第8話 エシェッカの初陣


 エトワール領内で風雷の被害が次々もたらされてきた。河が氾濫し畑が水没、家は吹き飛び家畜は逃げ出してしまう。解っていても止めることはできない、それでも人命が失われたとの報告は数が思っていたより少ない、それが口には出さないが伯爵の感覚。


 嵐は王都方面へ一日遅れで向かって行った、早馬による警告があったので多くが避難できたそうだ。各地で包帯所と呼ばれる臨時の病院が設置されて応急処置が行われている真っ最中。気絶からようやく目が覚めたエシェッカは皆が慌ただしく動いている理由を後に知らされる。


「大嵐が。キャトル様にお怪我は?」


 ずっと看病をしてくれていたサルヴィターラに最初に尋ねたのがそれだったので、つい彼女がクスっと笑ってしまう。気を抜いてしまうと未だに様と呼んでしまう。

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16817139555476467507


「ご無事です。それどころか混乱を鎮めて見事な働きぶりをしたと、リュエール・デ・ゼトワールでの噂が凄いですよ」


 寝ている間に大変な目にあっていたことを聞かされて、何とも切ない気持ちになってしまう。何か手助けをしたかった、部屋に居ただけなのが悔しい。元気がない顔を見てサルヴィターラが小さく笑う。


「同じ位に聖女の噂も登っています、神託のお陰で被害が少なく済んだと」


「そう……ですか。少しでも皆の役に立てて良かったですわ」


 巫女の役目を果たした、それだけで充分だというのに心が晴れない。知らせるべきか、それとも隠すべきか。いずれ耳に入るなら早いうちに明かした方が良い、そう思うことにして告げる。


「恐らく、キャトル様はゼノビア船を撃沈したことで猛抗議をお受けになられるでしょう。一人で全ての責任を負うことをお考えになられるのではないでしょうか」


 床に視線をやっていたエシェッカが顔をあげる。


「多くを助ける為に下した判断だったはずです。それに停船するような命を破ったのはあちらではありませんか」


「その通りです。それでも撃沈したのもまた事実、キャトル様に非がないとは言い切れませんので」


 ぎゅっと布団の端を握ると黙ってしまう。何を考えているのか、どうせ無茶なことをしようとしているはずと推察できる。


「エシェッカ様、まずは御髪を整えましょう、その後にお化粧を」


「着飾るような気分では……」


 かといってベッドで寝ているつもりもなさそうなのは明白。微笑むとベッドに座って背を向けるようにお願いし、髪を梳かし始める。


「お化粧は女の戦装束です、どこへ行かれるにせよ手を抜くことは出来ませんよ」


 両手を重ねてエシェッカは何ができるかを思案する。小一時間ほどかけて準備を整えると背筋を伸ばしてサルヴィターラに一礼する。


「ありがとう御座います。帰りは遅くなるかも知れませんが、ご心配なさらずに」


「ご武運をお祈りさせて頂きます」


 ご武運を。エシェッカが部屋を出るのを見送ると、彼女は自分もしなければならないことの順番を決める。今日は外出をしなければならないなと、窓から外を見詰めた。


 廊下を歩いていると「お嬢様、おはようございます」と使用人が挨拶をしてくる。伯爵の養女になったのだから普通というと普通。屋敷内にある伯爵の執務室、その前に立つとドアをノックする。


「エシェッカです」


 数秒で「入れ」声があったので中へ入り会釈をする。相変わらず険しい顔の伯爵、それが地であると知ってからは特に怖いとは思わなくなっていた。


「少しお話よろしいでしょうか」


「キャトルの事だな、そのうち来るとは思っていた。座れ」


 いつか来るがたまたま目覚めて直ぐだっただけ、内心の笑みを表情には出さずにペンを置いて養女を見る。領内の災害報告に復旧の指示、やるべきことは山積しているのだ。


「伯爵は此度の件、どのように捉えておいででしょうか?」


 親と子の話ではない、これは政治に関することだと最初に線引きを設けた。ならばドラポーとしてではなく、エトワール伯爵として返答しなければならない。


「聖女の神託をありがたく頂き、陛下より預かる所領の被害が最小限で済んだこと、ここにエトワール伯爵が謝辞を申し上げる」


 座ったままではあるが礼をする。お互い仕事といってしまえばそれまでではあるが、他者の働きに感謝を示すのは決して悪いことではない。


「死者が少なからず出ている様子、心が痛みますわ。どうか救済の手を差し伸べていただきたく、私からお願い致します」


「約束する、可能な限り助けると」


 国の為に存在している聖女が出来るのはここまで。ここから先は本来触るべき場所ではない。立ち去らない以上、ドラポーも相手をしないわけにもいかない。養女となった娘とある意味初めての差し向かいでの会話がこれとは、何とも己の立場を再確認させてしまう。


