第11話 エシェッカの初陣-4

 感性を育てることは出来ても、知識を磨かせることは出来ない。教育は政治の領分、聖職者が直接的に手出しをすべきところではない。読み書きを教える位はどこからの横やりもなさどうではあるが。


 陽も傾いてきたので屋敷に戻ろうとして、ガブリエラに何か手土産を持っていこうと思い付く。あの菓子店で買い物をしようと寄り道をした。その帰りだ、髪を逆立てた男たちの一人と目が合ってしまう。すると何かを思い出したようで足早に近づいてきた。


「よう、ねーちゃん、俺のこと覚えてるか」


 無言で身を固くして後ずさる。キャトルにいなされた三人組の一人だと思い出し、関わらない方が良いと思うも、気づいた連れがこちらに寄って来てしまう。全部で八人、全て奇妙な髪型をしている若い男ばかり。このあたりの不良グループかなにかだろう。


「おいおい忘れるたぁ寂しいな、俺とお前の仲じゃんか。ほら一緒に遊ぼうぜ」


 下卑た笑いをしてエシェッカ手首を掴むと強引に引っ張る。


「い、痛い!」


 そんな声に通行人も振り向いたが、相手が悪いと見て見ないふりをした。助けを求めて視線をやるが、誰も目を合わせようとしてくれない。


「酌くらいしてくれよ、それともご休憩ってか?」


 周りを囲まれてまずは一杯と酒場に無理矢理に連れられて行く。力が強すぎて腕を振りほどくことが出来ない、次第に恐怖が大きくなり抵抗することも出来なくなる。聖女ではあってもエシェッカは普通の女の子だ、怖い想いをすれば身が竦んでうつ向いてしまう。


 営業中の看板が出ている酒場に連れ込むと、一つのテーブルを占拠する。やかましい奴らが入って来たと先客がいらだちの視線を投げかけた。


「ビール持ってこいビール! 樽もだ。おら、こっち座れ!」


 ぐいっと引っ張って古臭い椅子にエシェッカを座らせる。今にも泣き出しそうになっていた。


「さっさと酒持ってこいや!」


 バタバタと小走りでメガネをかけたウェイトレスがトレイに載せてジョッキとビールを持って来るとテーブルに素早く並べた。モヒカンが小さな樽を指して「おら何ぼーっとしてんだ、注げよ!」とエシェッカを小突く。


 テーブルに足を乗せてご機嫌で笑っている、パイナップルのような頭の男の後ろに店員がやって来ると、手にしていたジョッキのビールを頭からぶっかけてやった。


「てめぇ、何しやがる!」


 エプロンをつけた中年の親父が仁王立ちでパイナップルを睨みつける。


「クソガキが、ここがどこか解ってるんだろうな。家に帰ってママのおっぱいでも吸ってな」


 挑発をされると膝を曲げて腰を折ると下から覗き込むように見上げて「なんだおっさん、喧嘩売ってるんだよな? ああぁぁ?」っと意味がわからない声を出した。店内の注目を集める、不穏な空気が満ちた。


 別のクジャクのような髪型の男が「やんのかゴルァ、おおぅ?」エプロンに威嚇する。奇妙な髪の奴らが全員立ち上がると、指をぽきぽきと鳴らして睨み付ける。


「おうテメェら、海鳥亭から無事に帰れると思うなよ?」


 やり取りを見ていた水夫たちがうつ向いて涙をこらているエシェッカに気づいた。次々と椅子を蹴って立ち上がると、こめかみに血管を浮かべて鬼の形相になる。五人、十人とテーブルに集まって来る水夫、皆が筋骨隆々とした荒くればかり。


 何がどうしたのか解らず「な、なんだテメェら!」と吠えてはみるものの、誰一人怯むことが無い。


「おぉ兄ちゃん、俺達の女神さまに随分なことしてくれてんな、オモテ出ろや。足腰立たねぇように型にはめてやるからよ!」


 ごん太な腕を首に回されて、恐ろしい作り笑顔で接する。いきりたっている奴らを全員外に連れ出すと、怒声と共に色々なものが壊れる音が聞こえて来た。


「エトワールのお嬢さん、屋敷まで送らせるんで、今日は帰った方が良い。あいつらはきっちり修正しておくんでね」


「……すみません、ありがとうございます」


 エプロン親父はこのまま返して、あの伯爵に見つかったら騒ぎが大きくなると考えた。落ちつくまで待ってからにしようと、奥の部屋に通してやり温めたミルクを出してやる。


「ああいう輩はいるもんでね、気にしなさんな」


 若い娘が怯えている姿なんて見ていて気持ちの良いものではない。何より自分の店の良客筋である、海鳥亭の店主も態度が違ってくる。


「はい。そう……ですね」


 余程怖かったのだろうと、さっきの奴らに苛立ちを覚えた。弱い者しか相手に出来ない奴を好きな船乗りなどどこを探しても居るはずがない。


「どうしてこんな時間に一人で歩いていたんだい」


「教会に行ってから青空授業で、その帰りに菓子店でお母さまにお土産をとおもいまして」


「げ! ガブリエラの姐さん戻って来てたのか!」


 落ち付かせる前に帰らせたらヤバかった、店主はつい天井を見あげてしまった。そして一つ名案が浮かんだ。


「そうだお嬢、姐さんが好きなもんがあるんだ、それを持って帰ったらいい」


「好きなものですか?」


「ああ見えてハチミツたっぷりのヨーグルトが大好物なんだ。用意するから待っててくれよな」


 ああ見えて、どう見えているのか。片手で持てるような壺サイズのものを渡されて、二人の水夫を護衛につけてやると屋敷へ送らせた。ガブリエラが満面の笑みでそれを受け取ってくれると、エシェッカもようやく心が落ち着く。忘れないうちにすべきことがあったので、伯爵の部屋へと行く。


