第10話 エシェッカの初陣-3

「おっと、あたしゃガブリエラだよろしく頼むよ」


「こちらこそよろしく願いしますわ、お母さま」


「はっはっは、お母さまかい。うちは男ばかりでそんな柄じゃないけどね。ま、困ったことがあれば何でも言いな、あんたはあたしの娘なんだから!」


 豪快、そう表するのが似合っているガブリエラは、のっしのっしと奥へ行ってしまった。


「神殿のマザーに似ているわね! あそこでも孤児を育てているマザーの中にあんな感じの人がいたものよ」


 緊張する位に厳格な人だったらどうしようと思っていたので、肩の力が抜けてしまう。どうしてキャトルのような息子が育ったのか、少し不思議に思えてしまった。


「この地方の教会に行ってみようかしら」


 移って来てから部屋に居ることが多く、教会へは顔を出していないことにようやく気付く。巫女は一般の信者が通う教会ではなく、神殿に属しているのであまり密接な関わりが無いのでこうなってしまっていた。


 違いはなにかというと、教会は信者への布教や生活上寄り添う存在であり、神殿は神への祭祀を行う場であることだ。教会は民衆の修行の場、神殿は神が宿る場所、そういうこと。外出用に着替えを行い、一人で出かける。大まかな場所は聞いて来ている、居住区域の中に組み込まれていると。


 市民との交流を第一にしている以上、訪問しやすい場所というのは頷ける。手ぶらでよいのかと考え、パンを施しように買ってから行くことにした。喜捨出来るならばそうするのが徳を積むことになる、貧困者を助けるのは全員の義務。


 教会へ入ると真っすぐ神像の前で行って跪くと祈りをささげた。それを邪魔する者は誰も居ない。シスターへパンが入った籠を手渡して長椅子に座る。


「沢山の方が礼拝に来ているようですね」


 エトワール地方は信仰が厚い信者が多いのか、思った以上の人が出入りしている。貧困者もそれなりに混ざっているようで、みすぼらしい者も散見された。その中でも目立つのが首輪をつけた、浅黒い肌の男。このあたりの人種ではないので、異国人になるのだが首輪をつけているのに激しい違和感を得てしまう。


「もしかしてガレー船の漕ぎ手かしら?」


 奴隷の身分で好き勝手で歩けるのかどうかはわからなかったが、実際にここに居るのだから許されているのだろう。声をかけるべきかどうか迷った、話をしたからとどうなるわけでもない。それでもやって来たのだからと椅子を立つと男の前に立った。


「あの、少し宜しいでしょうか?」


 その男は左右を見てから自分に話しかけているのかと自身を指さす。エシェッカは微笑んで頷くと「はい、どうぞ」と応じた。


「私は神職を生業にしているエシェッカと申します。あなたは?」


「船員のディングだ」


 教会の人間が異国人の世話を焼いている、はた目にはそう映っているかも知れない。


「外国の方でしょうか、その首輪は?」


 余計なことだとは解っていても、確かめずにはいられなかった。王都では見かけたことが無い、ファッションならばそれでも良い。


「罪人の証。水夫をすることで贖罪をしているところだ」


「そうでしたか、知らぬこととはいえ無礼をご容赦ください」


 罪人とは想定外の返答だった、それにしたって一人で出歩いていて良いとは思えなかった。


「構わないさ、事実だから。それに自由民になっても水夫は続けるつもりなんだ」


「海がお好きなんですね」


「好き? そうだな……そうなのかも知れない。己の腕一つで全てが決まる海は好いものだ。今は時間を持て余している最中だよ」


 肩をすくめてただ今失業中と苦笑する。外国人水夫で失業と言われてガレー船の船員だと確信を持ってしまう。腹芸をしにきたわけではないので、エシェッカは真っすぐに切り出す。


「ゼノビアのガレー船の方でしょうか、あの沈没してしまった」


「ああ、船が無くてはどうにもならなくてね。まずい時に出港しようとしたもんだ、あれじゃ湾外に出ても嵐で難破していただろうな」


 結果としてはそうなったけれども、当時どうだったかと言えば晴れ。出港を命令したのは特段おかしなことではない。


「普通は嵐を避けるものなんですか?」


「長年船乗りをしていたら、風の湿り気などで嵐が来るのを感じることができるはずだ。どうして逃げるように出港を命じたのか、俺は理解出来ないね」


 そういう感覚が全く解らない彼女ではあるが、ディングが正直に語っているのは解った。


 ――急いで出港しなければならなかった理由でもあったのかしら?


 ふとした疑問が頭に残る。ただの気のせいかもしれない、調べる権限など無いし全くの見当違いの可能性もある。直感でしかないけれど、何かが引っ掛かってしまう。


「リュエール・デ・ゼトワールでごゆっくりとしていらしてください」


「暫くはそうさせてもらうよ。配給分の飯だけじゃ足らなくてね、まあ仕方ないんだが」


 計画から外れた長逗留、資金的に切り詰める必要が出てくるのでそうもなる。外国の、恐らくは異教徒であっても教会は決して拒むことをしない。


「エトワール伯爵からの供給は御座いませんか?」


 船を賠償するつもりがあるのだから、当座の食糧くらいは提供しているのが筋だと首を捻る。


「あるとは聞いたが少量だ。日銭を稼ぐことで食いつなげるし、問題はない」


「そう……ですか。お話ありがとうございます、食べ物ですがもう少し増やせないかを聞いてみますね。それでは」


 お辞儀をして彼女が去って行く。増やせないか聞いてみる、誰にどうやって、そしてどうして教会のシスターがと思っていたところ、切り分けたパンを持って来る別のシスターが目に入った。勝手に納得してひとかけら手にして口に放り込む。


「こいつは旨いな!」


 ガチガチに硬いパンばかりが施されていたが、今日は大当たりだとつい笑顔になるディングだった。



 少ないとは言っても風雷の被害はある。居住区画を歩いていると、あちこちに瓦礫が積んであるのが見掛けられた。家が倒壊していることがあれば、窪みに小さな池が出来ているようなことも。時折喪中の家もあったりで、決して明るい状況とは言えなさそうだ。


 広場で子供たちが集まって座っているのが目に入った。青空授業というやつで、学校に通うことが出来ない子供が自由参加で有志の話を聞いて勉強するようなところ。エシェッカは暫く足を止めて見守っていると、近所の住人らしき老人に声をかけられる。


「お嬢さんも何か子供らに教えてやってはくれんかのう」


 教える人物は幅広い方が良い、偏った考えを矯正するにはバランスが大切。込み入ったことを語るのではなく、価値観のありようをそれぞれが言葉にするだけならば、それこそ誰にでも出来るものだ。


「私で良ければ是非」


 順番待ちで先生役をするために脇に立って生徒である子供たちを眺める。どんな時でも元気いっぱいで、見ている側も力が湧いてくる。十年も経てばこの子らが社会に出て働くと思うと、人は生きている、命を繋いでいると言うのが強く感じられた。


 ニ十分程度だけではあったが、エシェッカは神殿での信仰や、王都がどんなところかをかいつまんで皆に聞かせる。特に王都の繁華街がどれだけ人であふれているかの部分では、質問がいくつも飛び出してきて盛況だった。

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