第23話 ゼトワールの騒乱

 エシェッカの控室に入ると大きく安堵することが出来た。サルヴィターラが冷たい水を用意してくれる、こういう時は純粋な水を身体が欲するものだ。ぐいっと一息でのんだキャトルが大きく息を吐く。


「全くあの王子と来たら何を口走ってくれるやら」


 三人の共通の感想がこれだ。けれどもエシェッカとサルヴィターラは目線を合わせて通じ合う。


「あのキャトルお兄さま、あのようなことを言ってしまって今後大丈夫でしょうか?」


 言わせたのは彼女ではあるが、心配でたまらない。本人がお断りするのと、それ以外では風あたりもかなり違うはずだから。ましてや今回は式典の場でのこと、参集しているのはそれなりの立場にある者ばかり。


「心配することはないさ、何かあるとしても恨まれるのは私だからね」


 さらっとそんなことを言う。確かに王子としては誰に面子を潰されそうになったかといえば、キャトルだ。そのキャトルはエトワール伯爵の代理であの場に在ったのだから、報復が伯爵に向けられる恐れも大いにある。


 末席の王子ではあっても一定の権力は存在する。逆に言ってしまえば権力以外は持っていない、領土も人もだ。どこかにエトワール伯爵と敵対し、王子と共同戦線を張るような人物が居れば要警戒になる。敵対とまでいかずとも、困らせてやれと思うだけで動機は充分。


「それよりも、会場で観察していた者の顔色はどうだった。忘れる前に一度聞いておきたい」


 こういうことでは決してメモをとってはいけない、いつ流出するかわからないから。なので信頼している者同士で情報を共有していく。


「そうですわね、再度の婚約を報告するというところで、意外という表情にならなかった方がいました。特別席にいらっしゃった中年の男性です」


「ニザー伯爵の弟だ」


 想定していた、或いは知っていた、無関心などと色々と意味合いはあるけれども、驚かなかったという情報として覚えておくことにする。その意味では他が等しく意外な顔をしたというのであれば、この件では無関係として良い判断材料になりえた。


「キャトルお兄さまがお断りしたところで、また皆さんがえっという顔に。ここではニザー伯爵の弟様も一緒に」


「この場で断るとは誰も思わなかっただろうからね」


 苦笑いしてそういうものだから「私もです」エシェッカまでそう言った。保留にするとか曖昧な答えにするとか、色々とあっただろうから。正式な返答は伯爵からするとかでも良いかもしれない。何せ最悪と思えるようなその場での拒絶、当の王子ですらそのシナリオだけは考えていなかっただろう。


「その後に、王子が戯れだと仰った際には、特別席の女性とひと際大きな身体の男性が嫌そうなお顔をされましたわ」


「フレイム王女とトラレントか。後の二人は顔に出さなかっただけだろう」


 王子の根性に嫌悪感を抱いたのか、それとも別の何かか。いずれ言い訳を耳にした時に不愉快になった事実だけは記憶に刻んでおきたい。フレイムの者達が今回の一件では無関係かも、キャトルの気持ちがそのように傾く。


「キャトル様、デンガーンです」


 ノックをするがどうにも慌てている感じが滲んでいた。サルヴィターラが扉を開けて招き入れると一度室内の面々をみてキャトルへ視線を向ける。


「どうした」


「例の快速船が係留中に火災にあって現在消火中でして」


「あの船が? 死傷者は」


 出港準備をしていたと聞かされていた監視対象が、こんな形で報告に上がるとは思いもよらなかった。船などというのは簡単に燃えるものではない、それが出火したなら攻撃を受けたか、或いは自身で燃やしたかくらいしか考えられない。


