第26話 報告会

 王国に連なっているものの、伯爵は一つの独立した勢力でもある。事と次第によっては王国を鞍替えすることだってありえる。そんなことを若い大使館員が判断できるわけもなく「畏まりました、少々お待ちください」と上に話を持っていくしかない。


 応接室で待たされていると、恰幅が良い中年男性がやって来た。燕尾服姿で襟に星のバッチをつけている。


「いやあお待たせして申し訳ない。私が大使のエンバドールで御座います」


「初めまして、エシェッカ・エトワールですわ。急に訪問してこちらこそ申し訳ありません。大使に敢えて嬉しく思います」


 お互い様子見で笑顔を見せて席に就く。用事が無ければやってくるはずがない、他国の動きを見定めるのが大使の役目。それぞれに理があれば動く、当然の流れだ。


「お気になさらずに、大使など暇なものでして。こうやってお茶を飲むのが仕事なんですよ、はははは」


 それは真理でもある。大駒がちょろちょろ動き回るものではない、こうやって報告を待って大使館に居るのが仕事だ。


「お父さまもそのくらい鷹揚に構えてらしたら良いのに、いつも書類とにらめっこをしていますわ」

 

「エトワール伯爵とは宮中晩さん会でお話をしたことが。お元気ですかな?」


 無関係、意味がない名前を出すはずがないということで大使が触れて来た。そうしてくれると助かると思っていたのでエシェッカも話を進める。


「ええとても。ですけれどもせっかくニースに来たのにお仕事お仕事で、お父さまとお会いも出来ずです。エンバドール大使は最近王宮内へ行かれましたか? 会ったら一言伝えて頂きたいものですわ」


 入れないと知りつつ素知らぬ態度で投げかける。王宮での嫌がらせでは良くされていた、予定の重複。両方出られないのに両方での用事を押し付けられたりは日常茶飯事だったのを思い出す。一瞬の沈黙、そうと気づかれないことだってある、そんな微妙な間。


「伯爵らしいですな。お呼びがかからないので、私も王宮へは暫く上がっておりません」


 行きたいときに行くことが出来る立場だ、呼ばれずとも咎められることなど無い。行かないのではなくて行けない、或いは行っていることを明かしたくないのだ。もし出入りしているならば同行をやんわり拒否するだろうし、入りたいなら賛同を得るはず。


「近くある晩さん会でエスコートしていただけまして?」


 毎日行われていると言っても過言ではない。うんといえば数日以内に機会が訪れてしまうので誤魔化しようもないのだ。


「おお、是非とお願いします。美人同伴となれば私も鼻が高い」


 注意深く瞳を見ていたけれども、誘われての反応は警戒よりも安堵が勝っていた。足がかりを得ようとしていただけなのが感じられた。


「お上手ですわね。けれども少し困ったことがありますの」


「ほう、私で良ければお力になりますぞ」


 ここからが本題だと心を落ち着けている。社交辞令が無ければ話も出来ない、それは初対面なのだから仕方ない。しかも個人的なことでは無くて、他者にも影響があることだから。


「王宮へ入ろうとしても門が閉じられていまして。大使は何かご存知ですか?」


 気づかないはずがない、その話題に触れてよいかどうかの判断はここで行われる。異常が起きている、ステア王国への報告対象になり得る何かが。見ているだけでは大使の存在意義が疑われてしまう、何か一歩踏み込んだ報告をしたいと思っていたところだった。


「ここだけの話、少し前より全ての出入りを遮断しているのです。伯爵は王宮内にいらっしゃるので?」


「ええ、そのようですわ」


「後宮も閉ざされていて、殆どの王族も姿を見せておりません」


 王宮内に後宮があるので当然だった。成人王族が官職を得て外で暮らすこともあるが、多くは王都で生活している。また王妃が後宮で生活をしているので、未成年王族も一緒だ。本来はここが一番安全とされているから。


「そうなのですね。けれどもトライゾン王子は外に居られますわ」


 大使なのだ、名前を聞けば顔も背景も大体が頭に浮かぶ。そしてここに来てようやくエシェッカ・エトワールを思い出した。聖女エシェッカがエトワール家に養子入りしていて、トライゾン王子と婚約破棄したりまた求婚されたりしていたなと。


