらえることが出来なかった。


 ……マジかよ。最初の背後を取った動きよりもずっと速い。彼女は本当に人間なのかな?


 ──そして、それを視認したのは偶然だった。

 彼女の気配を探る中、背後を一瞥したときには、すでに眼前へと拳が迫っていた。


 避けようのない、必殺の一撃。

 当たれば即死は確実。

 そして、迫る拳はボクの顔面に直撃し、次の瞬間……血飛沫が舞った。


「────ッ⁉」


 漏れた悲鳴は……少女の口から、だった。

 直撃した腕は完全に折れ、夥しいほどの出血をしていた。


「──敵を前に、隙をさらすのは駄目だよ」


 硬直した彼女に一切の容赦なく、それでいて、殺さないように錫杖を振り抜く。


「──カハッ⁉」


 ボクの攻撃を諸に喰らった彼女は、吹き飛び、壁に直撃し、めり込んだ。


「……手加減を加えたとはいえ、今の一撃を喰らって気絶しないなんて」


 さっきの一撃は魔法で身体能力を強化したものだった。

普通の人間なら死んでいる。だからこそ、彼女の肉体硬度に驚愕した。


「……ぅう、ゴホッ、ガハッ、……どう……して」


「どうして。あぁ、ボクが君の攻撃を受けて無傷な理由がかな? それとも、自分が傷を負ったことに関してかな?」


「……りょう……ほう……‼」


 息絶え絶えで、瀕死の重傷を負いながらも立ち上がろうとする。

 あの傷でなおも立ち上がろうとするとか、本当に人間なのかな。


「それは簡単だよ。君の拳が、ボクの能力を上回れなかった、それだけの話だよ」


「のう……りょく?」


「そこまでは教えられないかな。さて」


 立ち上がろうとしながら這いつくばる少女を一瞥する。


 ……正直、期待外れだ。

 確かに、あの身体能力には度肝を抜かれた。同じことをしろと言われても、無理だとはっきり言える。

 だが、もしかしたらボクの能力が捻じ伏せられるかもしれない、というその期待はいま、崩れ去った。


 多分、彼女は自身がどういう存在か理解していない。

 それを理解していたら、もしかしたらボクが負けていたのかもしれない

 だが、それでも、ボクの期待に応えられなかった。

 勝手だと思うだろうが、その事実があればいい。


「あの時感じた愉悦の感情は間違いだったか……」


 愉悦を感じられないなら、いらない。

 用済みのものは捨てる、それだけ──。


「……まだ、わたしはぁ……終われないッ‼‼‼」


 立ち上がり、吠える少女。

 フラフラで、今にも倒れそうな程の重症を負いながらも、その暗い瞳が見据えるのは──ボク。

 地面が抉れるほどの踏み付けで飛び、彼女は駆ける。

 ボク目掛けて一直線に、一切の小細工なしに突貫する。


 ここまでして、立ち上がるのか。すごい執念だね。けど……。


「君では、ボクには敵わない」


 突き出される拳。彼女の全身全霊が乗った一撃。

 それに対し、ボクは敢えて拳を握り、放つ。

 彼女の拳に合わせるように、ぶつける。


ゴギャァァッッ‼‼


ぶつかり合い、骨が砕ける音が響き渡った。



 その場に立つのは一人だけだった。


「ぅぁっ……」


 今度こそ、彼女は倒れた。

 残った片腕も粉々に砕かれ、体力も底をつき、まともに立ち上がることも出来ない。


 だが、ボクはそんなものに興味がなかった。

 ボクの視線は自身の拳に釘つけになっていた。

 血まみれの拳。その殆どが少女の腕からでた血。されど、その中に混じるのは、紛れもなく


 ペロッ、と血塗れの手に舌を這わす。

 鉄の味。そして沸き上がるのは、先ほどと同じ……いや、これまで生きてきた中でもっとも大きく、どす黒く染まった愉悦の感情。


 彼女の攻撃はボクには通らない。なぜならボクの能力はそういうものだから。

 ──その事実を今、彼女は覆した。


 口角が自ずと上がっていくのがわかる。

狂喜を浮かべるのが止められない。

 間違いなく、彼女はボクの求めるもの。

 ボクを愉しませ、ボクを愉悦にまみれさせてくれる存在。


 あぁ、あのとき感じた感情は……間違ってはいなかった。

 ボクは瀕死の少女に歩み寄る。

 彼女は警戒を露にするが、どうでもいい。


「彼の傷を癒せ──《ヒール》──」


 回復魔法を唱えると、瞬く間に彼女の傷が癒えていく。

 癒えていく傷に呆然としている少女に、ボクはその一言を告げる。


「君、名前は?」


 そう、問うた。

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