「調査中です。このタイミングで偶然というのは考えれませんが」


 顎に指を当てて何かを思案する。キャトルが答えを出せないまま居ると、今度は警備隊長がやって来た。居合わす面々を見てすぐさま何かが起こっていると直感したらしい。


「キャトル様、市場で強盗騒ぎが起こっています、今警備を送って捜査中です。それと――」


「まだあるのか」


 表情を曇らせる、エトワールが大規模な攻撃を受けている可能性すらあると受け止めた。


「西地区と北地区で火災が起こっています。市民に呼びかけ一般人を動員していますが、ここの警備もとなると手が足りなくなります」


 同時多発な行動、もはや何か裏があるのは明らかだ。ここで重要なのは優先順位、VIPの保護を怠っては禍根を残すことになる。


「移動を促すよりはこの場を守る方が良いだろう。私がそう判断するのを、この騒ぎの黒幕が予測しているということで想定だ」


 この場で意思決定を行うことになる、面々は充分。


「快速船の騒ぎは陽動の類でしょうな」


 港での火災は船舶組合の人手を割かせる意味合いでのこと、港の利用を出来なくするのを求めてはいない。もしそうならば船を出入り口で轟沈させれば良いのだから。


「市中の火災も警備を薄くさせる為のものでしょう。ですが強盗は何故?」


「何が盗まれているかは聞いているか」


「まだ詳細までは。露店ではなく店舗の倉庫とまでしか」


 露店は時間が時間なので夜は殆どが撤収してしまっている、店舗もそうだが。倉庫に押し入ったということは何があるかを知っての事、計画的だ。


「あのキャトルお兄さま。目的についてなのですけれど宜しいでしょうか」


「何か思いついたかい」


 難しい顔をしている男達に向けてエシェッカが感じたままを伝える。


「全てが陽動、ということは考えられませんか?」


「ん、全てが? 騒ぎを起こすだけが目的?」


 どうにもピンと来ない、それはそうだろう、下準備と実行を起こすことでどれだけの苦労と金が必要になって来るか。男達がどうしてそんなことを、と怪訝な顔をした。


「はい。きっと思いつくだけの対応を全て行うでしょう。それを見て今後の行動の基準なりにする為に、警備レベルの調査というか」


「エシェッカはどうしてそうだと思うんだい?」


 肯定も否定もせずにそう訊ねる、思考の源を知りたかったからだ。妙な説得力があったから、キャトルにはそう感じれられ、警備隊長とドン・デンガーンにはいまいちピンと来ていないようだ。


「それは宮廷での考え方ですわ。どこが弱点で、どのような対処をして、どこが限界かを知るために嫌がらせをする。勝負をかける時にそれらを全て惜しみなく投入することで、相手を再起不能に陥れる用意」


 そう言われてキャトルにも思い当たる節があった。一度失脚したら戻るのは容易ではない、仕掛けた側がしくじれば退くのは自分になるので勝ちを確信するまでは互いに笑顔のまま。そういったやりとりが日常の魔窟。キャトルは目を閉じてどうすべきかを考える、いつまでも保留して悩んでいるわけにもいかない。


「わかった。ギルドマスターは火災の船から死傷者が出たらその処理を。警備隊長、市中のことは外の責任者に任せ、館の警備をこのまま続行。私は心配は何もないと会場でパーティーを楽しむようにと伝えて来る。エシェッカとサルヴィターラは部屋の外へ出ないようにして、ここで待っているように。警備兵を二人配備する」


 方針を下したキャトルを見て皆が頷いた。動揺する姿を求めている、それが見えない敵の狙いだと信じて。


 夜中になってアンリからの使者がやって来て伝言を教えてくれた。動揺を誘う為にあらゆる手段を講じて来るだろうが、それに振りまわされずに立ち振る舞い、見事伯爵の代理を務めるように、との概要だった。離れていても兄はやはり兄、しっかりと見ているものだと感心させられてしまう。


「晩餐会も終わり、全ての客人を見送れたか」


 残っているのは関係者と身内、そして警備兵のみ。無事に全てが終わったわけではないが、式典自体はきっちりと終幕した、今はそれで満足しておくべきだろう。フレイムの客人も宿へ戻って行ったらしい、一応護衛の警備をつけはしたが、自分達より強いものを守れと言われた兵は若干微妙な顔をしていたそうだ。


「以後明らかにすべきこと、触れずに済ませること、選別が大変になりそうですな」


 ドン・デンガーンが処理上の注意を少し聞かせてくれた。誰かを攻撃することになるような部分は、あいまいなままの方が得策だと。一方で絶対に逃してはならない放火の犯人は夜通しで調査を急がせるようにも言って来る。


「市場の倉庫ですが、盗まれたのはどうやら武器になりそうなものでした」


 警備隊長が現状で把握している部分を吐き出して来る。


「なりそう?」


「鉄製の棒であったり、合成弓の原料であったり、なぜ製品を狙わなかったか疑問ですが」


 不思議でたまらなかった、武器をごっそりと盗むならば納得いく、原料は加工しなければ使えないのは当然だ。そして加工するにはそれなりの設備と技術、人間が必要になる。原料だって価値があるのは間違いないが、手間暇が掛かるものをわざわざ、そこが理解出来なかった。


「盗んだものの所在は判明しているか」


「それがどこに消えたのか、消息が掴めません。結構な荷物を抱えているはずなのですが」


 あちこちに人手がとられて仕方ない部分はあった、それでも全く痕跡を残さずにやり遂げたことが確かに疑問は残る。背負っていけるわけではない、馬車なりに載せて運ばなければならないのだ。