「王子はご壮健で?」


「はい。会うたびに求婚されてしまい、それでお父さまに相談をしようかなと」


 少し照れ臭そうな表情を作って目を伏せる。芝居ではあるが見る者が信じたいように映るだろう。基本、基本だが、王子に求婚されて嬉しくない者は殆ど居ないはずだ。少なくとも大使はそう受け止めていた。


 王宮内に伝手があり、王子と繋がりがある人物。関わってその先を得るにはうってつけとそろばんを弾いたのもうなずける。


「左様でしたか。…………実は、王宮ですが、政変が起こっているのではとの噂が」


「政変ですか?」


 クーデター、武力なりを使って穏やかではない方法で権力の源泉を挿げ替えようとする行為。現在権力を握っているものが嫌がるのが当たり前なので、どのような政治形態でもこれを非難するという強硬手段。もちろん平和的なクーデターもある、それは民主的な国での限定的なことではあるが。


「首謀者は解りませんが、王族を全て亡き者にして、政治を操ろうとのこと。ですがトライゾン王子がご無事ならばそれも難しくなりましたな」


 という大使の表情に微妙な陰り。もしトライゾン王子が首謀者ならばどうか、そうなれば目の前の女性はどの立ち位置なのか。不安と希望とが入り混じり、大使の脳内は加速を続けた。


「どうかいたしまして?」


「い、いえ……」


 そもそもステア王国は後背をつかれなければグロッカス王国だろうがなんだろうが構わない、ならばいっそクーデターが成功してもよのではないか。言ってしまえばしくじる側にさえつかなければ良い。


「そ、そういえば王子は今どちらにおいでなのでしょうか」


「エトワールで式典を開いた後に、ニザー伯爵領へ参りましたわ。式典ではフレイム王女も参加なされて、成功を収められました。お兄さまが取り仕切りましたの」


 勘違いを誘う方法は幾らでもあった。結果のみで詳細など外に漏れていない、事実を並べれば並べるほどエトワール家は怪しく見えてしまう。それもこれもギリギリまで王子がキャトルを取り込もうとしていたからだ。


 大使へ向かって微笑むと、裏腹に冷や汗をハンカチで拭っている。降ってわいた災いに思えているのだ。面倒くさい人物で有名なニザー伯爵が一枚かんでいる上に、フレイムまで名前が出てくるとは。


「ステア王国はグロッカス王国の発展を祈っております。次の世代の方々がご活躍されているようでなにより」


「次の世代……ですわね。大使はどのような未来をお望みでしょうか」


 言葉尻を拾って精神的な圧迫をかける。本当に王宮での女同士の嫌がらせがここまで有効利用出来るのは、良いような悪いような。


 何かを知っている、握っていると思わせるには充分な背景。実際は全く知らないが、それは確かめようもない。事実は目の前にエシェッカが居る、何かしらの役目を担って。


「ここに来られた聖女の喜ぶ未来を私も望んでおります」


 対象を国でも家でも無く、聖女にしてしまえば誰も蔑ろにしないだろうと無難な出口を見つけた。当たり障りが無い事この上ない。これは彼女にとっても納得いく答えでもあった。


「あら、ありがとうございます。長々と申し訳ございませんでした。私は上屋敷に居るので、いつでもお声がけ下さい」


 まるで近くで見ているぞと言わんばかりの台詞を残して、エシェッカは大使館を後にした。



 夜になると皆が上屋敷に戻って来る、そこ頃にはエシェッカもリビングで紅茶を飲んでいた。一様に顔色は優れない、疲れからではないことは良く知っていた。


「集まってもらいたい、上の部屋に一時間後に」


 キャトルの呼びかけでそれぞれが休んだのちに会議室にやって来る。食事を済ませた者もいた。


「報告を聞かせて欲しい」


 まずはそれぞれが思うところを述べるところから始めようと声をかける。こういったことは下の方から上がって行くことが多い、最初に口を開いたのはビリントだった。


「明日のサンプル納品の件は了承を得ています、責任者が同行するところまで。実物をどうするかは未定ですが」


 そんなものは何でも良いので適当にメイドに選ばせても良かった、同道することが出来れば目的は半ば達成している。それで終わってしまえばビリントもそこまでのただの警備兵でしかないが、ここで一つ持ち出して来る。


