第27話 エシェッカの交渉
「仮定の話でしかないけれど、もし王宮内の王族が害されていたら、末席であってもトライゾン王子が王位を継承することになるね」
それは事実そうなるだろうが、国がそれで立ち行くかは別問題。早晩衰退して滅びる運命すら見える。そうなった場合、エトワールはどうすべきか。頂点とは常に最悪を想定して心構えをしていかなければならない。
◇
翌朝、食品業者の家族が朝一番でズシーミへ向かい馬車を用立てると街を離れて行った。異様さに前々から気づいていたようで、店主もどうしようかと思い悩んでいたそうだ。気づかないふりをして波風を立てずに、出来るだけいつも通りの生活を続けてきていた。
「エトワール様、妻子は無事に向かいました、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ店主の平穏を壊すようなことをして済まない」
このせいで店主も腹を括るしかなくなった、それは一種の事実だ。変化が起こることになる、つまりは良かれ悪かれ巻き込まれてしまうのは目に見えていたから。
「完全人任せよりも、妻子の安全を優先します。その上で私も出来るだけの協力をさせて頂きます」
やることになってしまった以上は成功を目指して努力する、商人魂はたくましい。期せずして家族を保護したが、人質のようなものでもある、この店主は裏切らないとみることが出来る。
「もし私が今日中に戻らなければ、上屋敷のシューラーに事情を話し、皆でエトワールに避難してください」
「はい、わかりました。聖女様はご一緒に?」
この場に来るまで何も決めていなかった、というのもキャトルもエシェッカの意思に任せようとして。二人で行った方が効果的なのか、それとも別々の方が良いのか。聖女である特異な背景、王宮内でのことを想像する。
「私はソーコル王国の大使館に行こうと思います」
「そうか、エシェッカの思うようにするといい。今夜上屋敷で合流だ、いいね」
「はい兄さま」
荷馬車を曳いて二人は王宮へと向かって行った。ソーコル王国とはグロッカス王国に北側にある大きな国だ、北東の砂漠地帯を挟んで北にあるニザー伯爵領地の隣。当代国王ジョージは中々の策士で国土の拡張が著しい、オルテガ将軍やムピラニヤ将軍、ハラウィ将軍といった軍隊を統率する人材に恵まれていた。
エシェッカは徒歩で一人、大使館が集まる地域にあるソーコル王国大使館の前にやって来る。きっと誰が入って行くかを見張っている者だっているはずだ、今の今でキャトルの邪魔にはならないはずだが、今後は影響を及ぼして来ると考えている。
中に入るとステア王国の時と同じように受付嬢が居て応対して来る、名乗りをして面会を求めるとやはり二階から降りて来た大使が応じてくれた。というのも大使などというのは当該国の情報を集めるのが役目のようなものだからだ。
「私が大使のトゥツァです」
真っ黒い肌の若い男性、若い……ように思える。どうにも年齢が判別しにくいからだった。それでも動じることなく自己紹介をすると真面目な話をする。
「私は外交官ではありません、まずはそこをはっきりと述べさせていただきますわ」
「確かに。聖女とは祭祀を取り仕切る神職ともまた少し違いますな」
「民に降りかかる災いを予言することで対策を講じる猶予を与えるのが本分だと解釈しています」
そういう予告があればどれだけ有用か、トゥツァ大使もはっきりと頷いた。不可能を可能に出来る、それは十を百にするとは違い無を有に出来るまさに奇跡のような事象。
「その聖女が何故ソーコル王国の大使館においでなのでしょうか。行くならば王宮だと思いますが」
指摘はもっとも、出来ることならば王に直接言ってやりたいくらいだった。そんな恨み言をここで漏らしてもどうにもならない。
「大使が未確認情報をどのように思われるかは解りませんが、王宮は全てを拒んでいます。それはご存知なのではないでしょうか」
大使は目を細めてこの聖女が何をしにここにやって来たかを想像する。初対面で他国、しかも数ある大使館でソーコルに目星をつけて来た理由を。とぼけても良い、だがその場合は情報の波はここでストップしてしまう。ギブアンドテイク、情報交換の基本であり目的。
「前置きも無く突如遮断されている。争いは聞こえてこなかった、余程上手くやったのかそれとも介入の余地があるのか」
決定的ではない状況ならば他所の力を入れたら更に乱れてしまう。うまく行っている場合でもやはり他所から手を入れると乱れる。藪蛇にならないようにするのが部外者として最善、何が起こっているのかわかりさえすれば手を出したいのは山々なのだ。