「港での被害も聞き及んでいます。その懸念も」


 ようやく本題に入ったが拒絶する素振りは見せない、かといって好意的な態度にもなりはしないが。中立的な姿勢を貫くことこそが幅広い対応を行う上での鉄則。


「ゼノビアは必ずこちらに抗議をしてくる。既に公使が非公式に苦情をあげてきている」


 当然だ、自国の船が沈められて黙っている方があり得ない。どのレベルで問題を解決すべきか、現地の公使が先にそのあたりの調整をするべく接触してきている。


「キャトル様は何と仰っているのでしょうか?」


「あいつは全てを受け入れると言っている。決裁に従うつもりだ」


 一切の申し開きをしない。ここでドラポーが甘い裁決を下せば伯爵の資質が問われることになるし、厳しすぎる内容ならば最悪息子を失うことになりかねない。彼も辛い立場なのだ。


「公使はどのように?」


 漏らして良い内容ではない、それは理解している。視線を一旦彼女から外し、部屋の中空を見た。教えたところでどうにもならないが、黙っていたらどうするかを思案する。


「明かすことはできないと言ったら?」


「公使館に行って直接尋ねますわ」


 即答する。やりかねない、というか恐らくは本当に今日の午後にでも行ってしまうだろう。伯爵は小さく笑って「とんだじゃじゃ馬だな。撃沈した船の賠償と、その指示を下した者への厳重な処罰を求めて来た」あくまで表面上は独り言だとつぶやいた。


「まあ、賠償金については問題など無い、ガレー船の費用位出す」


 漕ぎ手が主なコストであるガレー船は、製造費用が安い部類に入る。運用コストが高いので中期に至るまでは割安なのだ。問題がそこではないのは知っているが、一応の考えを示しておいた。エシェッカは目を細めてじっと考える、ここで一体どのような答えが出てくるのか、ドラポーも待った。


「……ゼノビア教国はゼノビア教を信仰する宗教国家です。一方で私はマリベリトフター教の信者。神託を下した聖女の庇護者であるエトワール家の直系一族が神託に従い行動致しました。ゼノビア教国の公使が示す『指示を下した者』とは聖女を指す言葉、そう解釈をしようと思いますわ」


 ドラポーが息を吸いこむ。この論理で行けば神託を下した神への厳罰を求める、というところまですり替え可能になってしまう。そうなれば宗教戦争が勃発しかねない。そのうえで、聖女に対して厳罰を求めているとなれば、やはり問題は起こる。

 

 この災害の被害が少なかったのは聖女の神託のお陰だと感謝している者達が、他国のそのような抗議を受け入れると聞いたら何が起こるか。聖女の不要論者ならば好機ととらえるかも知れないが、彼等でさえ今ではないと、そ知らぬふりをするだろう時機。


 国を助けるべく存在する聖女、実際に結果を導き出したのだ、抗議を受けてしまっては国王も黙ってはいられなくなる。これらは全て聖女がどのように事態を見ているかに掛かっているといって過言ではない。


 エシェッカは鼓動を速めている、平然とした表情を押し出し気づかれまいと頑張っていた。ドラポーはそんなことはお見通しではあるが、自らが矢面に立とうとしているこの娘の意気を嬉しく思ってしまった。


「大火事の代わりに大洪水を起こそうとしてくれるな。聖女がそのつもりならば、教会のじじい共の嫌がらせにも負けんだろうな。下がって休んで良いぞ」


「あの、伯爵はどのようにするおつもりでしょうか」


 あまりに前のめりになってしまい、空気の違いを感じ取れなかったエシェッカが食い下がった。相手のことを失念し、最後まで説明してやれなかったのは、ドラポーもどこか不安があったのかもしれない。


「抗議を取り下げてくれるように、じっくりと話し合いで解決するだけだ。悪いが秘書官を呼んできてくれ、ああマール秘書官の方だが仕事が出来たとな」


 ドラポーの含みがありそうな表情、知らない方が良い内容なのかなと、彼女もそれ以上は追及しないことにして退室した。言伝をしたマール秘書官、筋骨隆々で片目を失っている武官というのを知り、どのような話し合いかの方向性が透けて見えてしまうのであった。



 キャトルは自主的な謹慎をしている、その間に勝手に会いに行くことは彼の意志を踏みにじることになりかねない。もし彼を想う気があるならば、見守るのが確かな道、多くはそう信じて疑わない。エシェッカも悩んだ末に今は会うべきではないと耐えた。


 一人市街地に出て出来ることは無いかと思案する。起きていたことを間近で見ていた人の話が聞きたい、彼女は船舶組合に足を運ぶことにする。どこにあるかは聞けばすぐにわかったので、歩いて向かった。港の中は正常を取り戻していて、活気がある動きをしている。


 それでも暴風で壊れてしまった建物などの瓦礫が、あちこちに固めて置かれていた。妙に大きな木材の破片の山も積まれているのを見掛ける。船舶組合は事務所は石造りの二階建てで、風雷で崩れるようなやわものではなさそうだ。


 昔を知っている者ならば、ここが旧伯爵邸だったと説明を加えることもあるだろう。つまるところ敵が攻めてくるならば、港の砦として機能するように設計されている。


「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」


 単身若い娘が男所帯の、それも海の荒くれものが集まる場所へやって来ると、当然注目を浴びる。勢いがある若い男達が我先に「どうしました!」駆け寄っては声をかける。少し驚きながらもエシェッカは表情を崩して「この前の風雷の時のことを聞きたくて来ました」用件を告げる。

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