「その業者ですが、不穏な空気を感じているようでして、一家の疎開先を探しているとのことです」


 ことさら相談して来るということは、エトワールへの避難を考えているということだろう。これを速やかに受け入れてやれば、今後何かとやりやすい。何より明日の実行前にこれを知らせてやれば、恐らくは便宜を図ってくれるだろう。


「解った、今晩中に一度挨拶に行って来るとするよ」


 メイドを呼び出して、遅くに訪問する旨を伝えさせておく。拒否して来るならばそれまでにして、受け入れるならば深い話をしたらいい。


「王都での引っ越し先ですが、郊外にあった屋敷が有望です。ちょっとした細工があるようで、地下から外に道が繋がっているとか」


 逃げ道を確保してある造り、知っていれば対処も出来るかも知れないが、それを知らなければ取り逃がしてしまうだろう。空き家ならば不動産屋があれこれと売り込む都合上知られていてもおかしくないが。


「今はどのような?」


「まだ住んでおりますが、処分前で。前の家主が猜疑心が強い牧場主だったようで、いつでも財産をもって逃げられるようにと設計したそうです」


「前の? すると今は」


「息子夫婦が不便だから牧場に家を新たに建てたところで。殆どの荷物は動かしたようですが、それこそ誰かいないと泥棒にあうので直ぐに入ってくれると助かるとか」


 牧場や農園で使用人に襲撃を受けることはよくある。搾取する側とみなされたら厄介この上なかった、逆に主を失えば仕事を失うと思わせたら、それらは正反対で護衛に成り代わりもする。前の主人は恐らくは前者、金もうけで人をこきつかって蓄財していたのだろう。


「そうか。何か懸念は?」


「言い値が少し高いような気がしますが、その位です」


 厄介な家を売り渡すのに高い、前の主の性格を引き継いでいるのか、本当に価値があるのか、シューラーの感覚が違うのか。何はともあれしっかりと避難所の役割を果たせるならそれで良い。


「明日その話をまとめてきて欲しい。その後、ビリントとメイドの一部をそちらに遷そう」


「畏まりました」


 行動を起こす前に一つ一つ足場を固めて行くキャトルのたくましさにエシェッカが微笑む。


「どうしたんだい」


「いえ、お兄さまは頼りになるなって思いまして」


 そう言われてキャトルは目を閉じた。評価されるのも頼られるのも良いが、結果が解り切っているばかりの手を打つしか出来ない自身の拙さを噛みしめて。どうしたら先手を打って劇的な備えが出来るのか。


「褒めるのは全てがうまく行った後でも良いと思うよ」


 物言いは控えめではあるが、含みがあるのは伝わる。緊張感を持てというのとも少し違いそうだ。


「キャトル様はいかがでした?」


 シューラーが先を促した。彼は何か感じたことがあったのかもしれない、少なくとも変だなとは思ったはずだ。


「ニース市長だけど、あまりにも多忙で時間が少ししか取れなかった。わかったことは市長も書簡を得ただけで、王宮内に行って様々指示を受けたわけではなさそうなことだけ。今のところはこれで困っていることもないので問題ないとの見解だったよ」


 処置なしとはこれだろう、小さな単位、といっても都市クラスであってもすぐに破綻はしない。ひずみが大きくなり修正が出来なくなってきてからが早そうだ。それぞれが無言になたっところでエシェッカが喋りだす。


「ステア大使とお会いしてきました。王宮は全てを遮断していて、政変が起こっているのではとの見方でしたわ」


「大使がそんなことを?」


「王族を排除して政変を狙っている、そう考えておいででした。トライゾン王子が外にいると教えて差し上げると、途端に顔を蒼くして聖女の喜ぶ未来を望んでいると」


 大使の考えが何か、話をしてどうしてそんな変化があったか、少し自問すると答えが出た。逆の考えをするとステア大使は事件に噛んでいない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る