 中では暗くなっているのにドラポーが執務をこなしていた。


「あの、一つお願いがあります」


「なんだ」


 書類に署名をして机の端に置くと、次の書類に目を通す。邪魔をしてくれるなとの態度に思えたが、言っておかなければと心を決める。


「ゼノビア船の水夫の方々の食事が足りていないと聞きました。満足いくだけ食べられる食糧を供給することはできないでしょうか?」


 署名しようとする手が止まり、目線をあげて来る。


「どうしてそんなことを?」


「一件があって港に足止めをされている方々が――」


「そうではない、何故エシェッカがそんなことを知っているのだ」


 行動の意味合いではなく、どこで事情を聞いたかを細かく説明した。どこの誰とも知らずに漏らした愚痴、真実にほど近いだろうとドラポーは解釈する。


「私はきっちりと提供している、それを船員らに渡していないのは船長の判断であろうな。船乗りの風上にもおけんやつだ。いや、よく知らせてくれた、これは使える情報だ。それともう一つもか」


 良くわからないがドラポーが喜んでくれているようなので微笑んだ。感謝の繋がりで先ほどの鳥海亭でのことも一緒に話をしてしまう。


「私が困っていたら、船舶組合の水夫の方々が助けてくれましたわ。海鳥亭の店主さんも」


 一瞬だがドラポーに怒りの表情が過った。一瞬だけだ。その後に「そうか、組合と海鳥亭か。こちらで良いようにしておく、もう休んだ方が良い」素直に彼女が部屋に戻り休んだ後で、マール秘書官に何かしらの命令を出して、彼もその日を終えることになった。



 第一埠頭。港の一番東側にある船の係留地で、今日は荷役が随分と待機している。そこにキャトルと共にやってきていた。謹慎は解けて、ゼノビアとも問題も解決したから晴れて自由になっている。


「随分と人が多いですわね」


 久しぶりに話しが出来るようになり、エシェッカは少しほっとしていた。事実上その必要はなかったと言われてはいたが、いつでも状況は変わるし、伯爵次第で処罰を受ける可能性もあったから。結論から言えば、キャトルは無罪放免だった。


 ゼノビア公使が要求をしていたガレー船の賠償には速やかに応じ、船員らへの衣食住の提供も行っている。責任者への処罰について、マール秘書官が出向いて詳細の確認を行ってきた……と聞かされていた。マール秘書官は軍事系の秘書官で、いざ戦いになればエトワール伯爵軍の将軍として采配をふるうことになる人物だ。


「船団が戻って来る予定があるからね。それと一緒に警備も帰港するよ」


 それがどういう意味かというと、三兄が戻って来るということだ。だからこそ二人で出迎えに来ているというのに繋がる。どんな人柄なのか聞いてみたい、質問を投げかけてみた。


「お兄さまはどういうお方なのでしょう?」


 言ってから、三兄のトロワお兄さまと言い替えた。


「うーん、そうだな、トロワ兄上は一言でいえば海の男だね」


 海の男。海鳥亭の水夫だったり、ドン・デンガーンを思い浮かべる。共通項としてはすっきりとしている性格というところだろうか。となればガブリエラのそれととても重なる処があって想像しやすい。


「とてもお強いでしょうね」


「そういうイメージがあった? そうだね、あの人は強いよ。警備船団のコマンダンテで、エトワール水軍の司令官なんだ」


 コマンダンテ、つまりは船団の提督。伯爵の子供ということでその地位を得ているけれども、地位と実力は別物。もし司令官の地位だけで良いならばわざわざ海に出ることはしない、そういうものだ。それでも警備船団を率いている以上、決して無能者ではないとの証左である。


「確かアンリ兄さまやデュクス兄さまも」


「ああ、アンリ兄上は陸軍司令官で、デュクス兄上は外交官だよ」


 それぞれの息子に責任を持たせて経験を積ませている、伯爵を継承する可能性があるからこうさせている。一方でそういった実務は全て雇った者らに預けてしまい、王宮で暮らしている貴族も多い。これらは代官を領地に残して、一族は王都暮らしをするものだ。


 これらの兄に比べて、四男のキャトルはというと、王都で雑用係をしていただけ。なるほど手にするものなどないとの言葉は現実味を帯びている。見事己の力で聖女の庇護者という役目を持ち帰って来た、その時の父親はどういう気持ちだったろうか。


「ちゃんと妹として認めてもらえるでしょうか?」


 いきなりやって来て妹だなどと言えば気分を害してしまうかもしれない。父も母も好意でああいってくれているだけ、家の立場もあるのできっとそういうのはあると思っていた。


「私が保証するよ、絶対にトロワ兄上はエシェッカを否定なんてしない。お、船が見えて来たね」


 湾の先に在る突堤を指さして、小さな影を示す。それが徐々に大きくなると、十を超える船が入港して来るのが見えて来た。帆船ばかりで大小は様々、星の紋章を船首につけているのがきっと警備船だろうと直感出来る。商船が第二埠頭に入って来るので、二人が居る目の前で両方の動きが見えた。


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