「火災の方は?」


「そちらは火種を持ってうろついてたやつを捕らえています。詳細は尋問後に」


 あまりにお粗末な話に温度差を感じてしまう。まるでわざと捕まらせるために居るような気すらした。こういう時は解っている方から進めていく、そこに一抹の不安すら感じる。


「快速船ですが、船倉で何かが爆発したとかで失火を。爆発するのはガスか火薬か薬品しかないはずですがね」


「轟沈しなかったんだ、威力が大きい火薬じゃなさそうだけど」


 快速船は決して頑丈な造りではない、速度と走破性を求めた設計になっている。耐久度が少なく、喫水線が浅い船の中で火薬が爆発したら、恐らくは沈む。ガスならば専用の容器を必要とする、見てわかるので不明との報告にそぐわない。


「恐らくは薬品だとみています。時間で混ざり合ったのが変化をするようなのが」


 時限爆弾の一種、これならばある程度放置でも時間を調整できる。混ざり具合が波で前後するので難しいさじ加減にはなるが。その意味では見事に街の火災や強盗と一致した、かなりの手練がやったのかそれとも偶然か。


「単体では危険も変化もない液体だったりするはずだ、取り締まりも難しいだろう」


 キャトルが用意周到に練られた計画の危険性を知る。もしこれで伯爵の召喚までが仕組まれているものだとしたら、見えない敵はかなりの規模の組織とみなすことができる。


「王都の伯爵へ、一報を飛ばす必要もありそうですな」


「書を認めるのは第二報で良いだろう、伝令を二組編成して、王都とズシーミの兄上のところへ」


 警備隊長が請け負うと、直下の補佐官を一人役目に充てる。移動の最中にズシーミの方への報告は教え込めばよいと、警備を一人だけ連れて出て行く。


「日の出に港の封鎖解除もしておくように」


 やることがいくらでも湧いて出てきそうだと一つ大きく息を吐く。多分徹夜になると覚悟をして。思えばずっと働きっぱなしでろくに休息をしていない。


「キャトルお兄さま、屋敷へ戻りませんか? ここでなくても役目は果たせそうですけれど」


「うん、そうだな。会場の後始末は日中に始めれば良い、各種の対応司令部を屋敷に置くことにする」


 組合や警備、港湾の関連や様々なところからの連絡係を常駐させるとともに、可能な限りの記録をとらせるように命令した。時間の経過とともに記憶がおぼろげになって行くので、重要なことが後々解った際に参照できるようにと。


 特にエシェッカが見た顔色や態度の部分、発言と併せて文字にしておくべきだと伝える。それを見ることが出来るのはエトワール家の者のみ、部外秘。


「そういえばニザー伯爵の弟は?」


 遅れて当日に到着した、宿の確保はこちらですべきことだったが、急に現れたものだからすっかり何もしていない。けれどもどこかへ行ってしまったらしいが、領地に戻るにはあまりにも時間が時間で不自然だ。


「王子と同道したとの話を聞きました。護衛が付いております」


 警備隊長が行き先を知っていた、呼んだのが王子だから世話もするということだろう。こちらから何かをする必要がないならばそのままにしておいて、明日以降挨拶をしておけば良いと判断した。


「ならいい。屋敷に戻ろう、とんだ騒ぎだったよまったく」


 愚痴の一つも吐きたくなりそう漏らす。ドン・デンガーンが「まだ最中である可能性も捨てきれませんがね」釘を刺すようなことを言って来た。


「ありがたい忠言を戴いておくとするよ。気が緩んだ時が一番危ない、実に正しい言葉だと思うよ」


 屋敷につくまでは短くとも警戒を厳しくし、渦中であるとの気持ちを捨てない。それをみた警備隊長とドン・デンガーンは何故かうっすらと笑みを浮かべていた。支え甲斐のある若者だと感じたかどうかは定かではない。



 煩雑な事後処理を何とか終えた数日後、屋敷で書類に目を通している最中にサルヴィターラがやって来る。


「キャトル様、警備隊の方がお話があるといらっしゃっていますが、いかがいたしましょう」


「隊長ではなく?」


「はい、若い方ですビリント様と。何でも王都へ伝令に走ったとか」


 名前は知らなかったが確か補佐官が一人連れて行ったのが居たなと思い出す。あれから日数的にも往復がそろそろだなと得心した。


「ここへ案内してくれるかな」


「承知致しました」


 一礼して出て行くと、暫くして若い警備兵を連れて戻って来る。部屋の片隅で控えると、中空を見詰めて黙る。

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