「ことが起こる直前に、地方領主に登殿を命じています。それと知ってか知らずか多くの有力者が留め置かれているはずですわ」
ということは上手くやっていると判断して良い。では誰がやっているか、そこが気になって来る。
「ソーコル王国は主導していない」
「ステア王国もですわ」
一つ一つ等価の情報を交換していく、騙しがあれば後に解るが情報は持って行かれて損をする。互いの信頼関係はない、目の前の人物が嘘を言うか本当を言うかを見極めるしかない。
「ソーコルに南進の意思はない。しかし、グロッカス王国だろうとステア王国だろうと不戦するならばどちらが立っていても良いと考えるが」
仕掛けているのがステアじゃないかと疑っているらしい、南に進む意思がないのはどれだけの情報価値があるのか。中立を保てばソーコルが攻めてこないのは多少は役立つかもしれない。
「最初に申したように私は外交官ではありません。あまりに複雑でな未来はわかりませんが、戦争は望みません」
普通ならばそう考えるはずだが、ソーコルは領土拡張に忙しい、お世辞にも戦争が嫌いという国柄ではない。そんな国の大使は何を思っているだろうか。
「望まずとも争いは起こるし、それを避けることも出来ない。それが歴史というものだとは思わないかね?」
「私は歴史をどうこう言うつもりはありません。ただ、身近な人や多くの平凡な人たちを不幸にはしたくないだけです」
侵略国家はその先の民を蔑ろにしているかというとそうではない。むしろ膨張政策を行う場合、新規に入って来る民は優遇されて同化を促進して来る。為政者にのみ厳しく、従順な者には存外甘い対応だったりする。一々足元でねじれをおこしてはいられないのだ。
「誰が勝利を収めても良いと?」
「私は民への災いを防げればそれで。支配する者が何であれ願いは変わりません」
制度で聖女が在るのは確かだが、神のお告げは人の制度ではない。ならば国がどうなろうと聖女である事実に変わりはない。それは大使にも理解出来た、仮にここがソーコルの地になってもきっと彼女は聖女として働いているだろうし、民もそれを受け入れる。その上でソーコルの利益にも通じる、グロッカスだって何ひとつ恨みはしない。
「あなたはどうなれば良いと?」
「何事も無く全てが終わればそれで。ですがもし乱れることがあるならば、速やかに終着することを望みます」
曖昧な物言い、互いに全容を知らないのだからそうもなる。グロッカス王国が跳ねのけて正常化するならばそれを支持し、もし崩壊するならばその後の進駐を求めているように聞こえた。全くの権限がない戯れ言でしかないが、それほどのことが起こっているのだろうと思わせるには充分。
「王都を含め、砂漠以南の地は遠いでしょうな。ですが、競合が起こらないよう一報を入れて検討させるようにくらいはできるでしょう」
談義を打ち切るとともに彼女の望む結果に近づける努力をすると承知した。全ては水物、何がどうなるか今はわかったものではない。自由が利くように人数を集めて置く、その位しか出来なかった。
「ありがとうございます。明日には何かが動くかもしれませんわね」
キャトルが何か行動を起こすなら早いだろうと思い、そのように言葉にする。近いうちではなく明日といったところに意味があった。大使も何の根拠もなくそうは言うまいと頷く。
「もし保護が必要であれば、当大使館が請け負うが」
「私には庇護を与えてくれる方が居ますので。お気持ちだけ」
「そうか。万が一の際にはソーコル王国大使トゥ・トゥツァ・キヴが認めていると、ソーコル大使館、企業、個人どこでもいから逃げ込むんだ。必ず保護させてもらう」
エシェッカは座ったまま頭を下げて謝辞を示す。彼が出来る最大の行動だと感じられたから。席を立つと大使館を出る、決して明るい表情をせずにだ。どこかできっと誰かが見ているから。
「次はどうしましょう……」
キャトルが内部に入って何かしら現状を見て来る、何事も無ければそれでエトワールに帰れば良い。そうでなければ改善するために動くはずだ。少人数で強硬手段も無いので、自然と交渉が重要になって来る。
ステア大使、ソーコル大使、市長となればやはり首都の重要人物の残りが浮かんでくる。会うべきなのかどうか、いつかは話をする日が来るとは解っていても、それが今なのかはわからない。いつまでも後回しにも出来ないので、ついに大神殿へと足を向ける。
ニースの中央部やや南寄りに位置している大神殿、多くの聖職者がここに所属している。儀式の場所であって普段の礼拝はここでは行われていない。それでも信者が来ないわけでもない、門戸は常に開かれているから。
久しぶりにここにやって来て見上げる、感慨深さよりも畏怖というか、気が重いと感じる方が強い。何せ好きで巫女をしていたわけではない、素質を見込まれてそういう生活をさせられていたという表現がほど近い。
聖女が何を言っているのかと叱られてしまうかもしれないが、エシェッカとしてはそういう心持ちなのだ。不遜でバチ辺りなのは自覚している、だから口には出したことが無い。小さくため息をついて門を潜って大神殿の内部へと入る。
誰も留め立てはしない、誰何をするわけでもない。寛容である、無関心なわけではない。ここに用事があって、あるいは居場所を求めてやってきていると信じているからだ。声をかけられたら応じはするだろうが、まっすぐに奥へと向かって行く。
年老いた女性が一つの扉の前で座っている、取次を役割としている目が不自由な人物。出来る役目を割り振られて、何年も、何十年もこうやって座っていた。
「あの、大司教にお取次をお願いします。私、エシェッカ・エトワールと申します」
「はい、少々お待ちください」
名前だけを憶えて、手探りで奥へと消えていく。暫くして戻って来ると「どうぞ奥へお入りになってください」すんなりと許可が出た。追い返さないところをみると、何かしら知りたいことがあるんだろうなとエシェッカが直感する。
ここグロッカス王国はマリベリトフター教がよく信仰されている。隣国であるステア王国も、ソーコル王国も、ピレネー王国もそうだ。海の向こうにある国では聖マリーベル教やゼノビア教が主流ではあるが。政治は国ごとに、宗教は大司教ごとに違ってくる部分がある。国境をまたいでしまえば同じ宗派でも別の大司教が存在する、教区とでもあらわせばわかりやすいかもしれない。
部屋の奥には白の法衣を身に着けている老年の男性、大司教のアルシェヴェックが座っていた。落ち着き払っている姿は感情を失っているかのようにすら見えてしまう。
「大司教に謁見させていただいます。エシェッカ・エトワールです」
何の連絡もないのに会ってくれる、そこにはきっちりと礼を言わなければならない。立場もそうではあるが、疲れているとか具合が良くないとかで面会を拒否することは出来るから。
「聖女の働きを神は見ておられる。先だっての神託は多くの者に慈悲を与えたと感謝していますよ」
枯れた声で存在を認めてくれている。市民への影響力を考えると国王と同等の存在とすら言える、権限は少ないものの直接与えるメッセージ性は別格。
「依り代としての存在でしかありません。今日の用事はそれとは無関係です」
「神が認めた器が謙遜をすることはありません。ですが誇ることもまたありません。どのようなごようでしょうか」
中立的で公平を保つことが出来ればそれだけで立派だ。面倒ごとや不利を避ける為に関わらないのは中立ではない、そこを解っていない者があまりにも多い。周りに影響されず常に己を保つ為に努力を続けるのが中立。
「王宮へ伺おうとしましたが、入ることが出来ませんでした。私だけでなく幾人もそのように。大司教は何かご存知ないでしょうか」
剃ってあってツルツルの顎に手をやって目を細める。何かしら知っているがそれをどう伝えようか吟味しているポーズ。好き嫌いで伏せようとしているのではない、それで何が起こるかを想像しているのだ。
「それはお困りでしょう。何ごとも長らく続きずっととは行きません」
「私もそう思います。良いことも悪いことも永遠ではないでしょう。国だって人が作り上げたもの、ずっととはいきませんわ」
大事になっている、それを知っているとのアピール。国が消えてなくなれば大司教の座も無くなってしまう、それは望んでいることなのかどうか。アルシェヴェックとて今さら立場を失いたくはない、上手い事収まるように神に祈るだけで良いのかどうかは懐疑的だった。それこそ不信心ではあるが。
「……国王の懺悔が行われなかったのは、二度目です。初めては先の大病の時ですが」
「陛下が体調を崩されている?」
「医師長とは友人でありますが、そのようなことはないと話していましたよ。むしろ最近は体調が良いと」
個人の体調を話題にするのがどうかは別として、悪いのを隠すことはあっても良いとまでは中々言いづらい。それに怪我と違って徐々に変化するのもなので、全く漏れ聞こえてこないのはおかしい。大司教も国王に何かが起きているのは把握しているようだ。
「教会が願うのは国の安永と民の幸福とどちらでしょう?」
これは極めて不遜な一言、エシェッカが叱責されても仕方ないこと。それでも大司教は深く呼吸をして思案する。
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